2-26 余暇5 鹿肉
鹿肉を手に入れた人達はカトラ達に『またヨロシク』と感謝しながら家路についた。カトラは解体を手伝っていた男性二人と剥いだ皮の具合の確認をしながら難しい顔で話し合っていた。サーブとラトサリーは片付けながらカトラを待った。
剥いだ皮を笑顔で収納した男性二人を見送ったカトラはラトサリー達に笑みを向ける。
「あなた達、良い所に来てくれて助かったわ♪今から鹿肉焼くから、食べていきなさい♪」
カトラはそう言うと嬉しそうに肉が入った番重を持って母屋の勝手口へ歩き始める。サーブとラトサリーは後を追い、台所に入ったラトサリーはカトラに話しかける。
「ねぇ、カトラ。相談したい事があるんだけど」
カトラはまな板を調理台に置き、番重の蓋を開けて笑みを浮かべながら口を開く。
「そぅ、何?」
「あのね、ルイーゼ様の別邸の事なんだけど」
カトラはまな板に肉を乗せ、包丁を取って肉を厚切りにしながら首を傾げる。
「別邸?あそこがどうしたの?」
「ルイーゼ様が、あのお屋敷を引き取らないかって仰って。でも、あそこに住むとなると、宮総研も移動する事になるじゃない?」
肉を切り終わったカトラは流しに移って水の術式で水を出し、包丁と手を洗いながら目を上に向ける。
「……その場合は、そうなる……わね」
「そうすると、ここを手放して別邸に移る事になると思うんだけど、どう思う?」
カトラは調理台に戻って釜戸に左手をかざし、火の術式で炭に火をおこしながらラトサリーに顔を向ける。
「そうねぇ……」
カトラはそう言いながら小箱から小瓶を取り出し、蓋を開けてまな板の上の肉に薄茶色の粉末を振りかけてから瓶を置くとトングに手を伸ばす。左掌を釜戸に向けながら肉を裏返してトングを置いて粉末を振りかけたカトラはラトサリーに顔を向ける。
「私はここを拠点にしたいわ。森が近いし、実験で何か爆発させても苦情言って来るお隣さん少なそうだし」
そう言ったカトラはトングで肉を持ち、別の肉にペシペシ叩きつけて粉末をなじませ始める。
「そ……そう。それじゃぁ、別邸を住居と事務室として使って、ここは実験と探索拠点に特化するって言うのはどう?毎日あの寝具で寝られるわよ」
「そうねぇ……それは悪くないわねぇ……」
カトラはそう呟くと左手を閉じて術式を止め、トングを置いて釜戸の前で屈む。火掻き棒で炭火を調整して立ち上がったカトラはラトサリーに顔を向ける。
「悪くないけど、ここと別邸の距離があり過ぎね。通うのに歩いて一時間なんて無駄な時間は使いたくないし、その都度馬の準備をするのも面倒だわ」
「そう……それならノート様みたいに飛べば良いんじゃない?そうすれば数分もかからないわよ?」
「あのねぇ……」
カトラは手を止め、思いっきり呆れた顔をラトサリーに向ける。
「あれは副所長だから出来るのよ、無茶言わないで頂戴。それに、あなたの風の術式に身を委ねるなんて、まだまだ怖くて出来ないわ」
カトラは半笑いでそう言うと大きなフライパンに手を伸ばす。ラトサリーはムスッとした顔をカトラに向ける。
「確かに強い風の制御はまだ上手くないけど……カトラ、飛べないの?」
カトラは半笑いのままフライパンに油を引きながら口を開く。
「そうなのよ。私、風の術式は得意じゃないのよ。まぁ、それは良いとして、今は襲撃やら何やらであんまり守ってないけど、本来あなたは宮総研の誰かと常に一緒じゃないとダメなの。宮総研の人員が増えればそこら辺は上手く出来るようになると思うけど、暫くは宮総研の活動にも同行してもらう事になるわ」
「そっ、そうね……って、もしかして、私も森の探索に行く事になる?」
「そうよ♪今のあなたなら戦力になるわ♪パラマカッディを持って一緒に来てもらうわよ♪」
「っ!あの剣はダメよ!フレール様から頂いた貴重な剣なんだから!」
「あら?一緒に行くのは良いんだ?」
意地悪な笑みを浮かべてカトラがそう言った所で、静観していたサーブが険しい顔で割って入る。
「カトラさん、ラトサリーを森に連れて行くって本気ですか?」
「えぇ。だって、そうしないと宮総研の観察下に置いているって体裁が保てないじゃない」
「そっ、それは……そうですけど……」
「まぁ、人員が増えたら連れて行かないでも大丈夫になると思うけど。それまでは一緒に来て貰う事になるわね」
「あの、カトラさん。人員が増えるまで森に行くのを控えてもらう訳にはいきませんか?」
「嫌よ。何ならこの肉食べ終わってから直ぐにでも行きたい位なんだから」
カトラは火口の横にフライパンを置いてサーブを睨みつける。睨み合う二人の間に漂い始めた不穏な空気をラトサリーの声が払い除ける。
「サーブ。私、森に行きたい」
「えっ!」
サーブは思わず驚きの声を上げ、ラトサリーに顔を向ける。
「行きたいって、何で?」
「だって……私達、そのうち森の開拓をするんだから。今から慣れておかないと……ね?」
上目遣いでサーブを覗き込むラトサリー。サーブは息を飲んで目を逸らし、溜め息をくと諦めたかの様に笑みを浮かべてラトサリーを見つめる。
「そうだね。わかったよ。でも、あんまり無茶はしないようにね」
「えぇ、勿論よ。それに」
ラトサリーは一呼吸置き、カトラに目を向けながら言葉を続ける。
「そこら辺は室長様が上手く調整してくれるはずよ♪」
カトラはそう聞くと口角を少し上げてフライパンを火口に置き、ラトサリーに目を向ける。
「当然よ♪それじゃぁ、そろそろ焼き始めるから話しかけないで!あなたは別邸の使い道でも考えていなさい♪」
カトラは間髪置かずサーブに指示を出す。
「サーブは食器の準備!皿は温めるのよ!!」
「はっ、はい!」
サーブは慌てて台所を見回し、棚に駆け寄って皿を取り出す。ラトサリーは台所の隅の椅子に座り、左手を左頬に当てて目を閉じた。
フライパンを火口から遠ざけたり置いたり肉をフライパンから出したり乗せたりしながら鹿肉に火を通すカトラ。その最中に帰って来たオグマとカリフに『解体に参加しなかったあなた達の分は無い』と真顔で宣告するカトラの姿は暴君のそれだった。苦笑いする二人にサーブは自分の分を一緒にどうかと声をかけ、それから三人で談笑し始めた。
カトラが肉をトングで突いて笑みを零したと同時にラトサリーの左人差指が止まった。ラトサリーは頬から手を離して目を開けるとオグマに声をかける。
「あの、オグマさん。今日は家探しに行かれていたんですよね?良い家は見つかりましたか?」
「いや、今日は駄目だった。だから明日も探しに行こうと思ってるんだ」
「そうなんですか。空き家ってそんなに少ないのですか?」
「いや。無くはないんだが、家族を安全に住まわせるとなると条件が合わない所ばかりなんだ」
「そうでしたか。それって……」
ラトサリーは話を進めようとするが、切り分けた肉を皿に移し終えたカトラの呼び掛けが二人の会話を遮る。
「二人とも、食べないの?二人の分、食べちゃって良い?」
カトラはそう尋ねると包丁で肉を二切れ刺して頬張った。笑顔で噛みしめながら更に二切れ包丁で肉を刺すカトラ。オグマは慌ててカトラに駆け寄り、カトラと皿の間に割って入り肉の確保に取りかかる。二人の押し合いを笑顔で眺めるラトサリー。肉をしっかり堪能して飲み込んだカトラはラトサリーに声をかける。
「あなた、いらないの?本当に食べちゃうわよ?」
「食べるって。端の方の小さいのを一切れ頂戴」
ラトサリーはそう言うと立ち上がり、カトラの元に向かう。
「小さいの?良いけど……鹿は嫌い?」
カトラはそう言って肉を口に入れてから包丁を置き、フォークを取って肉を刺すとラトサリーに差し出す。
「いいえ、嫌いじゃないけど」
ラトサリーはそう言って肉が刺さったフォークを受け取ると肉を鼻に近づけて目を閉じ、香りを確かめ口に運び噛みしめる。
「すごい美味しい……きのこ塩とは全く違うわね。何これ?」
「良いでしょ♪南国の香辛料を使った獣塩三号よ♪」
カトラはそう言うと皿を取ってラトサリーに差し出す。
「この皿はあなたの分よ」
「もう満足よ、ありがとう♪」
「そう?……遠慮してる?」
「遠慮って言うか……」
ラトサリーはそう言うと少し照れた様子でカトラに目を向ける。
「人数増えたからカトラの分が減っちゃったと思って」
そう言われたカトラはラトサリーの肩に手を置き、真顔でラトサリーを見つめる。
「この恩は必ず返すわ」
カトラはそう言うとラトサリーが持っているフォークを奪い取り、目じりを下げて皿の肉を仕留めにかかった。




