46:出立
馬車が丘の頂を超えてトレダールが見えなくなった頃、カトラは少し顔を引きつらせてラトサリーに声をかける。
「あんたのパパさん、全然引っ込まなかったわね。御陰でこっちも余所行きの顔し続けなきゃだったじゃない」
ミラテースは呆れた顔をカトラに向ける。
「アンタさぁ、一人娘との別れなんだから……そんな事言うもんじゃないわよ」
「ふーん、そんなもんなの?……それにしてもラトサリー、あなたも良く振り続けたわね。腕、疲れなかった?」
ラトサリーは振り続けた手に目を向けながら口を開く。
「だって…………手を振る位はしないと……抱き締めるのを我慢してくれたんですから」
その言葉にカトラは顔を歪めてラトサリーに背を向ける。空気が一変したことにミラテースは首を傾げ、ラトサリーに尋ねる。
「何だ?どうしたんだ?……『我慢』って、どういう事だ?」
ラトサリーは暫しの沈黙の後、自分が男性恐怖症の治療中である事を告げた。
重い空気が馬車後方に流れる中、馬車は王都郊外の街道口に辿り着く。広場には何台も馬車が停まり、旅の支度や荷物の移し替えをしていた。サーブは広場を見渡しながら馬車をゆっくり進め、一台の幌馬車の前で止まると御者席にいる男に声をかける。
「オグマさん、お待たせしました」
「いや、さっき着いたばかりだ。あっちに移って打ち合わせをしよう」
男からそう言われたサーブは頷き返すと馬車を動かし、オグマはサーブに続いて移動を始める。広場の一角に馬車を横並びで止めた二人は御者席から降りて馬車後方に移る。オグマが乗っていた馬車の後方からもう一人男性が降りて来た所でサーブはカトラに呼びかける。
「カトラさん。宮総研の方々ですよ。みんなに紹介してあげて下さい」
カトラは面倒くさそうに馬車から顔を覗かせ、二人に軽く手を振ってからラトサリーに顔を向ける。
「でかい方がオグマ、もう一人の方がカリフよ。アンタは会った事があるわよね」
そう言われたラトサリーは二人に目を向け、頭を下げる。
「……その節はお世話になりました」
オグマとカリフは少し照れた様子でラトサリーに会釈を返す。サーブはオグマとカリフの反応を伺ってから二人に声をかける。
「オグマさん、カリフさん。妻のラトサリーと、奥にいるのが息子のアドエルと世話役のミラテースさんです」
フードを被ったミラテースに会釈するオグマとカリフ。サーブは一通り顔合わせが済んだと見てオグマに声をかける。
「オグマさん、警護でもう一台という事でしたけど、そちらはまだ到着していないですか?」
「あぁ、まだみたいだ……いや、今来た所だ」
オグマがそう言いながら視線を向けた先から馬車が二台、ゆっくりとラトサリー達の元に向かって来ていた。先頭を走る荷馬車の御者はラトサリーが見慣れた人物だった。ラトサリーは馬車から飛び降り、向かってくる宮総研の荷馬車へと駆け寄る。御者の後ろから顔を覗かせるフレールはラトサリーに笑顔を向ける。
「ラトサリー♪」
そう声を上げたフレールは荷馬車が止まる前に御者のウヌカを押しのけて飛び降り、ラトサリーに駆け寄り彼女を抱き締める。
「フレール様。どうしてここに?」
「あなた達を見送りに来たに決まってるでしょ♪」
フレールはそう言うと、抱き締める腕に更に力を込める。
「元気でね」
「……はい」
ラトサリーもフレールの背中に腕を回して抱きついていると、停まった馬車から降りてきたウヌカがラトサリーに優しく声をかける。
「ラトサリー」
ラトサリーはゆっくりとフレールから離れ、ウヌカに歩み寄り彼女の胸に顔をうずめて背中に両手を回す。ウヌカは右手をラトサリーに頭に置いて優しく撫でる。
「体には気を付けるのよ」
「えぇ……」
「剣の稽古は続けるのよ」
「えぇ……え?」
ラトサリーはウヌカの胸から顔を離し、目を丸くしてウヌカを見上げる。ウヌカはラトサリーの頭を撫でながら恍惚とした笑みをラトサリーに向ける。
「カトラに本気を出させる位になったら連絡して下さいね♪」
「え……えぇ……」
多少引きつった笑顔で返事をするラトサリーを見て満足げに頷くウヌカ。フレールは呆れた様子で溜め息をつくとラトサリーに声をかける。
「ラトサリー。護衛を紹介するわ。ついて来て」
フレールがそう言って歩き出すと同時にウヌカはラトサリーの頭に置いていた手でラトサリーの肩を軽く叩く。ラトサリーはウヌカから体を放してウヌカに軽く会釈すると、小走りでフレールを追う。フレール達が乗って来た荷馬車の後ろに停まる幌馬車の横でサーブは五人の男と言葉を交わしていた。フレールが近づいてくるのが目に入った男達は会話を止め、姿勢を正してフレールに頭を下げる。フレールは男達に近寄りながら笑顔で声をかける。
「そんなに改まらなくても大丈夫よ♪今日は宮総研の一員としてここに来ていますから」
そう聞かされた男達は表情を崩してフレールに軽く会釈をする。フレールは微笑みながら会釈を返し、追い付いてきたラトサリーに顔を向ける。
「ラトサリー。今回あなた達の護衛を兼任してくれる警護部の方々よ」
紹介された男達はラトサリーに笑顔を向ける。ラトサリーはフレールの言葉を不思議に思いながら男達に会釈を返し、面識のある男に声をかける。
「コンデッド様、お久しぶりです」
「おぅ、覚えていてくれて嬉しいぞ」
「宜しくお願いします。それにしても部長様に護衛をして頂けるなんて、恐縮です」
「まぁ、今回はお前達に便乗して経費の節約をさせてもらう身だ。こちらこそ宜しく頼む」
「っ?便乗、ですか?」
「あぁ、その辺は何も聞いていないようだな。後でサーブから聞いてくれ。最終確認が済み次第出発するから、貴女は馬車に戻ってくれ」
ドートルはそう言うとフレールに頭を下げ、サーブ達の方に向き直って真面目な顔で話し合いを再開させる。ラトサリーはフレールと共に向きを変えて馬車へと戻り始める。宮総研の馬車の横まで進んだ所でフレールはラトサリーに声をかける。
「ラトサリー、あなたに渡す物があるの。ちょっと良い?」
「は、はい」
フレールが立ち止まったのでラトサリーは慌てて立ち止まる。フレールはウヌカに目配せするとラトサリーに笑みを向ける。ウヌカは馬車の荷台に手を伸ばして剣を一振り取り、フレールに近づいて手渡す。受け取ったフレールは笑顔で剣に目を向けてから顔を上げ、ラトサリーに剣を差し出す。
「あなたにコレを渡すようにノート先生から言われているの」
差し出された短剣を目の前にしてラトサリーは不思議そうな顔をフレールに向ける。
「あの、ノート様から、と言うのは?」
フレールはニヤニヤしながら口を開く。
「まあ、色々あってね♪先生たっての願いだから、受け取って頂戴♪」
「……分かりました、ありがとうございます。ノート様に宜しくお伝え下さい」
笑顔でそう言って両手で剣を受け取ったラトサリーだったが、受け取った手応えに目を丸くさせてフレールに顔を向ける。
「フレール様!この剣、軽すぎです!何ですかこの剣?」
「ふふふ♪凄く軽いでしょ♪でも、実戦でも十分使える強度はあるから、安心して使って頂戴♪」
何やら怪しげに笑ってそう言うフレール。ラトサリーが不思議そうに剣を眺めていると、ウヌカはフレールの横に移りラトサリーに声をかける。
「ラトサリー、これも受け取って下さい」
ラトサリーがウヌカに顔を向けると、ウヌカは大剣を手にしてラトサリーに笑顔を向けていた。ラトサリーは顔が引きつるのを抑えながらウヌカに笑みを向ける。
「ウ、ウヌカ?その剣は?」
「所長の部屋で練習した時の剣です。是非この剣でカトラと稽古して下さい♪」
屈託の無い笑みを浮かべるウヌカから大剣を受け取るラトサリー。右手で受け取ったラトサリーは剣の重みを感じながら引きつった笑みをウヌカに向ける。
「あ、ありがとうウヌカ。使わせて……もらうわ」
気配が混沌としてきたのを見かねたフレールは呆れた様な笑みを浮かべてラトサリーに声をかける。
「ラトサリー、出発する前にあなたが選んだ子を紹介して頂戴」
「は、はい。是非そうさせて下さい」
ラトサリーはホッと胸をなでおろすとフレール達を馬車へと案内する。馬車の後方に着いたラトサリーはミラテースを呼ぶ。
「ミラテース。アドエルを紹介したいの。よろしく」
呼ばれたミラテースはフードを深くかぶり直してアドエルを抱き上げ、馬車後方へと移ると座ってアドエルを自分の膝に座らせる。ラトサリーは短剣を脇に抱え直し、アドエルを左手で指しながらフレールに顔を向ける。
「フレール様、アドエルです。あと、世話役のミラテースです」
不思議そうにフレールを見るアドエルの頭にミラテースは手を添え、フレールに頭を下げさせながら自らも頭を下げる。フレールはミラテースに頭を下げてからラトサリーに微笑みかける。
「可愛い子ね♪」
そう言ってからフレールはアドエルに顔を向け、微笑みながら頭を撫でようとする。その時、馬車の前方からサーブが大きな声で後ろに呼びかける。
「ラトサリー、出発するよ」
フレールは残念そうに手を止め、笑顔を曇らせてラトサリーに声をかける。
「もう時間みたいね。乗りなさい、元気でね」
ラトサリーはフレールとウヌカに頭を下げ、短剣をミラテースに差し出しながら声をかける。
「ミラテース、ちょっと受け取ってくれる?」
「えぇ」
ミラテースはアドエルを脇に座り直させてから短剣を受け取り、思わず驚きの声を上げる。
「っ軽!何この剣?」
「頂いたの。こっちもよろしく」
「えぇ、って!重っ!長っ!何なのよこの剣!!」
ミラテースは重さにと長さに顔を歪めながら大剣を受け取り、邪魔にならなそうな隙間を探し始める。ラトサリーは左手でスカートを抑え、側板に右手をかけて馬車に飛び乗りフレールに顔を向ける。
「そう言えばフレール様、カトラに声をかけていませんよね。そこで寝転がってますから起こしますね」
「あっ、大丈夫よ」
フレールの意外な言葉にラトサリーは目を丸くさせる。ラトサリーの反応に気付いたフレールは少し悲しそうな笑みを浮かべて口を開く。
「大丈夫よラトサリー。あの子、そう言うの面倒くさがるし」
「え、でも……」
ラトサリーが言葉を出せずにいると馬車がガタンと揺れ、フレール達からゆっくりと離れだす。ラトサリーは慌てて荷物の隙間に体をねじ込み、奥で横になっているカトラに声をかける。
「カトラ、フレール様達に挨拶しないで良いの?」
「……何で?」
「何でって。暫く会えなくなるし、これが最後になるかもしれないのよ」
「いやぁ、最後は無いでしょ♪それに、暫く会えないだけなら別に必要無いでしょ。その程度でどうこうなる関係でもないし」
軽い口調のカトラにラトサリーは苛立ちを顔に滲ませ口を開く。
「そうかもしれないけど……フレール様、悲しそうな顔されていたわよ」
カトラが僅かに顔色を曇らせたのを見てラトサリーは声を荒げる。
「カトラ、最後に見たフレール様の顔があんな悲しそうな顔なんて嫌なの!お願い、カトラ!!」
カトラは目を閉じると面倒くさそうに息を吐いて起き上がり、ラトサリーを押しやって馬車の後方に移る。馬車から少し身を乗り出すカトラ。どうにか表情が分かる程の場所から手を振り続けるフレールを目にしたカトラはぎこちなく右手を上げる。フレールの振る手の動きが激しくなった事に気付いたカトラは恥ずかしそうに手を振り返す。ラトサリーはそんなカトラの隣に移って横目でカトラの表情を覗き込み、クスっと笑う。カトラは頬を幾分か赤らめながら横目でラトサリーを睨む。
「なによ……」
ラトサリーはフレール達の方に顔を向けながら答える。
「ありがとう、カトラ♪」
カトラが顔を紅潮させる横でラトサリーは笑顔でフレール達に手を振り、二人が見えなくなるまで振り続けた。
第一部 完
ここまでお読み下さりありがとうございます。
ここまで書き上げる事だけでも奇跡だと言うのに、ここまで読んで下さる方がいらっしゃるなんて、
奇跡に遭遇しすぎで今後が心配です……
次話から「カタアギロ」編になります。
進行状況は現状で半分ちょっとって位で……
書き上がったら一気にアップします。
その時、もしも覚えていて下さっていたのであれば目を通してみて頂ければ幸いです。
それでは
2022年12月13日 彩田
第二部、投稿準備整ったのでアップします。
2023年10月




