45:別れ
アドエルとミラテースがラトサリーの家に着いた翌日、カトラは修復途中の納屋で午前中の業務をこなしていた。宮総研から届けられた書類に目を通していたカトラは一枚の書類を見て手を止める。カトラはその書類を脇に取り分け残りに目を通し終えると立ち上がり、取り分けた書類を手に取ってラトサリー達の元に向かう。
裏口から台所に入ったカトラはラトサリーに声をかけようとするが思い留まる。ラトサリーは椅子に座り、作業台の上にある皿に乗せられた玉ネギに両手をかざしていた。その隣でアドエルは椅子の座面に立ち、別の皿に乗せられた玉ネギに手をかざしていた。
孤児院からの帰り道、カトラのいい加減な相槌の御陰で互いの生い立ち等の基本的な情報の交換が出来なかったラトサリーとミラテース。そんな中、カトラが真面に参加してきた話が自然術式に関する話だった。
指輪の能力に興味を抱いたミラテースは術式にもその力が及ぶか尋ねた。その力を活用して鋭意特訓中であると答えたラトサリー。するとミラテースは指南役になる事を申し出た。森の民にその力が向けられる事になる可能性をラトサリーは指摘したが、ミラテースはそれを鼻であしらった。『アドエルの受け入れを拒否した集団に配慮は無用』と息巻いたミラテース。アドエルの術式の訓練への同席を提案されたラトサリーは喜んで応じた。
ミラテースはアドエルの横で彼の首の後ろに右手を置いて支えているようだった。アドエルが手をかざす玉ネギに湯気が纏わりつくのを見たミラテースアドエルから手を放す。湯気が玉ネギを覆い続けているのを見たミラテースは満足気に口を開く。
「そう、その感じよ。そのまま維持しなさい」
アドエルが無言で頷いたのを見てミラテースはラトサリーの横に移る。ラトサリーが手をかざす玉ネギの周りから蒸気が渦を巻いて上り続けるのを見たミラテースは微笑みながら口を開く。
「この感じなら、もう一押しね」
ミラテースはそう言いながらラトサリーの首の後ろに右手を置き、玉ネギに視線を向けて息を静かに吐く。するとラトサリーが手をかざす玉ネギの周りが蒸気で覆われ始める。蒸気が玉ネギに纏わりついた所でミラテースはラトサリーに目を向けて尋ねる。
「どう?感じは掴めそう?」
ラトサリーは肩をすぼめて顔を赤らめながらミラテースに目を向ける。
「ムズムズして……それ所じゃ……」
「そう。じゃぁ、ちょっとだけ力の流れを強くするわよ」
ミラテースのその言葉と共にラトサリーの頭の中で音が激しくなり始め、ラトサリーは肩をくねらせ始める。
「ちょっ……んっ……」
「力の流れを掴めるまで我慢しなさい、慣れるまでこのままいくわよ」
ラトサリーを気遣う素振りを見せる事無くミラテースは首に当てた手に力を込め続ける。ラトサリーが顔を歪めて声を押し殺していると、見学を決め込んでいたカトラはミラテースに声をかける。
「ミラテース、あんた、そんな趣味あるんだぁ♪」
ニヤニヤしながら声をかけたカトラに向けてミラテースは冷やかな視線を投げる。
「変な事言わないで。この子が早くアドエルに追いつきたいって言うから厳しめにやってるだけよ」
その言葉を聞いたラトサリーは玉ネギに手をかざしたまま紅潮させた顔を縦に振る。ミラテースはその反応を見るとニヤっと笑ってカトラに顔を向ける。
「ほら、この子も納得してるでしょ」
「そうね。まぁ、そう言う事にしておいてあげるわ。それにしても、そんな練習方法があったとはね……」
「アンタにもやってあげるわよ、遠慮一切無しで」
「本当?それじゃぁ、夜警が来たらお願いしようかしら♪それに、あなたの側の練習もしたいわ。練習台になって頂戴♪」
「イヤよ何か怖いし。それで?ただ覗きに来た訳じゃないんでしょ?」
「えぇ。でも、それが一区切りついたらにするわ」
カトラがそう言いながら指差した先には、手を玉ネギにかざしながら涙目で悶えるラトサリーがいた。
「あなた達の住居と分室の準備が整ったそうよ」
カトラは手に持った書類をヒラヒラさせながらラトサリーに告げる。
「そう……それで……いつ出る?」
作業台に突っ伏して肩で息をしながら尋ねるラトサリー。書類に目をやりながらカトラは口を開く。
「そうね……私の方は……早くて明後日には出られるけど、そっちはどう?」
「明後日ねぇ……明日の夕方には……父が帰って……来るから……その時にアドエルと……ミラテースを紹介して……明後日出発でも大丈夫よぉ」
「そう?それじゃぁ、明後日出発で調整するわね」
そう言ってカトラは納屋に戻ろうとするが、ミラテースは信じられない様子でカトラを呼び止める。
「カトラ、ちょっと待ちなさい!娘と暫く会えなくなる父親の気持ちを考えてないでしょ。もう少し延ばしてあげなさい」
「えー、面倒ねぇ…………でも……まぁ、そうね、一人娘だし。もう数日延ばしましょうか。ラトサリー、それで良い?」
「……いいわよぉ」
クタっとしたまま返事をするラトサリー。ミラテースは呆れた顔でラトサリーを見つめ、少し悲し気に口を開く。
「まったく……家族との時間は取れる時に取っておきなさい」
ミラテースはそう言うとアドエルの横に移って彼を抱きかかえ、程好く熱が通った玉ネギを残して外へ出て行った。
それから四日過ぎた早朝。
ぼんやりと暗い空を覆う雲の輪郭が見え始めた頃、サーブは大きな荷物を背負ってラトサリーの家にやって来た。サーブは夜警の仮設詰所に挨拶をしてから馬車の荷台に荷物を載せ、馬車に馬を繋ぐ準備を始めた。二頭目の馬が繋ぎ終えられ、サーブが各所の確認をしていると家の玄関の方から音が鳴った。サーブは音がした方へ目をやりながら手拭いで手を拭き、玄関へと歩きだす。
荷物を持って外に出たラトサリーは、玄関へと向かってくるサーブに気付き笑みを浮かべる。
「おはよう、サーブ。早いわね」
「おはようラトサリー。馬車の準備があるからね」
サーブはそう言いながらラトサリーの荷物を持ち、続いて外に出て来たミラテースへと歩み寄る。
「おはようございます、ミラテースさん。荷物持ちますよ」
挨拶をしながらサーブはミラテースの荷物を持とうとするが、ミラテースは体を横に逸らしてサーブの手を避ける。
「こっちは良いから。父君のを持ってやったらどう?」
ミラテースにそう言われサーブは玄関の方に目をやると、トレダールが両手に荷物を持ってゆっくりと外に出ようとしていた。
「おはようございます、お義父様。お持ちします」
サーブはそう言いながらトレダールに歩み寄り、荷物に手を伸ばそうとする。
「いや、大丈夫だよサーブ」
そう言われたサーブは不思議そうに顔を上げると、トレダールは少し寂しそうな笑みをサーブに向ける。
「娘と孫の荷物だ。今日は持たせてもらいたい」
「……そうですか。分かりました」
サーブはそう言いながら微笑みを返し、トレダールと並んで馬車へと歩き出す。トレダールは馬車の方に目をやりながらサーブに尋ねる。
「サーブ。荷物は本当にこれだけで良いのかい?カトラさんはあんなに持っていくと言うのに」
馬車の後ろにはカトラの荷物が仮置きされ、納屋から更に荷物がカトラの手により運び出されていた。サーブは朗らかな顔をトレダールに向ける。
「カトラさんは宮総研としての荷物もありますからね。それに、こっちに出来るだけ物を残しておきたいと言うラトサリーの意向ですし」
「……そうか」
トレダールは釈然としない様子で荷物を運び、馬車の後部に乗り込んだサーブに荷物を渡す。その流れでカトラの荷物の積み込みを手伝いながらトレダールはラトサリーに声をかける。
「ラトサリー、忘れ物は無いな?向こうに行ってから気付いても遅いぞ」
「もぉ……何回目よ。十分確認したから大丈夫よ」
呆れ顔で答えたラトサリーは納屋の方に目をやると、カトラは長い剣を片手で持ちながら納屋の扉を閉めていた。ラトサリーは積み込みの手伝いを終えたトレダールに声をかける。
「お父様」
トレダールは手を軽くはたきながら息を整え、ラトサリーに体を向ける。ラトサリーは微笑みながら口を開く。
「それでは、行きますね……お元気で」
「お前もな……手紙位は書いておくれよ」
ラトサリーは微笑みながら頷き、先に馬車に乗っていたミラテースの手を借りながら馬車に乗り込む。トレダールはミラテースとアドエルに目を向け、ミラテースに声をかける。
「ミラテースさん。娘と……娘とアドエルを宜しく頼みます」
ミラテースは無言で頷き返す。トレダールはミラテースに抱っこされたアドエルに微笑みかけるが、カトラの声に邪魔される。
「パパさん、ちょっと横にずれてくれます?」
「あ、あぁ、すまないカトラさん……っ!カトラさん、その剣は……」
カトラの背丈程ある剣に目をやり驚くトレダール。その反応に首を傾げながらカトラは馬車へと飛び乗る。トレダールは動揺しながらもカトラに声をかける。
「カ……カトラさん。娘とアド……孫を宜しくお願いします」
「まっかせなさい♪」
笑顔でそう言うカトラにトレダールは引きつった笑みを返し、御者席の方に移るとサーブに声をかける。
「サーブ。娘を頼んだよ。もう行きなさい」
「え?もう良いんですか?まだ大丈夫ですよ」
「宮総研の方々を待たせるのは失礼だろう。行きなさい」
「……そうですか、分かりました。それでは、お義父様、お元気で」
サーブは軽く会釈をしてから馬に鞭を入れる。ゆっくりと動き出した馬車を見守るトレダールは馬車後部から手を振るラトサリーに手を振り返す。馬車が丘を登りその姿が見えなくなるまでトレダールは手を振り続けた。




