43:孤児院8
応接室で契約書に署名を終えたラトサリーはアドエルを迎えるべく階段を上っていた。その後ろでミラテースはカトラに向かって怒気に満ちた視線をぶつけ、カトラはヘラヘラ笑いながらその視線を受け流していた。
サニアが院長のハンナを呼びに行っている間、ラトサリーは契約書に目を通して待つ事になった。引き取った子供を健やかに育てる事を約束させる条文が冒頭にある事にラトサリーは身を引き締められる事になった。条文の大半が子供の福祉に関わる内容で、寄付や協力金は任意と最後の方に申し訳程度しか書かれていなかった。子供の福祉が危ぶまれると判断された場合は制裁が下されるとの記載を見て孤児院に制裁を加える力があるのか疑問を抱いたラトサリー。だが、署名欄にある公爵家の印章を見て驚きながらも納得する事になった。
ミラテースは助手としての立ち振る舞いについてカトラと詳細を詰めようとした。だが、カトラはミラテースの反応を楽しむかのように変な提案ばかり口に出した。『握った手を両頬に当てて語尾は「ピョン」と可愛く言う設定はどう?あなたの素性なんてどうでもよくなるわよ♪』との提案に怒りを覚えたミラテース。結局無口で通す事になった。
ハンナを引きつれて戻って来たサニア主導で契約書の作成は行われた。増えた連れを見たハンナもサニア同様ミラテースに警戒するような目を向けたが、カトラのいい加減な説明に一応納得した様子を見せた。だが、『円形のハゲが三ケ所も出来ているからフードは外せない』と言う説明にミラテースの舌打ちが部屋に響いた。
契約書に署名をしながらラトサリーは公爵家の印章についてハンナに尋ねた。『肩書を隠して運用した方が変な貴族が寄ってこないと言って二代目が変えた』とハンナは笑いながら答えた。甘い考えで養子縁組を依頼してきた人は契約書を見て恐れをなして帰るし結構有効な手法だと溜め息混じりに説明を付け加えるハンナ。神妙な面持ちで話を聞いたラトサリーはこの後四枚の書類に署名したが、署名するラトサリーの手に躊躇が全く見られない事にハンナは笑みを浮かべた。
二階の廊下を進み、子供の寝室の前に着いた一行。サニアはラトサリーの後ろの二人の間で漂う異様な空気を気にしながら扉を開け、大きめな声で呼びかける。
「アドエル、お待たせ」
サニアは扉を押さえながら部屋を見渡す。すると間仕切壁の向こう側から声が上がる。
「サニアさん、こっちの部屋です」
「あぁ、ありがとう」
サニアは隣の部屋に向かって返事をすると一行が部屋に入った事を確認して扉を閉め、間仕切壁の扉へと足早に移り扉を開ける。ラトサリーはサニアが押さえている扉を通り、子供達の中にいるはずのアドエルを探す。ミラテースも皆に続き部屋に入ると、廊下側の扉の近くで荷物に腰をかけていた子供が満面の笑顔でミラテースに駆け寄る。
「ミラーー♪」
アドエルは駆け寄った勢いそのままミラテースの足に飛びつき、顔を上に向けてミラテースに笑顔を見せる。ハンナとサニアはその様子を見て怪訝な顔をするが、直ぐに顔を強張らせて顔を向け合う。サニアは動揺を隠す事無くラトサリーに声をかける。
「ラっ、ラトサリーさん?何でアドエルがこの……この方の名前を知っているのです?」
質問をぶつけられたラトサリーはすでに左手の平を頬に当てていた。アドエルがミラテースの名前を呼んだ時からラトサリーはハンナとサニアに背を向け、何と言い訳するか必死に考えていた。だが、サニアに問いかけられる段になっても何も思いつかず、カトラに助けを求める視線を送る。そんなラトサリーにカトラは右親指を立てながら意地悪そうな笑みを見せる。息を飲んで固まるラトサリー。ミラテースはそれぞれの様子を見て鼻で笑うと膝をついて屈み、アドエルの頭に手を置いて撫でながらラトサリーに笑みを向ける。
「術式の素養十分ですね、この子」
「っ!そっ、そうですね!何か術式を使って知ったのかもしれませんね!」
アドエルはラトサリーの言葉を否定する為に口を開こうとする。ミラテースはその動きを察して手をアドエルの口に当て、首を横に振る。アドエルは不思議そうな目をミラテースに向けるが、ミラテースに見つめられ首を縦に振る。ミラテースは微笑みをアドエルに見せてから彼を抱き寄せて口を開く。
「本当に良い子ですね、アドエル」
ミラテースに身を委ねるアドエルを見ながらハンナは首を傾げる。サニアはミラテースを見ながら顔を引きつらせ、小声で呟く。
「……なんで?なんでこの人にこんなに懐くの?」
ラトサリーは再びカトラに視線を送るが、カトラは追い払うかの様に手を振りながらラトサリーに笑みを向ける。顔を引きつらせたラトサリーは軽く溜め息をつき、恐る恐るサニアに顔を向ける。
「えっと、サニアさん?……その……子供に好かれる特異体質とかあるのではないですか?」
「そんなの聞いた事ありません!」
サニアから恨めしそうな目を向けられラトサリーはサニアから視線を逸らし、逸らした視線のその先でヘラヘラ笑っているカトラを睨みつけた。
ハンナ達に別れの挨拶をして玄関を出たラトサリー達。玄関から幾分か離れた所まで進み、アドエルを抱っこして歩くミラテースはラトサリーに不満気な顔を向ける。
「ねぇ、なんでこの女が手ぶらでアンタが荷物を持ってるワケ?」
「え?いや、これはアドエルの荷物ですし、カトラは私の……」
そこまで言ってラトサリーは口をつぐむと眉をひそめてミラテースから視線を逸らす。予想外の反応に戸惑うミラテース。
「な、何なの?そんな聞いちゃいけない事なの?」
ラトサリーは暫し思い悩む素振りを見せた後、真剣な眼差しをミラテースに向ける。
「カトラは……私の護衛役であると共に監視役なんです。どうしてそうなったかは馬車の中で説明します、あなたには話さないといけない事ですし。それで良いですか?」
「わ、わかったわ……」
ミラテースが神妙な面持ちで了承したのを見てラトサリーは軽く息を吐き、少し和らげた顔をミラテースに向ける。
「ありがとう。でも、その前に私の夫を紹介しないとね」
ラトサリーはそう言うと歩く速さを上げる。ミラテースも足を早めるが、心配そうな顔でカトラに声をかける。
「ねぇ、護衛で監視って。どうなってるのアンタ達、大丈夫なの?」
カトラは意地悪そうな笑みを浮かべて口を開く。
「今、私が『大丈夫』って言ったとして……あなた、信じる?」
ミラテースは嫌な顔をしてカトラから目を逸らす。その反応にカトラは満足気な笑みを浮かべながら口を開く。
「まぁ、彼女の旦那は超絶良い奴だから。そこは大丈夫と言っておくわ♪」
ミラテースは怪訝な顔をカトラに向けるが、呆れたような笑みを浮かべて口を開く。
「アンタが良い奴って言うなら……旦那は大丈夫そうね」
怪しげな空気を醸しながら進むカトラとミラテース。後ろの会話を聞いていたラトサリーは苦笑いを浮かべながら門へと進み、通用口から外に出る。馬車は向きが変えられ、門を塞がない位置に停まっていた。




