3:聞こえ始めた音と指輪
3 聞こえ始めた音と指輪
「良かったぁ、大きさピッタリですね♪ 」
喜びで顔が一杯になるサーブとは裏腹にラトサリーは突然の重低音に体が固まり、目を泳がせながらサーブに問いかける。
「……サ、サーブ?…………何か凄い音がしませんでしたか? 」
硬直したままどうにか言葉を捻り出すラトサリー。サーブは辺りを見渡しながら笑顔で答える。
「音ですか?……いえ、特に……何も聞こえませんでしたが」
サーブの返事にラトサリーは硬直の度合いを増しながら両眼を大きく見開く。その様子を見たサーブは不思議そうに口を開く。
「場所を変えれば自分にも聞こえますかねぇ……」
そう言いながらサーブは荷車を再び押し始め、辺りを見渡しながら足を進める。サーブには本当に聞こえていないのだと悟ったラトサリーは彼を追いつつ指輪を外そうとするが外れない。
(え?外れない?……仕方ない、家に帰ってからにしよう)
指輪を外す事を後回しにすると決めて更に数歩歩いたラトサリーだったが、
【 ティロン♪ 】
聞いた事の無い軽やかな高音が微かに聞こえた事で肩をピクっとさせ立ち止まる。辺りをキョロキョロと見ながらラトサリーは再度サーブに呼びかける。
「サーブ……また変な音が聞こえたのですが」
門に辿り着いていたサーブは彼女の方を向き、首を傾げる。
「……何も聞こえませんでしたが」
サーブはそう言って多少怪訝な顔をしながら手を耳元に当てて耳を澄ませる。ラトサリーは左手を頬に当て首を傾げながら歩き出し、門の前で心配そうに彼女を見るサーブに追いつく。
「雲行きが怪しくなって来ているせいですかねぇ?それに……今日は買い出しでしたし。疲れたのでは?」
サーブはそう言いながら耳元から手を離して荷車の横に移る。ラトサリーは作った笑顔をサーブに向ける。
「えぇ……そうなのかもしれません、今日はゆっくり休む事にします。荷車ありがとうございました」
彼女の笑顔を見て鈍感なサーブは心配そうな顔を少し和らげる。
「是非ゆっくり休まれて下さい。お手伝いできる事がありましたら何でも致しますので、声をかけて下さい」
サーブはそう言うと名残惜しそうに別れの礼をして帰途につく。ラトサリーが門の前で暫く見送っていると、サーブは振り返って大きく手を振ると向き直って歩を早めた。
サーブが改めて家路に就いた事を確認したラトサリーは、荷車の持ち手を握り体重をかけて荷車を押し始める。三歩程押し歩いた時、
【 ティロン♪ 】と再び軽い高音がラトサリーの耳に入る。立ち止まり辺りを見回すがやはり何も無い。改めて動き出し三歩程進んだ時、
【 ティロン♪ 】と再び聞こえ再度足を止めたラトサリーにある考えがよぎる。
(これって・・・何処かというより頭の中で鳴っている・・・? )
眉をひそめるも再び荷車を押し進む途中にも音は鳴り、勝手口に辿り着いた時に七回目が鳴る。その直後、管楽器の合奏のような
【 テテテッテーテーー♪ 】という大きな音が鳴り響く。新たな音に硬直するラトサリーは止まったそのままで思考を巡らす。
(この音は…………サーブは聞こえないと言っていたという事は……)
(私だけ聞こえる音という事?……でもなんで?……)
(今までこんな音は聞こえた事は…………無い……今日が初めて……)
(……今日…………買い物……サーブ……指輪……)
「やっぱり、この指輪よね……」
そう呟いたラトサリーは右手の指輪に目を向け指輪を外そうとするが、外れない。指輪を摘まんだ左手に力を込め捩じりも加えて指輪を引き抜こうとすると、
【 デロデロデロデロデン 】と重低音が響き渡り、指輪はビクともしない。
(この指輪!外れない!?それにこの音は?!)
指輪を睨みつけたラトサリーは冷たい強風を感じて空を見上げる。指輪に気をもんでいる状況ではないと判断したラトサリーは買い込んだ荷物の運び込みに取り掛かる。
荷車から食材を取り出し台所の作業台の上に運ぶ度に
【 ティロン♪ 】と鳴って気が滅入りそうになるラトサリーだったが、折角買った食材の為と言い聞かせながら急いで軽い荷物を運び込む。
最後に荷車の底に横たわる玉ネギでパンパンになった大袋に手を伸ばし、口紐廻りを両手でワシッと掴み袋を縦向きに起こす。
【 ティロン♪ 】
袋をガシっと持ち直し、鳴る音への苛立ちを込めて力一杯一気に袋を持ち上げる。
【 ティロロロロロン♪ 】
眉間にシワを寄せながら地面に袋を下すとラトサリーは大きく息を吸い、声を荒げる。
「鳴りすぎ!!!」
不満を吐きながらラトサリーは口紐廻りを両手で握り直し、腕を伸ばした状態で膝と腰に力を込め、袋を持ち上げる。
【 ティロン♪ 】
やはり鳴るかと諦めるが、今度は一歩進む度に軽い高音が鳴る。勝手口を抜けた所で
【 テテテッテーテーー♪ 】と鳴り響き、思わず動きを止めるが直ぐに収納庫へと歩を進める。収納庫の前に辿り着くまでにも軽い高音は鳴り続け、収納庫の扉の前に袋を降ろしたラトサリーは膝に手を当て溜息をつく。
窓がガタっと音を立てたのでラトサリーは身を起こし窓の方を見る。窓の向こうに見える雲の気配が更に怪しくなってきたように感じ、彼女は外に置いたままの荷車を仕舞うべく小走りで外に向かう。納屋に荷車を仕舞う間にも
【 ティロン♪ 】【 ティロン♪ 】と音は鳴り止まず、建付けが悪い納屋の引戸を苛立ちと力を込めて閉めた時に【 テテテッテーテーー♪ 】と鳴り響く。
「この音は…………」
苦い顔をして呟いくラトサリー。引戸の握りに手をかけたまま硬直していると、納屋の屋根に当たる雨粒の音が聞こえ始める。雨音によって硬直を解かれラトサリーは母屋へと走り戻るが、走ると【 ティロロロロロン♪ 】と鳴り続け、勝手口から台所に駆け込んで扉を閉めた時に【 テテテッテーテーー♪ 】と鳴り響く。彼女は目に涙を滲ませながら叫んだ。
「この音はなんなの!!!!」
肩で息をしながらラトサリーは流し台に向かい、石鹸を多めに使って手を洗い始める。指輪廻りに泡をすり込み、指輪をしっかり摘まむと捻って引っ張る。
【 デロデロデロデロデン 】
重低音が鳴り響き指輪は外れる気配を見せない。ラトサリーは顔を引きつらせ、大きな溜め息をつくと手を濯いで手拭いに手を伸ばす。手を拭き、雨で濡れた髪と服を拭きながら腰掛けに向かうラトサリー。手拭いを畳みながら腰掛けに座り、畳んだ手拭いを作業台に置いてラトサリーは静かに長く息を吐き、右手を顔の前に近づける。
「これって……」
思わず声を漏らすラトサリー。指輪は指にピッタリ貼り付いているかの様で、更に良く見ると指と指輪が一体化しているかの様だった。ラトサリーは右手を更に顔に近づけ、指輪を引っかいたり爪でコンコン叩いたりじっくりと観察を始める。そして、ふとラトサリーは手を止めてボソッと呟く。
「動かないと……鳴らない?」
ラトサリーは息を大きく吸って立ち上がると作業台の周囲を歩き始める。二周程ゆっくり歩き、
【 ティロン♪ 】と鳴った所で彼女は立ち止まり、少し考えた後にその場で軽く跳躍を始める。ピョンピョンピョンッ、と跳ねて
【 ティロン♪ 】と一度鳴った所で跳ねるのを止める。
(どうやら動く事で小さい音が鳴るようね……)
そう推測した彼女は更に跳ね続けようとしたが、台所に埃が舞う事を危惧して思い留まる。
(…………あの合奏みたいな大きな音は?……鳴ったのは…………)
左手を頬に当てながら台所を見回し、床に転がる袋が目に入ったラトサリーはゆっくりと袋に歩み寄る。ラトサリーは玉ネギが入った袋に左手を伸ばし、口紐廻りをガシっと掴み力一杯引っ張り上げると僅かに袋を持ち上げる。
【 ティロロロン♪ 】
左腕をプルプル震わせながら鳴る音を確認した彼女は袋を持ったまま一歩、さらに一歩と歩いてみる。
【 ティロロン♪ 】【 ティロロン♪ 】
思惑通り多めに鳴ったので、さらに三歩程音を確認しながら歩いた時、
【 テテテッテーテーー♪ 】と例の大きな音が鳴り響く。ラトサリーは袋をその場に降ろし、痺れた左手を右手で揉みながら大きなため息をつく。
(これは……小さい音が何回か鳴ったら大きな音が鳴るって事ね……)
思った通りの音が鳴った事にラトサリーは渋い顔をしながら袋を両手で掴み、持ち上げてゆっくり収納庫の前へ戻って袋を置く。小さい高音は歩く度に鳴ったが大きい音はしなかった。ラトサリーは大きく息を吸い込みながらゆっくり身を起こし、深く息を吐くと台所を出て用を足してから自室に向かった。部屋に入ったラトサリーは窓に目を向けながら椅子に座る。
(……雨……止まないわね……サーブ、大丈夫かしら……)
ラトサリーは息を軽く吐き、左手を左頬に当てると目を閉ざし、左人差指で左頬をポンっ、ポンっ、と叩き始める。雨は降り続き、外が次第に暗くなっていく中、ラトサリーの左人差指だけが動き続けた。