3-38 決意
居間に現れた三人に顔を向けたジーナはミラテースの前に並ぶ二人を見て驚きの声を上げる。
「っ!ちょっと!おでこ!どうしたの二人共?!」
カトラはショボンとした様子で口を尖らせる。
「……ミラテースに凌辱された」
《 ゴツンッ! 》
ミラテースの拳骨がカトラの頭を捉える。頭を押さえて痛がるカトラにミラテースはいきり立った顔で吠える。
「カトラ!アドエルに変な言葉を聞かせるんじゃないわよ!!」
カトラは涙を滲ませ不満そうに口を開く。
「何よ、時間軸を考慮した絶妙な冗談じゃない。あなた、アドエルを冗談も分からない男に育て上げたいの?」
「そんな冗談が分かるような大人に育ってほしくないわよ!」
長椅子で手拭いを持って座っているアドエルはオドオドしながらミラテースに呼びかける。
「ミ、ミラ。りょうじょくはダメだよ?」
「っ!こっ、これはお仕置きよ!お・し・お・き!それにアドエル!その言葉は使っちゃダメ!!」
「っ!う、うん、わかった……」
ションボリするアドエルを横目にラトサリーはカトラの襟を掴んでグッと引き寄せ、カトラの耳元に顔を寄せて低い声で囁く。
「カトラ、アドエルの前でその類の冗談は二度と言わないで頂戴。前にも言ったわよね?迷惑よ」
「……わかったわよ、悪かったわね」
顔を背けて小声で謝罪するカトラ。ラトサリーは呆れ顔に笑みを浮かべて襟から手を離し、カトラの乱れた襟周りを整えながらミラテースに声をかける。
「ミラテース。カトラも反省したみたいだし、許してあげて。ね?」
「っ、まったく……仕方ないわね」
呆れ顔でそう言ったミラテースを見てジーナは一区切りついた事を察し、笑顔でミラテースに声をかける。
「ミラテースさん、座って下さい。スープ持ってきますね」
「あ、ありがとう」
ミラテースはテーブルに着き、パンに手を伸ばして食べ始める。カトラはミラテースの横に移り、立ったままレーズン入りのパンに手を伸ばしながら口を開く。
「ミラテース。食べ終わったら話を聞かせて頂戴」
「……今度アドエルに変な言葉を聞かせたら二度と協力しないわよ。良いわね?」
「えぇ。それじゃぁ、別棟で待ってるわ。アドエルは連れて来るんじゃないわよ」
「えぇ、分かってるわよ。ジーナに預けるわ」
ミラテースに笑みを返したカトラは半分に割いたパンの片方を大皿に戻し、もう半分を持ったままラトサリーに歩み寄る。
「ねぇ。あなたも来なさい。例の約束の件を話し合いましょう♪」
笑顔でそう言ったカトラに肩をポンっと叩かれたラトサリーは顔を引きつらせる。ラトサリーの反応にご満悦のカトラは扉へと歩き出すが、先程からカトラに何度も目を向けていたアドエルが意を決した様子で声を張る。
「カトラっ!待って!」
アドエルが強い意志を感じさせる様子でカトラに声をかけたのはこれが初めてだった。ラトサリーは目を丸くしてアドエルに顔を向け、ミラテースはパンを喉に詰まらせ咽る。呼ばれたカトラは足を止め、首を僅かに傾げて振り返る。
「何、アドエル?」
アドエルは長椅子からピョンっと飛び降り、チョコチョコと走ってカトラの前で止まるとカトラを見上げる。
「カトラ。お願いがあるの」
「ん?何よ?」
「ぼ……ぼくを、強くしてほしいの」
「っ?……へ?」
珍しく変な声を出すカトラ。ラトサリーとミラテースも予想外のアドエルの発言に驚き、カトラの奇声を笑う事も出来ずに驚いた顔をアドエルに向ける。一早く気を取り直したカトラは不思議そうな顔でアドエルに尋ねる。
「何で私なの?そう言う事はサーブか別邸の衛兵に頼みなさいよ」
アドエルは手に持ったままの手拭いをキュッと握る。
「だっ、だって、サーブ、あんまり家にいないし、衛兵さんたち、サーブより弱いから……」
「そう……まぁ、人を見る目があるって事は褒めてあげるわ」
笑みを浮かべてそう言ったカトラはアドエルの頭に手をポンっと置く。
「でも、衛兵さん達より弱い今のあなたを相手にしている程ヒマじゃないの。悪いわね♪」
そう言ってアドエルの頭をクシャっと撫でて立ち去ろうとするカトラ。アドエルは慌ててカトラの上着の袖を右手で掴む。
「お願いカトラ。ぼく、言われたとおり考えたの。どうすればミラがひどい目にあわないか。それで、強くなればミラを守れるって思ったんだ」
驚いていた大人三人の目に涙が滲む。必死な顔を向けてくるアドエルにカトラは肩をすくめ、困り顔でラトサリーに声をかける。
「ねぇラトサリー。この子、どうにかしてくれる?」
ラトサリーは慌てて目を擦り、少し困った様子で口を開く。
「どうにかって……ねぇカトラ。アドエルの申し出、受ける事は出来ない?」
「えっ?って、嫌よ面倒くさい。それに、私に何も得が無いじゃない」
「んっ、そ……そうよね……って、アドエルの事を良く知る機会になるじゃない。知りたいんでしょ、アドエルの事」
そう言われたカトラは目を左上に向け、息を軽く吐くと苦い顔をラトサリーに向ける。
「私が知りたい事と、それに伴う労力を比べると気が乗らないわ。って言うか、ラトサリー、あなた、何であなたまで私に指南を頼む訳?サーブで良くない?」
ラトサリーは肩をピクっと震わせ苦笑いを浮かべる。
「えっ……だって、サーブは……あんまり……」
言い淀むラトサリーだったが、眉をピクっとさせると口角が僅かに上がる。
「そっ、それより、アドエルが成長して凄い能力を発揮するようになったら宮総研の得になると思うわよ。どう?良くない?」
「っ……って、あなたねぇ……」
カトラはジト目でラトサリーを睨む。
「この子はあなたの家の跡取りでしょ?アドエルをカリフみたいに宮総研の専属研究員になるって言うなら話は変わるけど、あなたの家はどうするのよ?」
「っ!……そ、それは……」
言葉を詰まらせるラトサリーにアドエルは不安に満ちた顔を向ける。カトラはフゥっと鼻から息を吐き、アドエルの右手を袖から外そうとする。アドエルは両手でカトラの上着の袖を掴み、涙目でカトラを見上げる。
「おねがい、カトラ、カトラぁ……」
目に涙を滲ませて懇願してくるアドエルにカトラはゲンナリした顔を向ける。
「っ……せめて、もっと強くなってから言いに来なさい」
そう言ってカトラがアドエルの両手を振り解こうとしたその時、
「ちょっとカトラ、待ちなさい」
声を上げたミラテースは座ったまま体の向きを変え、カトラに尋ねる。
「アンタが納得する益があれば引き受けてくれるのね?」
「っ……まぁ……そうね。そう言う何かがあれば前向きに考えても良いわよ?」
少し愉悦に浸る様な笑みを浮かべるカトラにミラテースは挑発的な笑みを返す。
「アンタ、私がアドエルに術式の練習をさせてる時のアレ、練習してみたくない?」
「……え?」
目を丸くして間抜けた声を上げるカトラ。ミラテースはカトラの脳裏に提示された対価が浮かんだ気配を察し、右手で自分のうなじをペチペチと叩く。
「あれよ、あれ♪」
カトラは急に真顔になるとアドエルにパンを差し出す。
「アドエル、ちょっと持ってなさい」
「うっ、うん」
カトラはパンをアドエルに渡すとスタスタスタっとミラテースの元に進み、てミラテースの左手を両手で掴む。
「是非!是非とも私にアドエルの教育をさせて下さい!!」
そう言ったカトラはミラテースの手を掴んだまま跪いてミラテースを見上げる。ミラテースは満足げに笑みを浮かべて右手をカトラの手の上に置く。
「良い返事ね♪でも、アドエルに変な事を教えたり、普通の子供が耐えられない様な負荷をかけたりしたら、その時点で練習は中断よ。分かったわね?」
「えぇ、分かってるわよ♪それじゃぁ、早く食べて別棟にいらっしゃい♪訓練計画も話し合いましょう♪」
「はいはい♪」
カトラは満面の笑みで立ち上がって歩き出すとアドエルに渡したパンを奪い取って小躍りしながら部屋を出て行った。カトラと入れ替わる様にして部屋に戻ってきたジーナは不思議そうな顔でスープが入った深皿をテーブルに置きながらミラテースに尋ねる。
「あのぅ、何かあったんですか?」
「えぇ。アドエルの訓練をカトラがやってくれる事になったのよ」
「えっ!凄いじゃないですか!そんな事、どうやってあの人に引き受けてもらったんです?!」
ミラテースの横に移ったラトサリーは心配そうに声をかける。
「ミっ、ミラテース?大丈夫なの?カトラが失敗したら大変な事になるんじゃないの?」
テーブルへと向きを変えたミラテースはスプーンを手に取ると笑顔のまま口を開く。
「そうね。でも、最初に大変な事になるのは実験台になるアンタよ」
「えっ……」
「大丈夫だって♪アイツ、あれだけ繊細な術式をやってのける実力があるんだから」
「っ?繊細?……っ!」
施術を思い出して顔を赤らめるラトサリー。ミラテースはスープを一口飲んでから物悲しげな笑みをラトサリーに向ける。
「それに、アイツが術式を使いこなせる様になったら私の術式の訓練をしてもらおうと思ったの。自衛に使える様な術式をそれなりに使えるようにしないと、同じ事が起こった時にアドエルを守れないじゃない……」
そう言ってスプーンを持ったままパンに手を伸ばしたミラテースはジーナに顔を向ける。
「アイツの術式の練習に付き合ってあげる事にしたのよ」
「えっ?で、でも、ミラテースさんって、あんまり術式得意じゃないですよね?」
ミラテースは思わず苦笑いする。
「良く見てるわね♪でもね、私が出来る数少ない術式をアイツは出来ないのよ。その練習に付き合うって条件でアドエルの訓練を頼んだの」
「あぁ……そう言う事でしたか。それなら納得です♪」
ジーナの慧眼にラトサリーは苦笑いの度を深めた。




