体育祭の跡
三題噺もどき―ひゃくじゅうろく。
お題:無知・涙・体育祭の日の夕方
今朝の清々しいぐらいに青かったあの空が、嘘だったのかと思う程に、空が、橙や赤や黄に染まっていた。
白いはずの雲たちも、今はパステルのオレンジのような可愛らしい色になっていた。
白い雲の綿菓子よりはおいしそうに見えなくもない。
空の色もオレンジジュースやイチゴジャムを溢したみたいで、あの青い空よりはおいしそう。
「……あつ…」
と、訳の分からない事を考えるほどに脳の疲労がすごいようだ。
さっさと終わらせて帰宅して、食べて、風呂に入って、就寝しないと明日に差し支えそうなぐらいである。
ガシャガシャと音を立ててぶつかり合うパイプ椅子を運びながら―早く帰りたいなーとそれしか考えられなくなってきた。
「……」
本日は丁度、我が校で体育祭が開催されたのだ。
この暑い中で、誰もが懸命に走り、共に戦う、あの体育祭だ。
ほかの学校がどのようにするのかは知らないが、我が校は学年ごとにチーム分けがなされる。
つまり、一年生赤組、二年生青組、三年生黄組、とまぁこんな感じに。
三年生にとっては最後の体育祭というやつである。
かく言う私も、一応三年生に属している。
「……、」
いきなりだが、私はこの体育祭というものが嫌いである。
何せ根っからの文化部なものだから、そもそも運動というものを得意としない。
積極的にそういうものは避けていこうという立場の人間である。
もちろん、文化部といっても足が速い人は居るし、人並み以上に動ける人間は居る。
(先ほどから文化部文化部言っているが、私は帰宅部)
毎度思うのだが、運動ができない人間をこんな大衆の面前で走らせて、恥をかかせて何が楽しいというのだ。
運動ができる人間だけで、己が実力をその他大勢に見せつければいいだけではないのか。
なぜ、そいつらのお膳立てに私のような人間が加担しなくてはいけないのだ。
おかしいと思ったことは一度もないのだろうか。
「……、」
まるでもっともらしい事を考えてはみるものの、ワガママの一言で一蹴されそうなので奥に仕舞い込む。
また浮上しそうだけれど、どうせまた押し込むのだから、別にどうということもない。
まぁつまりは、動きたくないし、走りたくないし、応援されたくもない。
静かに見守っていたいということである。
一生懸命に次へとバトンを繋ごうと必死に足掻くことが、どうにか勝利につなげようと藻掻くことが、苦手なのだ。
そういうことが、どうも、どうしてもできないのだ。
「……、」
今まで、そうやってきたけど、何一つとして報われる事がなかったのものだから。
足掻いたところで、しがみ付いたところで、なにも変わらないことを知っているから。
何も知らなかった、無知で愚鈍な自分に戻りたいと願ってしまう程に、色々と知ってしまったから。
無知の知という言葉を耳にするが―無知の知、無知であるということに気づいてしまった瞬間から、人間は腐っていくと私は思うのだ。
無知であると知ってしまったがゆえに、無知ではいられないと、知を得ようと藻掻く。
その道中でどんな目に合うかも知らずに―それも無知ゆえか…。
しかし、ひた向きに努力をすれば報われると信じ切っていたあの頃が羨ましいのは、事実である。
あの頃は楽しかった、なんていう気はないが、いい時間だったとは思っている。
「……、」
努力したのに、一生懸命したのにと、1人で頑張ったのに、と、どれだけ、どれだけ涙を流したか。
一生分泣いたのではと思うぐらいに泣いた気がする。
実際涙することなんてなくなっているからな。
涙など、とうの昔に枯れ切ってしまっているのだろう。
頑張れ、あなたなら、今までできたのだから、と、その重さがいかに私を圧し続けたか。
それで圧縮されてしまったのかもしれない。
「……、」
暑さとストレスで思考がうまく回っていない。
よろしくない思考が巡っているような気がする。
せっかくの体育祭の日だったというのに。
「……、」
我らが三年生は、見事勝ったではないか。
応援合戦は例年三年生が勝利をおさめてはいるが、今回は競技部門でも見事優勝したではないか。
数年ぶりの総合優勝をうたうことができたではないか。
先生や後輩の二年生などには、勉強してないのかと揶揄されることにはなってしまったが。
「……、」
しかしこれもたまたま、偶然。
必然でも運命でもない。
たまたま、足が速い人が集まって。勉強づくめの日々でも運動ができるような運動神経のよろしい人が多かった、それだけの事。
勝ったとはいえ、私はたいして貢献もしてないし、そもそもほかの人間のように懸命にしたかと言われれば、そんなことはない。
適当に走って、出場競技をこなして、心ない応援を送っていただけ。
「……、」
こんな使えない人間など、いても居なくても同じ。
むしろ足を引っ張っている、ただの邪魔な存在でしかない。
―そういわれても甘んじて受けることができる。
それが事実であるから。
事実を言われれば、はいそうです、と頷くしかあるまいよ。
たとえそれが偽りの事実だったとしても。
私にとっては偽であっても、相手にとっては真であればそれは真になりえる。
だから否定しない。
甘んじて受け入れる。
たいていそういうのは受けてしまえば満足して、偽であったということなど忘れてしまうのだ。
そうやって今までをすり抜けてきたのだ。
全く、いい子ちゃんを演じるのはほとほと疲れる。
「……あ~」
片づけを終え、ぞろぞろと生徒が教室の中へと帰っていく。
その中に1人、動く気力さえも失ったように立ちすくむ。
「……、」
そして、1人もいなくなった校庭に目を向ける。
「…………死にたく、なってきた…」
体育祭の日の夕方に、真っ赤に染まった空を背に、ぽつりと呟く影があった。