遅延
電車の運転手に憧れて、駅員になれた。
しかし、先輩に言われた。
「この駅はヤバいぞ」
最初は意味が判らなかった。
電車での遅延は、大問題だ。
しかし、大幅に遅れてしまう事がある。
人身事故だ。
運転手を何年もやっていると、一回は遭遇する。
なぜか、駅が偏る。
駅員同士でも噂がある。
自殺を決意した人と目が合い、そして急行電車に潰される。
運転手は、真っ赤な肉片のこびりついた窓いっぱいの血と、自殺をする瞬間の人の目を忘れることが出来ず、路線を替えてもらうだけでは、恐怖は拭えずに駅員を辞めてしまう者も居た。
「やばい」
と噂される駅は少し違う。
人が、飛び込むのではなく、線路の脇に押されるように、身体をそらせ、足を踏ん張りつつも後ろからの力に勝てず、電車に突き飛ばされるように、線路に転がり込む。
もちろん、背後に押す人や何かがあるわけでもなく、ただ一人が、足を開いて止めようと足掻く中、押しだされるのだ。
急行の止まらない電車の前に。
運転手は見ることになる。
押し出される人の恐怖と助けを求める目と
そして、その後の惨劇を。
新卒 森山幸助 21歳。
鉄道・駅務の3年の専門学校に通ってからの配属のため、技術的なものには自信はあったが、変則的なシフトでまだ体が慣れない。
泊まり、早番、遅番、日勤に休みと、日々、仕事の時間が変わる。
寝る時間も日々変わるので、一番の仕事の慣れは、いかにすぐに熟睡できるかだと感じてきている。
3カ月前からこの路線に配属された。
配属された翌週に、この革町駅で人身事故があり、清掃に追われた。
血と細かい肉片などを、ホースで水を撒きながら奇麗にする。
さすがに、大きな・・・その肉体だったものなどは先に撤収されていて、見ることは無かった。
しかし、広範囲で飛び散っているので、駆り出された次第だ。
まず、ホームからホースの流水で血肉を落とし、その後、高圧洗浄の機械を使って線路の汚れを排水へと流していく。
最終列車だったため、その後の遅延を気にしなくていいのは、少しだけ気が楽だった。
在学中も、他の駅に配属されての研修はあったが、その作業だけは無かった。
翌日、先輩から言われる。
「ここの駅は多いから、清掃に駆り出されることが、これからもあるだろう」
駅を見渡す。
普通の、地下鉄の古からある一つの駅に過ぎないのだが。
そんな印象しかなかった。
それ以外にも、他の駅で人身事故があったり、接触事故があったり、夜も遅くなれば、酔っ払いが線路に落ちる等などで、忙殺されていた。
まだ3カ月しか経っていないが、自分の憧れていた「駅員さんと運転手さん」は、実は電車よりも、お客との対応がメインなのではないだろうかと、少し落ち込んでも居た。
それが一番大事な事だとは分かってはいるが、どうしても、少々コミュ障気味なので、酔っ払いの頑固さや、クレーマー・・・お客様の一方的なご意見に晒されると、気力も削がれてしまうのであった。
「っふうっ」
ため息をつきながらも、駅構内の点検をしていた。
忘れ物の確認、不審物がないか、ゴミは落ちていないか。
清掃員はいるが、紙くずなどのゴミは、見つけたら自分で拾うようにしている。
ホームへと降りていく。
最終電車まで間もないので、もし、椅子で寝ている人などが居たら、起こしておく時間だ。
やはり、ホームの椅子にだらけて座って寝ているスーツ姿の男性が居た。
「お客様。そろそろ最終列車が来ますよ。起きて下さい」
「んああっ?」
男は不機嫌に目を覚ました。
「何だっていうんだよ。この野郎。俺にケンカ売っているのか?あ?」
ああ、嫌だ。酔っ払いで酒癖の悪い人だ。
「お気を悪くされたら申し訳ありません。そろそろ、起きておかないと終電車が参りますので」
あくまでも、丁寧に、言葉遣いは上げ足を取られないように・・・
言葉と動作にも気を付けて、これ以上刺激しないようにする。
「わあってんだよ。ったくよう。」
悪態をつきながらも、立ち上がってくれた。
千鳥足ではあるが、ホームの前の方に移動した。
一番前の車両に乗るのであろう。
男の背を見送ってから、他の椅子や、柱の陰に座り込んでいる人が居ないかを確認して周った。
「なんだよ、てめぇ。気持ちわりいなぁ!」
ホームの後ろまで行っていたが、先ほどの男性の声だと直ぐに気付いた。
また、誰かを恫喝しているのだろうか。
「何しやがる。放せや。こら!」
ケンカか、取っ組み合いか。
走って、その場に向かう。
また、誰かが捕まって、怒鳴られているのだろうか。
ホームで待っている少ないお客も、何事かと、顔を向けている。
男を見つけた。
ホームの前方ではあるが、最終電車の来るのとは反対側の黄色い線まで行っている。
他の駅員にも声をかける。
「アナウンスをお願いします。急行が通る側に人が居ます!」
すぐにアナウンスが流れた。
「急行電車が通り過ぎます。大変危険ですので、黄色い線の内側までお下がりください」
「黄色い線の内側までお下がり下さい!」
先輩のマイク越しでも判る焦りの声。
電車が来る。
急行が来る。
あの人は、なんで、線路の方に行こうとしているのか、
行こうとしている?
違う。
あらがっている。
何かに捕まれて、押されているようだ。
何に?
どうしよう。
いま、ホームから落ちたら、一緒に降りて、ホーム下に避難させて電車が通過するまでそこに居ればいいはず。
ホームから落ちて怪我をするかもしれない。
けれど、ホームから距離はあるから、線路で感電はしないはず。
ああ、今にも落ちる。
後ろに向かって叫んだ。
「緊急停止をお願いします」
「了解!」
先輩の誰かが応えてくれた。
ウー!ウー!ウー!ウー!ウー!
ホームに響く警告音に背後で赤色灯が灯るのを感じる。
よし、これで、ホームに落ちてからの感電は免れた。
もう少し。
なんで、こんなに遠いんだ。
なんで、奴は、あんな場所に行くんだ。
男と目が合う。
「あんちゃん。助け・・・」
男が突然、腹を折り「く」の字になって、見えない何かに吹っ飛ばされて、ホームから線路へと落ちた。
急行が来る。
スピードはかなり落とされているが、男の元まで必ず来る。
男の落ちた地点まで着いた。
男は線路の上で気を失っているようだ。
ホームから線路に飛び降りる。
ぐにゃぐにゃしている身体をなんとか、抱き締め、電車の灯りがどんどん強くなる中、
地面に張り付いている何かを引きはがして、ホームの下の避難場所に転がり込んだ。
電車は、自分たちの居る場所を優に超え、ゆっくり止まった。
息を吐く。
心臓のドキドキが止まらない。
吸って、吐いて、吸って、吐いて・・・
自分の呼吸を整える。
頭上から声が掛かる。
「大丈夫かー!」
「森山、大丈夫か!生きているか!」
ホームと電車の間から何本もの懐中電灯の強い光が交差する。
「は、はーい。生きています。男性も一緒です。意識はありません。
落ちた時に頭を打ったかもしれません」
「おお!生きていたか。よくやったぞ。お前は怪我は大丈夫か?」
「多分大丈夫だと思います」
「よし、そのまま待っていろよ。電車を行かせる」
避難所の暗闇の中、男の呼吸を確かめようと、口に手を近づけた。
ああ、大丈夫だ。呼吸している。
電車が動き出した。
急行のお客さんたち、びっくりしただろうな。
一番驚いたの俺だけれど。
「じゃーまぁしやがってぇーーー」
「邪魔しやがって」
「じゃーましやがってぇ」
突然男が、色々な声で言い出した。
「ヒエッ!」
思わず、男を抱いていた腕を外したら、男が横になったまま、ズルズルと電車の方に動き出したので、慌てて脇から腕を入れて男の胸の前で組み、引っ張り出した。
さっきの声は何だ。
さっきの動きは何だ。
声はザラザラとかすれたのから、甲高いもの、低く唸るような声が、同じ男の口から発せられた。
動いたときは、だらりと横たわっていたのに、腰のベルトを何かが線路側から引っ張るように、腰から動いていった。
男の上半身をしっかり固定しているので、動かすことは出来ないはず。
男は、気を失い目を閉じたまま
「はーなーせーよーーー」
「おまえ、この おとこ嫌いだろう。はなせよーう」
「はーなーせーーー」
口がすぐそばで動くのが怖かった。
でも、目を閉じるのも怖かった。
「お客様、じっとしていて下さい。動かないでください!」
恐怖を紛らわせるために、声を張り上げた。
「大丈夫か!」
上から声がする。
独りじゃない。
この電車さえ通り過ぎれば、皆が、この男を上げてくれる。
ここから、出れる。
「酔っているのか、少し暴れられましたので!」
「頑張れよ。もう少しだ!お客様。じっとしていて下さい!もう少しです」
先輩がすぐ上にいる。近くに居る。
俺だけじゃないんだ。
もう少しだ。
何両編成なんだよ、長いだろ!
どれだけの時間だったのだろう。
暗闇の中、視界が開けた。
電車がやっと行ったのだ。
「よし。行ったぞ!」
声と共に、二人の先輩が降りてきてくれた。
「よくやったな」
声を出したら泣きそうだったので、何度もうなずいた。
男は三人で下から抱え上げられ、上からも二人で引き揚げたのだが、なぜか、皆がよろつきホームの上まで持ち上げられない。
「どうした。しっかりしろ!」
先輩の号令で再度、
「いっせいの、せっ!」
ホームに居た電車を待つ人の二人の男性が手を貸してくれた。
「いくぞ、いっせいの、せいっ!」
大柄で太っていた男性ではあったが、総勢7人の力をもって、やっとホームに持ち上げ、転がすことが出来た。
「おおお!!!!」
皆で、喜びを分かち合う。
手伝ってくれた男性にも握手をして感謝を述べる。
下に降りていた自分も含めて3人も、引きあげてもらう。
これは、一人が手を差し伸べてくれれば、すぐに上がることが出来た。
その足元で、転がっている男の口が再度開いた。
「じゃーまぁしやがってぇーーー」
すっと、喜びの達成感の空気が消え、ひんやりとするものが漂う。
気圧された空気を破ったのは先輩で
「お客様、本当にありがとうございました。では、間もなく最終電車が参りますので、こちらは、お任せください」
他の駅員も、ありがとうございましたと頭を下げる。
自分も、ぼんやりとしながらも、つづいて、頭を下げた。
担架が運ばれ、男は近くの病院に運ばれるそうだ。
その後、酷く気分が悪くなり、仮眠室での休憩を取らされた。
意識は、すぐ眠りに引き込まれたが、男の声を思い出しては、
「ハッ」と目を覚ますのが何度もあった。
何度目かの男の声は、まるで耳元で叫ばれたようで、思わずガバッと布団を蹴って飛び起きた。
「じゃーまぁしやがってぇーーー」
頭にこびりついて離れない。
そして、男がくの字になってホームから突き飛ばされるのを頭の中で再現していた。
なぜか、男の腰から胸にのあたりに、何本もの腕が見え、その腕は男や女で、長い胴体に長い腕で、何人かは引っ張り、何人かは押し出し、男に団子状に絡まり合い、線路の方に引きずっていた。
と、言う夢を見て、再度、布団から跳ね起きた。
少しは寝れたようだが、身体がまだ重い。
しかし、これ以上布団に居ても寝ることはできないだろうと判断して、勤務に戻ることにした。
事故の報告と、報告書の提出もあるだろう。
先輩や駅長からも心配する声はあったが、とりあえず仕事に戻る。
翌日に報告書を提出して、休日に入った。
とりあえず、やたらと寝続けた。
二日間の休日明けに、先輩からの報告があった。
「お前が助けた男な、昨日、同じ場所で飛び込んだよ」
「え?」
「まあ、黙っていても、誰かから伝わるだろうからな。お前は、気に病むな」
「・・・はい」
あの男が、あの時と同じ場所で、同じよう飛び込んで死んだ。
「あの・・・その映像って、見ることが出来ますか?」
「・・・関係者だったお前なら、センターの係員に言えば見せてもらえるだろう。
でも、見ない方が良いんじゃないか?」
「あの、確認したいことがあって・・・」
先輩は最後まで止めた方が良いと言いながらも、センターに話を付けてくれた。
センターに向かう。
カメラには二種類あって、通常の監視カメラと、異常を探知するカメラがある。このカメラは、人が蛇行して居たり、黄色い線の内側を歩いていると、センターの係員に教えてくれるものである。
自分が、男を止めたときは、その一部始終がそのカメラに収められていた。
今回は死亡した映像である。
センターの係員が、微妙な顔をしながらも、見せてくれた。
通常の監視カメラの映像だった。
白黒の画面で時刻を見ると、終電の30分前。
終電の前に余裕をもって帰ろうとしていたようだ。
男の立っている場所は、ホームの真ん中、自動販売機に背を持たれさせている。
安全な場所である。
急行電車が通り過ぎるアナウンスが流れる。
男が緊張して、背中を自動販売機に押し付け、両手で販売機を後ろ手に抱えている。
明らかに恐怖している。
その1分後、男は自動販売機から離れ、ホームの前に向かって歩き出す。
真っ直ぐにホームの突き当りまで行き、急行が来ると同時に、正面を向いたまま、真横に飛んで、そのまま轢死した。
ホームの中央を歩いていたため、異常を感知するカメラも作動しなく、他の駅員にも気付かれることがなく、飛び込んでいった。
男を助けた日、一晩だけ入院したが異常はなく、本人の意思で翌日の朝には退院して仕事に向かったそうだ。
その日と、翌日は、午後の7時ごろの帰社だったが、昨日は、仕事の後に同僚と飲みに行き、あの時間になったらしい。
そして、死んだ。
また、胴体から引っ張られたように、くの字になって、急行電車に吸い込まれて。
その後も自分は仕事をつづけた。
日勤も泊まりも、通常通りに、仕事をつづけた。
なぜか周りから「大丈夫か」との言葉を受けることが多かった。
ししばらくして先輩からの進言で、担当駅が変更となる通知が来た。
先輩に抗議する。
「先輩。聞きました。この駅では無理だろうって、どういう意味ですか。
至らないところがあれば、すぐに直します。
ちゃんと仕事をしていたつもりですが」
先輩は、静かに答えた。
「ああ、お前は良くやっているよ。優秀だ」
「だったら、なぜ?」
「お前、気付いていなかったのか?
仕事の合間合間に、しょっちゅう、あの場所に行っているんだぞ」
「え?あの場所って、事故の?」
「自覚無かったのか?点検の合間にあそこを覗くのは、気になっているから仕方ないと思ったさ。
でも、仮眠しているはずの時間にも、あそこに行くのは、異常だろ」
まったく、そんな覚えはなかった。
「・・・センターでお前の行動を見て来い。それでも異議があるなら、聞いてやる」
「え・・・」
ぼんやりと、途方に暮れる自分の腕を先輩が掴んで、
「ほら、見に行くぞ」
と引っ張り歩き出した。
センターに着くと、話が通っていたのだろう、係の人が、画面を見せてくれた。
一昨日の日付だ。
特にあの場所に行った覚えはない。
だが、画面には、ホームの突き当りの急行が通る側にいる自分が居た。
早送りして、また1時間後や、2時間後。24時間勤務で合計20回、自分はそこに行っていた。
24時間勤務では仮眠が取られる。その時間にも来ている。
そして、画面の自分は、何度か、正面を向きながら、横からベルトを引っ張られているように、腰がぐにゃぐにゃと線路の方向に曲げられていた。
「自分・・・ですか・・・」
口の中が乾き、妙にかすれた声になっていた。
「あの場所は、事故が多いんだよ。
自分から飛び込むってより、押されてとか、引っ張られてって感じのな。
あんな感じで、胴体を掴まれて、引っ張られるんだろう」
画面には、腰を引かれてふらふらと線路に近づき、黄色い線の内側で向きを変え、ホームの中央に戻る自分が居た。
「気付いたのは先週だ。お前が、よくあそこにいるなって思って数えたら、
今週には10回近くになっていた。そんで、一昨日は20回だ。
明らかに、異常だろ」
少しの無言の後、
「一応、この後、最初の事故の時にあの男を引っ張り上げたの、俺とお前も含めて5人、お祓いに行くからな」
センターの係員が手を上げた。
「私も参加させていただいても宜しいでしょうか。少し気持ちが悪くて」
「ああ、一緒に行こう。今日は非番に出てもらっている。駅長命令だ」
他の駅からも仕事の加勢に来てもらって、結局8人でお祓いを受けた。
不動明王の護摩祈祷である。
読経と鐘と太鼓の音でトランス状態というのだろうか、何か、背中からスウっと重いものが出て行った気がした。
終わった後、お札をもらい、お寺を後にした。
仕事に戻る人、数人でご飯を食べる人に分かれた。
自分は、ほぼ無理矢理、先輩に奢ってもらう形でラーメンをすすっていた。
先輩が笑って言った。
「ああ、良かった。お前、表情戻ってんじゃん」
「え?なんです?」
「あの事故以来、お前、ずっと無表情だったんだよ。
そのうえ、あの場所を日に何度も見に来るだろ。
何かに魅入られたんだと思ったのさ。
あの場所は、俺でも怖い場所だからな」
「あまり自覚はありませんでしたが、ここ最近、ぼんやりとしていた気がします。
お祓いは分かりませんが、少しシャッキリしました」
「おー。良かったな。一応経費だからな。駅長に後で礼を言っておくんだぞ。
いや、やっぱり、お前はしばらく、駅に来るな。
早く、新しい駅に馴染め」
「はい。ありがとうございす。
・・・そういえば、あの場所をお祓いするとか出来ないんですか?」
先輩が顔をしかめた。
「それがよ。来れないんだよ。
お祓いを頼んでも、車が故障だの、だったら迎えに行くって車出したら、事故を起こしたりな。
幸い怪我人とかはでないんだが、とにかく、来ては貰えないんだ」
それを聞き、自分が結構、ギリギリの状態だったのだと冷や汗が出た。
その後、雑談をし、解散となった。
それが、去年の事だ。
先輩が、あの場所で轢死した。
お葬式に出た。
先輩の写真が、あの強面なのに優しい目の表情だったので、涙が止まらなかった。
駅員は続けている。
しかし、あの駅には行けないでいる。
急行電車に引き込む者たちの中に先輩が居たら、自分は、振りほどくことが出来なさそうだからだ。
定期的にお祓いには行っている。