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honey moon bunny moon  作者: ぶどう屋
3/4

月よ星よ

 月彦はいつも時間を守らない。

 時間を守らないというか、時間を守れないのだ。守ることができない。

 そんな月彦と、私は3年間付き合っている。



 付き合ったのは、私からの告白がきっかけだった。

大学2年生だった私は、宇宙偵察会というサークルに属していた。天体観測をするためあちこち遠征をしていた、と言えば聞こえはいいが、要は星にかこつけて海だ山だと遊んでいただけだった。私は天体観測には微塵も興味がなかった。天体望遠鏡も持っていないし、空を見てもわかる星座はオリオン座だけ。夏の大三角形だって言えるかどうか怪しい。

 そんな私でも所属できるのだから、宇宙偵察会というのはその程度のサークルだった。おおかたのサークル員が友達や恋人を探すために所属していて、都合のいい者同士で適当に旅行をした。星空の下みんなで酒を飲んだり、二人で抜け出して愛を語らったりしていた。

 そのなかで群を抜いて適当だったのが月彦だ。私よりひとつ上の先輩で、私が宇宙偵察会に入った当初からずっと彼女のいない期間なんてなかったが、どの彼女ともひと月続くことはなかった。月彦いわく、「女が俺に飽きる」ことが原因で別れてしまうらしいけれど、そんな抽象的で傲慢すぎる理由には誰も納得していなかった。「テクニックが中学生並みなんじゃないか」とか「満月の夜にはポークビッツになるんじゃないか」とか、サークル員には好き放題言われていた。当の本人は「飽きるほうが悪いんだろ」と言ってぼんやり煙草をふかしていた。

 どうしようもないヤリチンっぷりだったが、月の満ち欠けに勝るとも劣らないスピードで彼女が変わる月彦を見て、たいした男だ、と私は感動すら覚えていた。


 どうして月彦と付き合いたいと思ったのかは、正直わからない。強いて言うならタイミングが良かったから、だ。私もふた月前に彼氏とさよならしたばかりだった。

 バス停に行くと月彦が立っていた。7月のわりには涼しい夜に、猫背気味の細い背中がひとりでバスを待っていた。

「月彦さん、私と付き合いませんか。」

横に並んで、ストレートに言ってみた。

月彦はちらりとこちらを見た。

「お前、名前は?」

眠そうな声だった。

「月華です。」

「つきか?」

「はい。」

月彦の口の端が少しだけ上がった。

「いい名前じゃん。」

「私もそう思います。」

嬉しかったので素直にそう言った。

バスがヘッドライトをびかびかまき散らしながらやってきた。月彦が一歩前に出る。

「じゃあ月華、明日、昼飯一緒な。食堂で待ってろ。」

「わかりました。待ってます。」

月彦の背中がバスに消えるのをじっと見ていた。

 こうして私たちは付き合い始めた。


 いざ付き合ってみると、月彦は本当に適当な男だった。

 まず、待ち合わせをしても時間通りに来ない。初めての待ち合わせ、昼食をともにするために待っていた食堂にも、月彦は15時ちょっと過ぎに現れた。しかも昼食は済ませてきていた。何かあったかと尋ねたが、「別に、グリーンカレーが食いたくて店に行ってただけ」と言われた。私はお昼ご飯を我慢して待っていたんだけれど、と言うと、「月華はいい子だな。俺は我慢できなかったからさ」と反省のかけらもない返事がかえってきた。呆れながらホットケーキを注文した。月彦はコーラを飲みながら、「一枚くれよ。俺も甘いもん食いたい」と言った。ひとかけらだってあげるものかと思っていたのに、長時間待ちすぎて胃が縮んでいた私は、結局一枚半も月彦にあげることになった。

 この程度はまだ可愛いものだ。月彦は待ち合わせに来なかったことさえある。

 映画を観ることになり、17時に駅前の広場で会う約束をしたときのことだ。私と月彦は付き合い始めて1年が経っていた。ひと月を過ぎたところで、周りは「あの月彦がまだ彼女と続いている!」と大騒ぎしていたが、1年も経つと「お前ら、ほんと仲いいよな」とどうでも良さそうな顔で言っていた。私は月彦の適当っぷりにもすっかり慣れていて、17時の待ち合わせなら待っている間に食べる夕食代わりのパンは必須だということ、映画を観るにしてもレイトショーにぎりぎり間に合えば上出来だということを自然と考えていた。

 しかしその日の月彦は本当に、心配してしまうほどいっこうに現れなかった。22時を過ぎたところで電話をかけたが、案の定つながらない。月彦は普段から携帯電話を使わなかった。ポケットに入れて持ってはいるらしいが、自分から連絡するために使うだけで、誰かからの連絡を受けるためには使っていなかった。「煩わしいだろ、外から連絡来るのって」と月彦は顔をしかめて言っていた。

月彦は今どこにいるのだろう。何をしているのだろう。どうして来ないのだろう。駅の階段で転んで怪我したのだろうか。交差点で車に轢かれたのだろうか。家の風呂で溺れているのだろうか。皆目見当がつかない。私はすっかり恐怖していた。何度も月彦に電話をし、メールをし、月彦の家に行こうと思い、行き違いになったらまずいと思い直して震えていた。日付が変わろうとしていた。

 終電も尽きた頃、突然月彦から電話があった。「電話、気付かなかった。どうした?」あまりにも自然な声色だった。今回ばかりは怒鳴って、キレて、絶対許さないと思っていたのに、私は全身の力がくたっと抜けて、おまけに涙腺まで緩んで大号泣してしまった。月彦もさすがに驚いたらしく、「大丈夫か?どうした?月華?」と意味のない質問ばかりしてきた。しゃくりあげながら今まで何をしていたのかと尋ねると、「友達と飲んでた。ごめん。月華がそんなにあの映画観たいとは思わなかった」と弱々しい返事がかえってきた。私は映画が観たかったわけではないのにと思い、一層涙が出る。待ち合わせを忘れていたのかと尋ねると、「覚えてた。でも、友達と飲みに行きたくて」と言われた。

 月彦はそういう男だった。


 そんな月彦と3年間付き合った私は、周りから「寛大すぎて頭か精神がおかしい」と言われた。まったくその通りだと思った。

 私が月彦と3年間付き合えたのは、月彦に理由を聞かなかったからだ。なぜ待ち合わせの約束を守れないのか。何度待ちぼうけをくらっても、それだけは聞かなかった。それを聞いてしまったらおしまいなのだ、と私は本能的に感じていた。きっと今までの彼女と別れた原因もそれに違いない。

 月彦のせいで私は何時間も時間を無駄にしてきた。それは事実だ。イライラしたこともあったし、泣かされたこともあった。しかし月彦の姿を見ると、声を聞くと、なぜだか私は、この人を一人にしたくないと無性に思ってしまうのだった。月彦には都合のいい女としか映っていないかもしれない。それでも構わなかった。


 今日も今日とて、私は月彦を待っている。

 社会人になった月彦と私は、東京で同棲をしていた。同棲といっても、会社が違えば日々のスケジュールも違うわけで、たいていは私が出社する頃に月彦は就寝し、私が退社する頃に月彦は家を出ている。家が同じなので外で待ち合わせをすることはなくなったが、家の中でも待たなければ会えない状況に変わりはない。

 私は夕食を食べ終え、入浴を終え、いつもならもうベッドに潜り込んでいるような時間に、月彦を待っていた。今日帰宅したとき、机の上に月彦の細長い字で「日付が変わるまでに帰るから待ってろ」と書置きがあったからだ。久しぶりの月彦との待ち合わせ。家で帰りを待つことも待ち合わせと言えるのかは微妙だが、この際どうでもいい。私は少しわくわくしていた。月彦が24時までに帰ると言っているのだ。はたして何時に帰ってくるのだろう。ここは自宅だから、睡魔にさえ気を付ければ何時間でも待つことができる。数年前のことを思えば、じつに容易い待ち合わせだった。

 

 24時を15分くらい過ぎた頃、いきなり玄関のドアが開く音がした。映画のDVDをデッキに差し込んでいた私は仰天した。知らない人が入ってきたのだろうかとさえ逡巡した。

「ただいま、月華。」

ばたばたと月彦がリビングに入ってくる。額には少し汗がにじんでいて、息もあがっている。走ってきたらしい。

「おかえり。どうしたの、そんなに急いで。」

私はDVDを片付けて、月彦のそばへ駆け寄った。らしくない姿に少し心配していた。何かあったのだろうか。

「ああ、間に合わなかったか。」

掛け時計に目をやった月彦は、がっくりとうなだれている。まさか、と私は思った。

「まさか、24時までに帰ろうとして急いできたの?」

「そう。本当は仕事休むつもりだったんだけど、どうしてもやらなくちゃいけない作業があって。それだけやって急いで帰ってきたけど、間に合わなかった。ごめんな。」

月彦のしおらしい姿に目を丸くする。

「待つのは慣れてるんだから、そんなに気にすることないじゃない。」

私は励ますつもりで言ったのだが、月彦は怒ったような顔をした。

「気にしろよ。月華はいつもそうやって俺を甘やかす。俺のせいですげえ時間無駄にしてんのに、絶対俺のこと怒らないだろ。俺、月華のそういうとこすげえ嫌だよ。」

 月彦から「嫌だ」と言われたのは初めてだった。私は混乱してしまった。まさか、月彦とおしまいにならないためにやってきたことが、逆に月彦を嫌がらせてしまっていただなんて。考えもしなかった。私はどうすればよかったのだろう。月彦は、どうすれば私を嫌だと思わないのだろう。どうすれば、どうすれば。

 完全に停止してしまった私を見て、月彦は「違う違う」と慌てた様子で私の肩を掴んで引き寄せた。月彦の体温を感じ、固まりかけた心が緩んでいく。

「俺はさ、月華にはすごく感謝してる。」

私を引き寄せたまま、月彦がしゃべりだした。

「俺、待ち合わせとか約束しても全然守れなくてさ。月華のこと好きなのに、今やりたいことがあると、どうしてもそっちをやりたくなる。忘れたわけじゃないし、約束したときは本当にそうしようって思ってるんだけど、いざその時間になると違うことやりたくなる。普通は我慢すればいいんだろうけど、なんか我慢できなくて。今やりたいことを、今やらないと、どうしても気が済まなくて。月華は優しいから、どんなに待っても、絶対許してくれて。また待たされるのわかってても、次の約束もしてくれて、待っててくれて。ほんとに、すごい感謝してる。」

ひとことずつ匙ですくって飲ませるような話し方だった。私も、ひとこともこぼさないように聞いていた。

「でもさ、感謝するだけじゃだめなんだって、ようやくわかった。映画の待ち合わせをすっぽかして月華を泣かせたあの日から、ずっと、どうすればいいのか考えてたんだけど。やっとわかったよ。」

私の肩をつかんだまま月彦が少し離れて、私の顔を見る。私も月彦の顔を見上げた。穏やかな顔をしていた。

「俺の時間を月華にあげる。だから、月華も俺に時間ちょうだい。今までもたくさんもらってるけど、これからもずっと、ほしい。俺、月華がくれる時間は、絶対大事にする。月華がくれる時間も、月華にあげる時間も、大事にしたいって思う。お互いにさ、相手のために時間をあげたら、たぶんずっと大事にできるし、寂しくないと思う。俺、月華と一緒にいたいよ。」

そして、月彦はポケットから紺色のケースを取り出した。

「月華。結婚しよ。」


 にじんだ私の視界が悪いのだろうか。ケースの中には指輪が見当たらない。

 月彦がばつの悪そうな顔をしている。

「ごめん。仕事帰りに急いで店行ったんだけど、閉まっちゃってて。指輪、買えなかった。時間守るのって難しいな。明日、絶対買ってくるから、待ってて。」

目尻が情けなく垂れている。

 私は、明日さっそく私の時間を月彦にあげる必要があるなと考えながら、月彦の胸に顔を埋める。


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