3-4.第4章への前奏曲(プレリュード)
人族の王城では最高位の魔道士たちが集まっていた。円卓に集うだれもが深刻な顔をして頭を抱えている。表情には疲労の色が濃い。原因は明らか。人族最後の希望である「勇者召喚の儀」が相次いで失敗していたのだから。
彼らはみな人族の王国で最高の実力を持つ魔道士だった。歳を取っているだけの、権威にあぐらをかいているだけの存在ではなかった。みな地位に見合う実力を備えていた。それほどに有能な彼らではあったが、召喚の儀が何度も失敗する原因は分からなかった。召喚の儀そのものは完璧なはず。その証拠に異世界に展開した魔法陣が召喚対象者を捉えた感触はしっかりとあった。にもかかわらずことごとく召喚は失敗した。異世界で何者かが召喚を妨害しているとしか考えられなかった。
「一体どうしたらいいのじゃ」
ひとりが弱々しげな言葉を吐いた。
「いかに我らとはいえ、もはや限界が近い。回復魔法ですら、過度の勇者召喚による精神と肉体の損傷を完全に治すことはできん」
「いかにも。もう召喚は1度か、できても2度が限度じゃろう。妨害の正体が掴めぬいま、それも無駄に終わるかもしれん」
「我らが倒れれば、この王国は一体どうなってしまうのか」
「勇者を欠き、我らも力を失えば……。おお! 想像するだけで身の毛がよだつわ!」
悲痛な空気が室内を覆う。
彼らはみな押し黙ってしまった。国王に絶対の忠誠を誓う彼らにしてみれば、自分たちが王国の危機に際して役に立つことができないという事実は耐えられるものではない。彼らが王国有数の魔道士となったのは「王国の役に立ちたい」「人々を厄災から救いたい」という思いから。ただ単に「良い暮らしがしたいから」などと考えている者などひとりとしていなかった。
そしていま、己の力を王国のため、民のために使うまたとない機会が訪れた。にも関わらずその任を果たすことができない。もしかすると目の前で王国が滅ぶさまを見ることになるかもしれない。そのような思いは過度の召喚の儀で疲弊した彼らの心と体をますます蝕むことになっていた。胃はねじ切れるように痛み、頭は沸騰し破裂しそう。人族最高位の魔道士の称号を持つ者として、何としてもこの事態を打開できる方策をひねり出さねばならなかった。
「何者かがあちらの世界で召喚を妨害しておるのは間違いない」
ひとりの魔道士が弱々しく呟く。
「ならばいっそのこと……」
「何じゃ? 何かよい方策でもあると言うのか!」
別の魔道士が息せき切って尋ねた。思わず椅子から身を乗り出す。他の魔道士たちも希望が現れたかのようにそちらを見る。
最初に呟いた魔道士はまさかみなから注目されるとは思っていなかった。顔を上げ、一同からの期待を込めた突き刺さるような視線に気づくと、姿勢を正しこう語り始めた。
「我らはこれまで召喚の儀において、他の世界から勇者は召喚するがそれ以外には極力影響を及ぼさぬよう細心の注意を払ってきた。そうであったな」
他の魔道士たちがいっせいに頷く。
「であるから魔法陣の大きさ、威力とも人ひとりを召喚する最小限のものにしておった。いったん召喚されてしまえば元の世界に戻ることはおそらく叶わぬであろうから。勇者を召喚するためとはいえ、関係のない者まで巻き込むことは我らの良心がとがめる。しかし今やそのようなことを言っている場合であろうか」
「な、なんと! ではおぬし、まさか……」
何人かの魔道士が驚愕の表情になった。椅子から身を仰け反らし身震いする。しかし最初に呟いた魔道士は構わず口調に力を込めた。
「そうじゃ。もはや他の世界の心配をしている余裕など我らにはない。我らの勇者召喚の儀を邪魔するような世界じゃぞ。我らの邪魔をしたい者がおるならすればよい。我らはそやつらもまとめて召喚してしまえばよいのじゃ!」
彼は思わず机を叩いて立ち上がっていた。他の魔道士は困惑げに互いに顔を見合わす。
「召喚対象者以外もまとめて召喚してしまう」、それは人族最後にして最大最強の秘術である「勇者召喚の儀」においても「禁じ手中の禁じ手」とでも呼べる事柄だったから。絶対にしてはならぬこととされていたから。
無数にある異世界はどれもそれぞれが単独で閉じている。他の異世界とは関わりを持たない。異世界がパラレルワールドのように元は同じ世界から枝分かれした存在であったとしても、いったん分かれてしまえば赤の他人。ある世界で何が起ころうと他の世界では関知しない。異世界とはそういうもの。それが世界の理。
だが「勇者召喚の儀」はそうではない。本来関わりを持たぬはず、持ってはならぬはずの別の世界に影響を及ぼす。影響どころではない。別の世界から構成物を無理やり引っこ抜く荒技。いわば世界の理を破る「禁じ手」と言っていい。むやみに行えば互いの世界にどのような影響を及ぼすか分からない。世界の破滅、崩壊につながる可能性すらある。
だから「勇者召喚の儀」を行うにあたって人族は厳格なルールを定めた。「召喚対象は必要最小限にとどめる」というのもそのひとつ。「千丈の堤も蟻の穴より崩れる」に類することわざはこの世界にもあった。他の世界に開ける穴はむやみに大きくしてはならなかった。
しかし今やその「禁じ手中の禁じ手」さえも使わざるを得ない状況といえた。それ以外に方法はないように思えた。魔法だけでなく知能も優れた魔道士たちには、その事実が痛いほど分かるがゆえに己の心を苦しめた。
「しかし実際にやるとなると……」
別の魔道士がおもむろに語り始める。
「次の召喚が最後となろう。これまでより大きな魔法陣を展開せねばならぬからな」
「さよう。我らに残された力から推測するに、時空を貫く労力が一度で済むとはいえ、これまでの2倍か、せいぜい3倍の魔法陣が限界というところじゃて」
「妨害者の実態が何も分かってはおらぬ。そんな大きさで大丈夫か?」
「大丈夫だ、問題ない。……と言いたいところじゃが。分からぬ。分からぬが我らにはもうこれしかない」
「そうじゃ。やるしかあるまい。我ら全員、命捨てる覚悟で」
魔道士たちは立ち上がってみなうなずきあった。禁じ手中の禁じ手を使う覚悟を決めた。魔王国からの脅威が日に日に高まる中、すべての勇者を失った人族の王国が生き延びるためには何ものにも代えて召喚勇者の力が必要なのだから。
実はこの時点で既に魔王国内では新魔王の座を賭けた戦乱が勃発していた。しかし魔王国から遠く離れたここ人族の王国にまだその報は届いていなかった。もし「魔王国内で戦乱が起こり混乱が広がっている」の報が届いていたなら、果たして魔道士たちは同じ決断を下していたであろうか。王国にその報があと数日で届くことを、この時の彼らはだれひとりとして知らなかった。
ついに王城で最後の召喚が行われることとなった。これまでの勇者召喚の儀とは意味合いが違う。人族が行える“最後”の勇者召喚の儀であるだけではない。もし失敗すれば王国の“最期”をも意味する。絶対に失敗できないし、また失敗してはならない。しかし失敗しない保証はどこにもない。異世界における妨害の詳細が分かっていない。魔道士たちの命を賭した力が妨害に打ち勝つ確証はない。それでも彼らはためらわない。人族の王国が生き残るたった一筋の光明を信じて。
最後の勇者召喚の儀を行う日の太陽が昇った。空は晴れ渡り、前途は洋々なように感じられた。
そして魔王が渡った異世界では、その同じ日こそがほかでもない「あの日」となることを、魔王とユウコはまだ知らないでいた。




