第七話
「――『たすけて』って……! 朝塚先輩っ……なんですか、このメールは……っ!?」
「いや、そんなの俺が聞きてぇよ……」
「と、ともかく優希先輩に電話かけてみた方がええんやないですか?」
「そう、だな……」
秋森さんの言葉に頷き、朝塚先輩は手に持った携帯電話で鈴原先輩に連絡を入れる。
さして間を置かずに、聞き馴染みのある電子音が朝塚先輩の携帯から漏れ聞こえてくるが、その音が何度繰り返されようとも鈴原先輩が電話に出ることはなかった。
「――っ、鈴原先輩の部屋に行きましょう……!」
「いやいや、マジになるなよ。こんなの優希の悪戯に決まってんだろ……」
そう言って朝塚先輩は、乾いた笑みを溢す。
この人は、仮にも自分の彼女が助けを求めているというに動こうともしない。
僕にはそれがまったく理解できず、また無性に腹が立った。
「――もし! 悪戯じゃなかったらどうするんですか!?」
故に僕は、怒りに任せて、つい怒鳴り声をあげてしまう。
それが余程意外だったのか、朝塚先輩は(秋森さんも)目を丸くして驚いていた。
「怒鳴ってすみません……行ってきます」
硬直したままの二人にそれだけ言い残すと、席を立って駆け出す。
そして階段を駆け上がりながら、僕は再度あのメールのことを思い出していた。
たすけて――。
たったの四文字、しかしその四文字に妙に生々しい迫力が感じられたあのメール。
朝塚先輩の言う通り、こんなの普通に考えたら悪戯以外のなにものでもないのは確かだろう。
けど、僕はこうも思うのだ。
果たして鈴原優希という先輩は、こんなタチの悪い悪戯を企てるような人間だろうか、と。
確かにあの人は、自分の都合で他人を振り回すところがある。
それは実際に、何度も振り回された経験がある僕が言うのだから間違いない。
けれども、あの人は本当に人が嫌がるようなことはしない、分別をキチンとわきまえている人だった。
そんな鈴原先輩が、たとえ冗談であったとしても、あんな悪趣味な、悪ふざけが過ぎるメールを送ったりするだろうか。
その問いに対する僕の答えは否だ。
少なくとも僕には、どうしても鈴原先輩がそんなことをする人だとは思えなかった。
(くそっ! 嫌な予感がする……!)
二階に到着した僕は、頭をよぎる嫌な予感を振り払うかのようにして、鈴原先輩の部屋である201号室を目指した。
「鈴原先輩! 大丈夫ですか!?」
ノックというには些か激しすぎる勢いで、201号室の扉をガンガンと叩く。
しかし、やはり鈴原先輩が部屋から出てくる様子はない。
「あかん、やっぱり携帯の方も繋がれへん!」
秋森さんが携帯を耳に当てながら報告してくれる。
僕のすぐあとに201号室の前へとやってきた秋森さんは、朝塚先輩に変わって、鈴原先輩に連絡をし続けてくれているのだ。
「――っ、先輩! 返事をしてくださいっ!!」
それでも僕は、諦めずにノックを続ける。
すると、201号室ではなく、202号室のドアがガチャリと開かれた。
「さっきから騒がしいけど、何事?」
202号室から顔を覗かせたのは三嶋先輩だ。
テストに集中していたところを邪魔されたせいか、非難めいた視線をこちらに向けている。
そして――
「おいおい、マジなのかよ……」
三嶋先輩に続いて、朝塚先輩も姿を現す。
その様子を見るに、ようやく事態を真剣に捉え始めたようだ。
「……事情は分からないけど、鈴原に何かあったで間違いない?」
さすがは三嶋先輩というべきか。
僕らから漂う剣呑な雰囲気を感じ取ったのか、先輩は説明をする前からある程度の事情を察してくれたらしい。
三嶋先輩の質問に僕と秋森さんは、二人同時に『はい』と答える。
「そ、そんで今、ドアが開かなくて困ってて……!」
「いっそのこと、このドアぶち破ろう! 朝塚先輩も来たし、僕と先輩の二人で体当たりすれば何とか……!」
「お? おお、やってやんよ……!」
突然自分の名前が出たせいか、朝塚先輩は戸惑い気味に僕の提案を承諾する。
しかし、三嶋先輩がそれに異を唱えた。
「待った。ドラマなんかと違って、現実のドアはそう簡単に壊れたりしない。それよりも合鍵を持ってきた方が早い」
三嶋先輩の言葉を聞いて、僕は思い出す。
そうだ、確かに部長から合鍵があるとの説明を受けていた。
「さすが三嶋先輩! 合鍵取りに行ってきます!」
まるで天啓を得たような気分になった僕は、弾かれるようにしてその場から駆け出すが、その直後にある人物が姿を現す。
「なんだか騒がしいけど、何かあったのかい?」
その人物こそ、誰あろう加賀部長その人だ。
また、部長の後ろには、八坂先輩の姿も見える。
「部長、ナイスタイミング! 緊急事態で鍵が! 合鍵が必要なんです!」
「――は? ……いや、分かった。案内しよう」
ああ、三嶋先輩に引き続き、我が部の三年生はなんて頼りになる方たちなのだろう。
先程の要領を得ていたとは言えない説明でも、この切羽詰まった事態を把握してくれたらしい。
そして部長は、僕を先導するようにして階下へと駆け出す。
僕はまるで、百万の味方を得たような思いを感じながら部長についていった。
※ ※ ※
「――ここだよ。この戸棚に合鍵を保管してある」
部長により、最初に説明されていた通りの戸棚の前に案内される。
その言葉通り、ガラス戸の向こうには、いくつもの鍵が連なった鍵束が確認できた。
あの内のどれかが目的である鈴原先輩の部屋の合鍵なのだろう。
目的のブツを目の前にした僕は、いてもたってもいられずに戸棚の扉を開こうとする。
が、僕の意に反して、その扉が開かれることはなかった。
「君たちを疑うわけじゃないんだけど、モノがモノだからね。管理は厳重にしてあるんだ」
そう言う部長の手には一本の鍵が握られていた。
なるほど、確かに誰でも合鍵を自由に使えるなら各部屋の施錠に意味はなく、プライベートだってない。
当然されていて然るべき処置というわけだ。
「すぐに開けるよ」
そう言って部長は戸棚の鍵穴に鍵を差し込み、回す。
そうして例の鍵束を戸棚から取り出した。
「ありがとうございます、部長!」
感謝の言葉を述べつつも部長から鍵束をひったくると、僕は大急ぎで201号室へと向かった。
※ ※ ※
「――加藤、合鍵はあったか!?」
「はい、バッチリです!」
再び201号室の前へと到着した僕は、みんなに見せびらかすようして手に持った鍵束を掲げる。
現在もドアをノックし続けている八坂先輩以外のみんなに、一瞬ではあるけど安堵の表情が浮かんだ。
それにしても……ほんの少しだけ、戻ってきたら鈴原先輩が悪戯大成功とばかりにケラケラ笑いながら部屋から出てきていることを期待したのだけど、やはり人生はそんなに甘くないみたいだ。
「春やん、はよ開けたげて!」
「わ、分かった! えぇっと、201号室の鍵はどれだ……!?」
鍵束から201号室の鍵を探す。
「これじゃない……これでもない……!」
けど、焦りと苛立ちが邪魔をして思うように指が動かず、なかなか見つからない。
「くそっ、どれだよっ!? 鍵は十本程度しかないはずなのに、なんで――っ!?」
ああ、僕はいったい何をやっているんだ!
みんなが僕を待っているのに……!
焦燥感が募る。
さらにカチカチと鍵同士がぶつかる耳障りな金属音が余計に僕を苛立たせた。
「加藤くん、焦る気持ちは分かるけど、少し落ち着こう」
心優しき我らが部長が、現在進行形で醜態をさらしている僕をフォローしてくれる。
「分かってます! 分かってますけど……!」
けれども僕は、そんな部長の言葉を真剣に受け取ることなく、変わらずいくつもの鍵と格闘を続けるという醜態をさらす。
そして、最早苛立ちが限界寸前にまで達しようとしていたまさにその時――
「――あ! あった! ありましたっ!!」
僕はようやく、念願にして待望の201号室の部屋の鍵を手にしたのだった。
「八坂先輩、鍵を開けます!」
未だノックを続けていた八坂先輩を押し退けるようにして、201号室の前へと立つ。
緊張で震える手を何とか押さえながら、合鍵を鍵穴へと差し込んだ。
手首を捻り、ドアノブのロックを解錠する。
ガチャリという音が聞こえたその瞬間、心臓がドクンとはねあがった。
「それじゃあ、開けます……!」
誰に言うでもなく独りごちたあと、僕は勢いよく201号室のドアを開け放つ。
「――っ!?」
そこで僕たちは、とんでもない光景を目の当たりにするのであった。