第五話
「うわ、すご……」
室内に入った途端、春明は感嘆の息を漏らす。
ある程度グレードの高い部屋であることは予想してたが、今彼の目の前に広がっている光景は、その予想をはるかに上回るものであった。
まず、なんといっても部屋が広い。
春明の自宅の部屋はフローリングの六畳といった極々平凡なものであるが、この部屋はその倍の広さはあるだろう。
ベッドにしても、春明が普段使用しているようなシングルサイズのものではなく、ダブルサイズのものが、しかも二つ設置されている。
さらにユニットバス形式ではあるが、個室に風呂とトイレまで備え付けられていた。
(この部屋、一泊するとしたらいくらかかるんだろう……)
春明は思わずそんなことを考えてしまう。
悲しき庶民のサガであった。
格差社会の洗礼に辟易しながら春明はベッドに腰掛ける。
(さて、これからどうしようかな)
腕時計を確認すると、現在時刻は十五時を少し過ぎた頃。
加賀から十六時までは一旦自由行動と言われているが、見知らぬ土地、しかも外は大雨とくれば春明が取れる行動はそう多くない。
持ってきた小説を読むか、それとも時間までこのフカフカのベッドを堪能するか……と、春明が悩んでいた時であった。
春明のズボンのポケットから、何やら不気味なメロディーが聞こえてくる。
そのメロディーは、ドラマ版じっちゃんの名にかける少年のテーマであり、春明が携帯のメール着信音に設定しているBGMだ。
「お、秋森さんからメールだ」
春明はポケットから携帯を取り出し、二つ折りになっている携帯をパカッと開く。
メールを確認すると、そこにはトランプを持ってきたからリビングでやらないかとのお誘いが記載されていた。
暇を持て余していた春明にとって渡りに船な提案である。
故に春明は、すぐさま了承のメールを返信し、リビングに向かうのであった。
※ ※ ※
「お、来たね」
春明がリビングに到着すると、そこには加賀と三嶋に八坂、そして秋森の姿があった。
「部屋の方はどうだった? 問題なかったかい?」
「問題はないですけど、部屋が豪華すぎて逆に居心地が悪いというか……」
「あー、その気持ちめっちゃ分かるわー」
春明の言葉に秋森が同意の言葉を口にする。
秋森だけでなく、八坂も言葉にはしないまでも頷いて同意の意を示していた。
「はっはっは、去年も鈴原くんが同じことを言っていたよ。まぁ大丈夫、そんなものはすぐに慣れるさ」
愉快そうに笑いながら加賀は春明の肩を叩く。
持つ者の余裕がそこにはあった。
「ところで、秋森さん。鈴原先輩と朝塚先輩は?」
「優希先輩と朝塚先輩は、なんか二人で大事な話するから無理やって」
「大事な、話……?」
秋森の言葉を聞いた瞬間、八坂の表情がこわばる。
「うん? 八坂くん、どうかしたかい?」
「い、いや……大事な話って何だろうなって……」
「意外と別れ話やったりして!」
「そ、それはさすがにない、んじゃないかな……」
今度は傍目には平静に見える八坂であったが、『別れ話』という言葉を聞いた瞬間、彼の眉がピクリと動いたのを春明は見逃さなかった。
「いやいや、秋森さん。このタイミングで別れたりなんかしたら、このあと気不味いってもんじゃないでしょ」
「それもそっかぁ」
「まぁそういうことなら仕方ない。それじゃあ、僕たちだけで始めようと言いたいところだけど――三嶋くん、君はどうする?」
加賀はテーブルの端に視線を向ける。
そこには端に陣取りながら小説を読み耽る三嶋の姿があった。
「ん、私は小説を読んでるからいい」
加賀の誘いを一蹴する三嶋。
そんな三嶋を見て春明は、相変わらずの本の虫だなぁと思うと共に、ああいう人が将来作家になるのだろうなと複雑な思いを持つのであった。
「ふむ、そうかい? それじゃ、僕ら四人で始めようか」
「はぁーい」
※ ※ ※
「うがぁー、また大貧民かぁー」
雄叫びをあげながら春明は天井を仰ぎ見る。
これで彼は三連続となる大貧民、つまりはビリであった。
「春やん、弱いなー」
「はっはっは、大富豪は一度ビリになると逆転しにくいからね。もっとも、だからこそ“革命”なんてルールがあるわけだけど」
「でも、同じ数字のカード四枚なんて、そうそう集まるものじゃないですよ……」
「まぁ私はさっき四枚揃ってたんやけどな?」
「えっ!? じゃあ、なんで革命起こしてくれなかったんだよ!」
「だって、そうすると私が不利になるやん」
「……ごもっともで」
勝負の世界は非常なのであった。
「しかし、八坂くんは強いね。五回の勝負の内、どれも大富豪か富豪で終わってるじゃないか。何かコツでもあるのかい?」
加賀は八坂に話しかける。
しかし、八坂からの返事はなく、彼はただ俯いて何かを考え込んでいるようであった。
「……八坂くん?」
「……えっ、あ、すみませんっ。何ですか……?」
「いや、何やら心ここに在らずといった感じだけど、体調でも悪いのかい?」
「そ、そんなことはないですけど……」
加賀の言葉を否定する八坂だが、その顔色は明らかに悪い。
元より色白な彼の肌色も手伝って、顔面蒼白と言っても過言ではない有り様だ。
「八坂先輩、無理はしない方がいいですよ」
「無理なんて……いや、そうだね。それじゃあ、ちょっと気分転換に顔でも洗ってくるよ……」
席を立ち、おぼつかない足取りで八坂は洗面所へと向かう。
その姿はさながら幽鬼のようであった。
(八坂先輩、やっぱり鈴原先輩のことが好きなんだろうな……)
これまでの八坂の態度から春明は、そう結論付ける。
彼のあの態度も、自分の想い人が男と個室に二人っきりとなれば、やむ無しといったところであろう。
(きっと心中穏やかじゃないんだろうけど、こればっかりはなぁ……)
世の常のことであるとはいえ、思わず憐憫の情を覚える春明。
かといって人の恋路に口を出せるほどの経験は彼にはない。
そんな春明に出来ることと言えば、せめて八坂が帰ってきたら優しい言葉をかけてあげようと心に決めるくらいのものであった。
「八坂先輩、どないしたんですかね?」
「さぁ、旅行疲れでも出たのかな?」
(――って、この二人は理解してないのか!)
※ ※ ※
「鈴原先輩と朝塚先輩、遅いですね……」
またしても大貧民という不名誉を承ることなった春明は、自身の弱さから目を背けるようにしてそんなことを呟く。
なお、これで彼が大貧民となった回数は、通算で十回目となる。
「そやね、もうとっくに十六時回ってんのにな」
秋森の言う通り、リビングの柱に掛けられている掛時計は、現在時刻が十六時を十分ほど過ぎた頃であることを指し示していた。
「ふむ、加藤くん。悪いんだけど、彼らの部屋まで行って二人を呼んできてくれないかな?」
「あ、はい。わかりました」
そう言って春明が席を立った直後のこと。
「いやー、すんません。ちょっと準備に手間取っちまいました!」
謝罪の言葉を口にしつつも、まったく悪びれた様子のない朝塚がリビングに現れる。
「十分ほど遅刻ですよ、朝塚先輩」
「だから悪かったって。あれ、それより優希のやつは?」
「……まだ来てません。一緒に居たんじゃなかったんですか?」
「あー、三十分ほど前まではな? 俺はテストの準備やら何やらで色々と忙しい身なんだ。ずっとあいつに構ってられねーよ」
その言葉を受けて春明は、朝塚が何やらプリント用紙を脇に抱えていることに気付く。
「テスト? これから何かのテストをするんですか?」
「おっと、まだ詳しくは言えねーな? 知りたかったらさっさと優希を呼んでくるんだな」
プリント用紙を背中に隠しながら朝塚は不適な笑みをこぼす。
釈然としないものを感じつつ、春明は鈴原の部屋である“201号室”へと向かうのであった。
※ ※ ※
「せんぱぁ~い! 鈴原せんぱぁ~い!」
“201号室”のドアの前へと到着した春明は、鈴原の名を呼びながらノックをする。
しかし、いくら名を呼ぼうがノックをしようが、彼女からの返答はない。
「やっぱり寝てるのかな?」
ならば仕方ないと、春明はズボンのポケットから携帯を取り出して鈴原の番号にかけるが、これも駄目。
何度コールしようとも彼女が出ることはなかった。
ふむ、と春明は顎に手を当てる。
旅先の仮住まいとはいえ、まさか女性の部屋に無断で侵入するわけにもいかない。
であるなら、現状彼がこの場で出来ることはもう何もないことになる。
「……まぁ、やるだけのことはやったしね」
人事は尽くしたと自分に言い訳しつつ、春明はリビングへと戻るのであった。