第一話
『犯人は――貴方ですっ!!』
僕が“犯人”を指差すと、どーんという効果音が鳴り響いた。
(いや待って、効果音が鳴り響いたって何? 彼のバックには音響さんでも待機してるの?)
『な、なんだってー!?』
ギャラリーは一様に驚きつつ、僕が指差した先いる人物に視線を移す。
すると、“犯人”は明らかに同様しながら叫んだ。
(おっと、誤字と脱字発見。これはあとで報告だな)
『ば、馬鹿なことを言うな! 俺がいったいどうやって密室の中にいた被害者を殺したっていうんだ!?』
『フッ、その謎は既に解けていますよ』
『な、なんだってー!?』
今度はギャラリーではなく、“犯人”が驚きの言葉をあげた。
(というか、さっきも気になったんだけど、このギャラリーって表現はどうにかならないのかな? 何、この人たち劇場の上でお芝居でもやってるの?)
『いいですか? 被害者が殺された部屋は、最初から密室なんかじゃなかったんです。何故なら、この部屋には”秘密の通路”が存在していたのです!』
『な、なんやてー!?』
(秘密の通路はともかく、なんでいきなり大阪弁やねん)
『“犯人”はこの通路を通って被害者を殺しのです!』
『くっ……しかし、証拠はあるのか!? 俺がその通路を通て被害者を殺したって証拠が!』
『残念ながら明確な物的証拠はありません。ですが、僕の超能力はこの部屋で起こった加古の出来事全てを映し出すことが可能なのです! この力を使って――』
(ハ、ハハ……ホントごめん、もう勘弁してください……)
※ ※ ※
――二〇〇×年七月某日
「はぁ……」
その少年、加藤春明は大きなため息をついた。
一学期最後の行事である終業式も無事に終わり、明日から待ちに待った夏休みである。
だというのに彼は、決して大きくない部室内で大いに頭を悩ませていた。
春明は額から滲み出る汗を腕で拭う。
ニュースによれば、本日は例年よりも一段と高い気温であるらしいが、部室内にはエアコンなどという文明の利器が存在しないせいで、外とさして変わらない暑さであった。
ただ、今この時ばかりは、その滲み出る汗は暑さのせいだけではなかったであろう。
春明は手に持っている“それ”に再び目を通す。
彼の手には何枚ものプリント用紙が握られており、それら全ての用紙には縦書きで印字された文字がビッシリと羅列されていた。
“それ”は、製本こそされていないが、世間一般的にはいわゆる“小説”と呼ばれる類いのものとなる。
それと同時に、目下のところ春明を悩ませている最大の原因でもあった。
春明は“ミステリー研究部”という、なかなかにニッチな部活に所属している。
主な活動内容は推理小説を読んだり、時には書いたりするのだが、今春明が読んでいる“それ”も部活動の一環で、彼の部活仲間である友人が書いたものだったのだが……。
(うーん……)
春明は再度頭を悩ませる。
“それ”を読んだ感想を率直な言うならば――と、そこまで考えて春明は思い直す。
(――いや、たとえ内容がどうであれ、人様が一生懸命書いたものを貶すのはよくないことだ)
勿論、褒めるばかりが愛ではないが、ただ貶すだけでは品がない。
しかも、“それ” が彼の友人が執筆したものであるなら尚更であろう。
(というか、文章の稚拙さは素人――ましてや、この筆者はこれが初の作品になるんだから仕方ないじゃないか。明らかに目に付く誤字脱字だって後で修正すれば済む話なわけで、つまりはノープロブレムだ)
さらに言うなら、曲がりなりにも執筆経験のある春明は、一つの作品を完結させるのに、どれほどのパワーと労力が必要なのかを嫌というほど理解していた。
その観点から考えると、この作品は完結させているだけでも充分に及第点をあげられるだろうと春明は考える。
(でも……でもなぁ……)
春明は頭を抱える。
彼は推理小説を読んでいたはずであった。
この小説の作者も『推理小説書いたから読んでー』と春明に頼んできていたことから、少なくとも作者自身もこの小説を推理小説だと認識していることに間違いはない。
(推理小説、ねぇ……)
春明は再度渡されたプリント用紙に目を落とす。
しかし、何度見ても、そこには超能力で事件を解決する探偵の姿がはっきりと記述されていた。
(――いや、推理してないやん!? つか、超能力で事件解決出来るならもう推理とかいらんやんっ!?)
思わず大阪弁でツッコミを入れてしまう春明であった。
「はぁ……」
再び大きなため息をつく春明。
そんな彼に一人の少女が声をかけてくる。
「春やん、読み終わったぁ?」
満面の笑みを浮かべながら春明に問いかけるその少女。
彼女こそが“それ”の作者である秋森美奈樹その人であった。
学年は春明と同じく一年。
関西方面出身者独特の喋り方と、その明るい性格によく似合っているポニーテールが印象的な少女である。
一見すると、とても推理小説を執筆する風には見えない彼女。
しかし、彼女も間違いなくミステリー研究部に籍を置く部員の一人なのだ。
彼女は幼き頃に、体は子供、頭脳は大人な名探偵の漫画にハマってからというもの、嗜む小説といえば推理ものばかりとなった。
そして今では、そろそろ海外の推理小説にも手を出そうかと考え出してしまうほどの立派な推理小説マニアに変貌してしまっていたのだ。
なお、余談ではあるが、彼女はじっちゃんの名にかけて推理する少年探偵の漫画も好きである。
「まあ、一応は……」
秋森の問いかけに答える春明。
が、答えてから春明は、読みはしたが最後までは読んでいなかったことに気付いた。
すぐさま訂正しようとする春明であったが……。
「――どう!? どやった!? 自分で言うのもなんやけど、これ結構自信作やねん!」
秋森の怒濤の質問責めにより、その機会を逸することになる。
「えっと、その……」
誤解を解くことも叶わず、春明が答えあぐねているまさにその時のこと。
ガラッという音を響かせながら部室の扉が開かれる。
ナイスタイミングとばかりに春明が扉の方に目を向けると、そこには二人の男女の姿があった。
「あ、三嶋先輩に八坂先輩、こんちはッス」
「こんちゃー」
春明と秋森は二人の先輩に挨拶をする。
「うん、こんにちは」
後輩たちの挨拶に“三嶋”と呼ばれた少女は、無表情のまま挨拶を返すと秋森の隣の席についた。
対して“八坂”と呼ばれた少年は軽く会釈するだけで、あとは視線から逃れるようにして春明の隣――ではなくもう一つ隣の席につく。
(うーん、別に避けられてるわけじゃないんだろうけど……)
一つ間を空けて座られたことに少しショックを受ける春明であった。
この眼鏡をかけていて線が細い、いかにも文化部然とした感じの少年の名は八坂潤。
学年は春明の一つ上の二年生となる。
八坂はあまりコミュニケーションが得意なタイプではないらしく、また彼はたまにしか部活に顔を出さないこともあって、同じ部活の仲間でありながら春明は数えるほどしか彼と会話したことがなかった。
そして、少女の方の名は三嶋文子。
学年は最上級生となる三年だ。
腰まで伸ばしたストレートの黒髪に眼鏡といった出で立ちで『楚楚とした』といった言葉がピタリと当てはまるかのような娘である。
ただ文化部の宿命なのか、彼女も八坂と同じくコミュニケーションが得意なタイプではなかった。
そもそも彼女自身、他人と積極的にコミュニケーションを取る気はないようで、今も席につくやいなや鞄から文庫本を取り出して読み始めようとしているところであった。
しかし――
「三嶋先輩、部長たちはまだ来ないんですか?」
そうはさせじと春明は、今まさに文庫本を開こうとしていた三嶋に問いかけることで、その動作を中断させる。
「……分からない。私は何も聞いていない」
春明の問いに、三嶋は変わらず無表情のままで答えた。
「そうですか。終業式に人を部室に呼び出しておきながら自分は遅れるなんて、何やってるんですかね、あの部長は」
「そうね」
「あ、ところでその本どうですか、面白いですか?」
「今のところは75点」
「お、三嶋先輩がそんな高得点付けるなんて珍しい。ってことは、かなり内容に期待出来そうなですね!」
春明は、その後も矢継ぎ早に三嶋に話しかける。
これは、そうしないと秋森に小説の感想を求められてしまうが故の防衛手段であったが、それ以上に秋森を守るためでもあった。
というのも、春明と三嶋の会話が終わってしまえば何も知らない秋森は、必ず自身の小説を三嶋に読ませようとするだろう。
(――それだけは何としても防がなくちゃないらない……!)
何故ならこの三嶋という娘、普段は口数が少ない、というか必要最低限しか喋らないが、こと“小説”の話になるとその限りではない。
特に将来ミステリー作家を目指している関係か、彼女に自作小説の感想を求めた場合、遠慮の無さすぎるダメ出しと、重箱の隅をつつくような細かい指摘を受けるハメになってしまうのだ。
なお、何故春明がその事を知っているのかというとだ。
春明はゴールデンウィーク明けに、自身初となる自作小説を三嶋に読んでもらった時のことを思い出す。
(あ、あれは辛い経験だった……)
なんてことはない、実際にそれを体験していたからであった。
勿論、自分の小説が手放しで褒められるようなものではないことを彼は重々承知していたし、あの遠慮のない指摘も善意からのものであることは理解しているのだが……。
(でも、もう少しオブラートに包んだ言い方ってものがあるよなぁ……)
実際春明は、その時のことがトラウマになってしまい、それ以降小説を書くことを止めてしまっていた。
故に、彼は秋森をそんな目に遭わせるわけにはいかないと奮闘する。
今の彼は、いわば一人の少女の笑顔を守るために、人知れず戦う孤高のヒーローであった。
ただ一つ問題があるとすれば――
「――そう言えば秋森。小説読んだ」
「ほんまですか! どうでした!?」
時、すでに遅し――ということであったろうか。
「ちょ、まっ――」
このままではマズイと春明の本能が警鐘を鳴らす。
――が、三嶋の口から出た言葉は、春明にとってまったくの予想外なものであった。
「――斬新な内容で面白かった」
「わっ、褒められた!」
「え? えぇ?」
春明は困惑する。
何故なら、春明は彼女にそんなセリフを一言だって言われていないのだから。
(な、なんで秋森さんのだけ……)
繰り返しになるが、春明は自分の作品がそれほど優れているわけではないのを理解している。
それでも秋森の作品に比べて、そう劣ることのない出来ではあるとの自負があった。
しかし、現実はどうだ。
秋森の作品は褒められたが、春明の作品はダメ出しと指摘を受けるばかり。
自分の作品はそこまで酷いのか、いやアレに比べればだいぶマシなはずだ――と、春明の中にそんなどす黒い感情が渦巻き始めたその時。
ガラッという音を響かせながら、再度部室の扉が開かれた。
「ごめんごめん。待たせちゃったみたいだね」
謝罪の言葉を告げながら、一人の男が部室内に入ってくる。
彼の名は加賀正樹。
学年は三嶋と同じく三年生で、このミステリー研究部の部長を務めているのは彼であった。
成績優秀で運動神経も悪くなく、そして容姿も端麗。
おまけにお金持ちのお坊ちゃんであるが、決してそれを鼻にかけることはしないと、まるで漫画の登場キャラクターのような男である。
「あれ、部長。鈴原先輩と朝塚先輩はどうしたんですか?」
「ああ、彼らならまだ職員室でお小言を受けているところだよ。どうも長くなりそうだったんでね、彼らには申し訳ないけど、僕だけ先にお暇させてもらったのさ」
なお、今現在教師からお小言を受けているらしい両名もミステリー研究部の部員である。
春明が所属しているミステリー研究部は、ここにいる五名と彼ら二名を足した計七名で構成されていた。
「えー、そんならやっぱ“合宿”は無理ってことですか?」
加賀の言葉を受けて秋森が声をあげる。
そもそも春明たちが、部活もないのに今こうして部室に集まっているのには訳があった。
今年入学したばかりである春明と秋森は当然まだ参加したことがなかったが、このミステリー研究部は毎年夏休みになると恒例行事として“合宿”が行われるというのだ。
――ミステリー研究部の合宿てなんやねん、という疑問はもっともであろうが、とりあえず今はつっこまないでもらいたい。
しかし、先に名前が出た鈴原、朝塚の両名は一学期の成績が惨憺たるものであったらしく、となれば当然のごとく補習を受けるハメになったのだが、そこで困ったのがミステリー研究部の面々である。
運の悪いことに、合宿の日取りと補習の日取りが被ってしまったのだ。
ある理由により合宿は全員参加が鉄則、このままでは合宿が行えない。
というわけで部長である加賀が、補習の日取りを変更できないかと交渉しに行くハメになる。
終業式のこの日に、部活もないのに約二名を除いた全員が部室に集まっているのは、加賀の交渉結果によっては今年の合宿はなしとなってしまうので、それを知らせるためであった。
「まあ、鈴原くんたちだけならともかく、他にも参加者がいる話だからね。さすがに補習の日取りを変更することは出来なかったよ」
「あー、そりゃそうですよね。合宿、めっちゃ楽しみにしてたのに残念……」
秋森は肩を落としながら落胆した声を出す。
加賀はその姿を見てニヤリと笑った。
「……秋森さん、多分大丈夫だよ」
「え?」
「部長は今、補習の日取りを変更すること『は』って言ったでしょ? 多分部長のことだから、何か交換条件を出して鈴原先輩たちが合宿に参加できるようにしてくれたんだと思うよ。……ですよね、部長?」
そう言って春明は加賀を真っ直ぐに見据える。
その視線を受けて加賀は驚きの表情を浮かべたが、それはすぐに満足そうな表情へと変貌を遂げた。
「うんうん、さすが我がミス研期待のルーキー、良い推理だね! その通り、日取りの変更は無理だったけど、彼らの補習は夏休みの課題を上乗せする形で勘弁してもらえることになったよ」
「え……ってことは……!」
「秋森くん、試すような真似をして悪かったね。今年も我がミス研の合宿は、例年通りに行うから安心してくれたまえ!」
「やったぁっ! 春やんの推理のおかげで合宿行けるって!」
「いやいや、推理ってほどのことはしてないし、そもそも頑張ったのは部長であって僕は何もしてないんだけど」
「もー、細かいことはええやん! ともかく合宿、楽しみやねー」
「う、うん。そうだね」
――こうして、春明たちミステリー研究部の面々は、夏休みを利用して“合宿”という名の旅行に赴く運びとなった。
彼らは旅先でどんな経験をして、どんな思い出を作るのか。
それは神ならぬ身であるところの彼らでは、知るよしもないことであった。