第十四話
『まずは物的証拠からいこうか』――部長はこのセリフのあと、僕に自身の部屋から(ついでに三嶋先輩と八坂先輩の部屋からも)あるものを回収してくるように依頼した。
訝しげに思いながらも、とりあえず言われた通りに部長たちの部屋にお邪魔したのだけど、回収物を見た途端、僕は部長の意図を理解する。
なるほど、確かにソレは証拠としては少し弱いものの、部長が朝塚先輩に反論するには十分な材料だった。
「――部長、持ってきましたよ」
回収物を手渡すと、部長は『ありがとう』と礼を言って、いつもと変わらない笑顔を見せる。
「さぁ、見てくれ朝塚先輩くん。これが僕が犯人ではないという物的証拠だよ」
そして、まるで水戸の黄門様が印籠を見せつけるかのようにして、部長は僕から受け取った一枚のプリント用紙を朝塚先輩の眼前に突き出した。
そう、それこそ部長が自身の無実を証明するための証拠品。
つまりは、解答欄が七割方埋められているテスト用紙だった。
「メールの着信時間から考えて、犯行時刻が十六時三十二分以前だということに異論はないと思う。で、テストは十六時十五分頃からの開始だったから、仮に僕が犯人だとしたら約十五分の間に犯行を行い、かつ問題を七割ほど解かなきゃならないんだ。そんなことが可能だと思うかい?」
部長の思わぬ反撃に朝塚先輩は一瞬たじろぐも――
「――ハッ、解答欄を埋めるだけなら誰でも出来るんだよ!」
すぐさま気を取り直して反撃に出る。
「そう思うなら採点してみてくれ。おそらく解答している分は、全て正解しているはずだからね」
が、その反撃すらも部長は軽くいなしてしまうのだった。
舌打ちしながら朝塚先輩は、部長のテスト用紙を引ったくるようにして奪う。
確かに、ちゃんと問題を読んでいない僕には、部長の解答が正解なのかどうかは分からない。
「――カ、カンニングだ! テメェ、事前にテスト問題を盗み見てやがったなっ!?」
だけど、少なくとも部長の解答が間違いだらけのものでないということは、朝塚先輩のその態度が物語っていた。
「そう思うなら、次からはもう少し難しい問題にしてほしいものだね。おかげでこれ、証拠としては弱いんだよ」
『ね、三嶋くん』と、部長は三嶋先輩に声をかける。
「ん、簡単だった」
そう頷く三嶋先輩の前には、七割どころではない、全ての解答欄が埋められているテスト用紙が置かれていた。
改めて思うけど、うちの三年生コンビは少々スペックが高すぎるのではなかろうか。
頑張ってテスト問題を作成したであろう朝塚先輩に、思わず同情してしまう僕だった。
「ちょ、ちょっと待ってください。まさかこれ……ほとんど解答出来てないからって、次は僕が疑われる流れじゃないですよね……?」
震える声でそう呟いたのは八坂先輩だ。
八坂先輩が不安に思うのも無理はない。
先輩の解答欄は、部長たちと違って三割ほどしか埋まっていなかったのだから。
だけどそれは、解答時間が十五分程度しかなかったという事実から考えるとごく普通のことで、疑う材料にはなり得ない。
あくまで、部長と三嶋先輩が規格外なだけなのだ。
何より――
「ああ、心配しなくていいよ。ついでだから加藤くんにキミたちのテスト用紙も回収してもらったけど、これはあくまでも、僕が犯行におよぶ時間がなかったということを証明するためのものだからね。……それに密室の謎が解けない限り、僕が最有力容疑者であることに変わりはないさ」
そう言って部長は、自嘲めいた笑みをこぼす。
そう、残念ながら部長がいくらここで自分には犯行におよぶ時間はなかったと弁明しようとも、実際に犯行が可能であった人物が他にいない以上、部長が最有力容疑者であることに変わりはないのだ。
「す、すみません……」
八坂先輩は謝罪の言葉を口にする。
その顔には安堵と部長への申し訳なさが混ざった複雑な表情を浮かべていた。
しかし、気になるのは部長のこの余裕だ。
今もって最有力容疑者として疑われているにも関わらず、多少緊張した様子は見られるものの、部長には追い詰められている者が発する特有の焦りがまるでない。
もう逃げ場はないと開き直っているのか、それともバレっこないと余程の自信があるのか……。
いや、そもそもの話、本当に部長が犯人なのか……?
当初こそ部長が犯人なのではと疑っていた僕だけど、事ここに至り分からなくなってしまっていた。
「えっと、何? どーゆうこと? 犯行が可能やったんは部長だけやのに、その部長には事件を起こすだけの時間はなかったって……そんなん矛盾してるやん」
矛盾……そう、矛盾だ。
改めて考えてみたら、何もそれは今秋森さんが言ったことだけじゃない。
この事件は、最初から矛盾したことだらけなんだ。
「矛盾とか関係あるかよ! 時間があろうがなかろうが、ともかく実際に犯行が可能だったのがコイツ以外にいない以上、犯人はコイツ以外にありえねぇんだよっ!!」
朝塚先輩は頑なに部長が犯人だと主張する。
だけどそれは、目の前に転がっているいくつもの問題を無視して、分かりやすい答えに飛び付いているだけにすぎない。
朝塚先輩は気付いていないのだろうか。
自分の行動が、ともすれば“犯人”に利する行為となっているかもしれないことに。
まだ確かなことは何も分かっていない僕だけど、これだけはハッキリと言える。
このままじゃ、駄目だ。
このまま目の前に存在する大きな問題を無視して、部長を犯人扱いし続けていては真実は永遠に闇の中。
きっと僕たちは、いつまで経っても真実に辿り着くことはないだろう。
真にこの事件を解決したいのであれば、これらいくつのも矛盾から目を逸らさず、真っ向から立ち向かっていく必要がある――僕にはそんな気がしてならなかった。
瞑目し、深呼吸を行う。
拳を握りしめることで意志を固め、同時に覚悟を決める。
刮目、そして言葉を放った。
「――待ってください」
みんなの視線が僕に注がれる。
その瞬間、ドクンと心臓が跳ねあがった。
先程の覚悟は何処へ行ったのか、思わず逃げ出したくなる衝動に駆られるが、もう後には退けない。
自身の弱い心を奮起させ、僕は再度みんなに言い放った。
「――もしかすると部長は……“犯人”にはめられたのかもしれません」