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第十一話

「ごめん、なさいっ……」


 開口一番、三嶋先輩から謝罪の言葉が飛び出す。

 対して僕はと言えば、突然頭を下げられても何のことやら分からず、ただ困惑するばかりだった。


「……え? 僕に伝えたいことって、それですか……?」


「そう、君にはずっと謝りたいと思っていた」


「はぁ……」


 あー、びっくりした。

 えらく神妙な顔つきで、伝えたいことがあるなんて言うから、告白でもされるのかと思った……。

 いや、そんなことがあるわけないってのは分かってるんだけどさ……。


「あの、というかですね? いきなり謝られても、僕には謝ってもらうようなことをされた覚えが、まるでないんですが……」


「そんなことはない。私は君に酷いことをしてしまった」


 はて、と首をかしげる。

 三嶋先輩はそう言うけど、どれほど記憶を辿ろうとも、やはり僕には先輩に謝罪されるようなことをされた覚えはないのだ。


「……だって、現に君は――小説を書くのを止めてしまっている」


「あ――」


 その言葉で僕は唐突に理解した。

 三嶋先輩が、いったい何に対して罪の意識を持っているのかを……。


 僕は思い出す。

 三嶋先輩と出会った日のことを。

 そして、あの日のことを――。


 三嶋文子――僕より二つ上の三年生の先輩。

 僕は、作家を目指して小説を書いているという彼女と出会った時、とてつもない衝撃を受けた。


 小説を書いてみたい――そんな想い自体は、小説を好んで読む人間なら、おそらく誰もが一度は持ったことがあるんじゃないかと思う。

 だけど、ほとんどの人間は思うだけで終わってしまう。


 何せ敷居が高すぎるのだ。

 故に、()()()()()大多数の人間は、自分に小説を書くなんて無理だと、そんなことが出来るのは、極一部の選ばれた人間だけなのだと自分に言い聞かせる。

 本当は焦がれながら、しかしそんなものは無垢な子供が抱くような、荒唐無稽で儚い夢なのだと諦めるのだ。


 だけど、彼女は――三嶋先輩は諦めたりはしなかった。

 三嶋先輩は、自分には無理だなんて言い訳はせず、ただひたすらに作品を書き綴っていたのだ。


 ――衝撃、だった。


 その時、僕が胸に抱いたのは、嫉妬心と劣等感。

 そして、それらを軽く凌駕してしまうほどの――憧れ。


 そう、僕は彼女のようになりたいと、三嶋先輩に憧れたのだ。

 だから僕は決心した。


 将来の夢は作家だなんてことは、とてもじゃないけど言えない。

 だけど、せめて今もこの胸に燻り続けている“物語”だけは、世に解き放とうと心に決めたのだ。


 まあ、正直に言うと、三嶋先輩に褒めてもらいたい、なんて多少の下心があったことは否めないけど……。

 ともかく、そうして僕は、ゴールデンウィークを丸々利用して、生まれて初めての“小説”を書き上げたのだ。


 そうしてゴールデンウィークが明け、ついにあの運命の日を迎えることとなる。

 今思うと、初めて小説を書き上げたという達成感のせいで、舞い上がってしまっていたのだろう。

 僕は『忌憚きたんのない意見を聞かせてください』なんて自信満々なセリフを吐きながら、自身の小説を三嶋先輩に読んでもらったのだ。


 しかして、その結果はというと……まあ言うまでもなく惨憺たるものだった。

 表現がおかしいやら描写が足りてないなどの指摘はもとより、日本語の使い方や果ては誤字脱字などなど……これでもかというくらいに、しかも無表情で淡々とダメ出しを食らうハメになったのだ。


 正直、処女作にしては良いものが書けたのではと自信があっただけに、この結果には辛いものがあった。

 そして僕は、やはり自分なんかが小説を書こうだなんて、おこがましいことだったのだと心がポッキリと折れてしまったのだ。

 だけど、それは――


「――確かにあれ以降、僕は小説を書いていません。けど、それは僕の怠慢というだけで、三嶋先輩には関係ないじゃないですか。……それともなんですか? 先輩はあの時、僕をへこませるために、ありもしない嘘の指摘をしたって言うんですか?」


「……ち、違う。誓って言う、私はあの時、嘘なんてついていないっ」


 そう、その通りだ。

 三嶋先輩はあの時、嘘などついていなかった。

 何故なら、あとから小説を見直してみた時、先輩の指摘はことごとく正しいと、他ならぬ僕自身がそう実感したのだから。


 故に、三嶋先輩は間違ったことなど何一つしていない。

 先輩はただ、僕の要望通りに忌憚のない意見を述べたにすぎないのだ。


 悪いのは全て僕。

 自分から忌憚のない意見を、などとのたまっておきながら、いざ実際に指摘を受けると、その事実に耐えられなかった僕が。

 せっかく先輩に受けた指摘を糧にすることなく、そこで腐ってしまった僕が全て悪いのだ。


「でしょう? だったら、やっぱり三嶋先輩が謝る必要は――」


「――確かに私は嘘などつかなかった。けど……真実も言わなかった」


「……え?」


「キミの小説は、確かに荒い部分や拙い部分も多かった。だけど、それ以上に光るものを感じた。……正直に言う。キミの小説は……面白かった」


 心臓がドクンと跳ね上がる。


「は、はぁ!? なんでそれを今! いや、じゃあ、なんであの時、それを言ってくれなかったんですか……!?」


「……怖かったから」


「はぁ……!?」


「キミの小説は面白い。私の処女作よりもずっと。いや、下手すると今の私の作品よりも……。だけど、それを認めてしまったら、私の今までの努力が無駄になるような気がして……だから、どうしてもその一言が言えなかった。……くだらない嫉妬で、後輩が初めて書いた小説を褒めてあげることも出来ない、情けない先輩でごめんなさい……」


 そう言って三嶋先輩は、再び頭を下げた。


 心の中でため息をつく。

 まさか、いつも超然としている三嶋先輩が、僕に対してそんな思いを抱えていたなんて思ってもいなかった。


 しかしながら、だからと言って、はいそうですかと納得なんて出来ない。

 何故なら、三嶋先輩が何を言おうとも、やはり僕には、全ての原因は僕の心の弱さにあって、先輩が罪の意識を感じる必要性がまったく感じられないからだ。


 だけど、これ以上は平行線。

 きっと、何を言おうとも、互いの意見が覆ることはないのだろう。


 だったら、この場で僕が言うべきことは一つだ。


「……三嶋先輩、顔を上げてください」


 名を呼ばれた三嶋先輩は、ビクッと体を震わせる。

 なんだか親に怒られる前の子供みたいだ――なんてことを考えてしまい、思わず笑いそうになってしまう。


「先輩に指摘された箇所、全部直してきますので、その時はまた僕の小説……見てもらえますか?」


 僕の言葉が余程予想外だったのか、三嶋先輩は暫しの間、キョトンとした表情をするが――


「――もちろん」


 そう言って彼女は、はにかむように微笑む。

 それは、僕が初めて見る三嶋先輩の笑顔で、その笑顔は……砂糖菓子のように甘く、そしてガラス細工のように美しかった……。


「――だことない」


 僕が三嶋先輩の笑顔に見とれていると、先輩の後ろにいた秋森さんが何かを呟く。


「え、秋森さん何か言った?」


「ウチ、春やんの書いた小説、読んだことない……」


 相変わらず俯いたままではあったけど、今度はハッキリとこちらに聞こえる声で呟いた。

 確かにあの小説は、三嶋先輩に見せて以降、封印していたので先輩以外の誰にも読んでもらっていない。


「いや、別にそんな大した小説じゃ――」


 と、そこまで言って言葉を引っ込める。

 ふと思い付いたことがあったのだ。


「……そうだね、秋森さんの意見も欲しいから、良かったら読んでみてほしい」


 今の秋森さんには希望が必要だ。

 今日を生き、明日を迎えるための希望が。


 もしこの約束が、そんな希望の代わりになるのなら、僕の小説も少しは書いた意味があったというものだろう。


「……うん、楽しみにしてる」


 しかして秋森さんは、僕の提案を了承する。

 これで少しでも元気になってくれれば良いんだけど……。


「春やん――」


 と、秋森さんが何かを言いかけたその時だった。


「――なんで三嶋先輩たちがいるんだ?」


 階上から聞き慣れた声が聞こえる。

 見上げると、そこには朝塚先輩たちの姿があった。


「朝塚先輩! 部長たちも、みんな無事だったんですね!」


 僕は喜びの声をあげると同時に、自分の迂闊さを心の中で叱責する。

 三嶋先輩の意外な告白により僕は、つい自分が何のためにこの場所に立っているのか、完全に忘れてしまっていたのだ。

 何もなかったから良かったようなものの、下手をすると三嶋先輩たちまで危険な目に遭わせてしまうところだった。


 まあ、だけど反省はあとだ。

 ともかく朝塚先輩たちが無事に帰ってきてくれた。

 これで全ては終わったんだ。


「あー、全員無事なことは無事なんだけどよぉ……」


 そんな僕の気持ちとはうらはらに、朝塚先輩の表情は晴れない。


「……何かあった?」


「いや、あったというか、なかったというか……」


 三嶋先輩の質問に対し、朝塚先輩は返答に詰まる。

 その姿を見かねたのか、部長が助け船を出した。


「僕が代わりに答えよう。さっき僕たちは、201号室を徹底的に調べた。だけど――そこには誰もいなかったんだ」

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