プロローグ
「ヒッ――!」
“扉”を開け放った次の瞬間、か細く短い悲鳴を少女があげる。
しかし、その少女の周囲にいる五人の男女は、そんな彼女に声をかけるどころか一瞥をくれることすらしなかった。
何故なら――
「……は? ……え?」
「いやいやいや、そんな馬鹿な……っ!」
その場にいた彼らは、全員が全員とも目の前の異様な光景に気を取られてしまい、他人を気遣う余裕なんてものを失っていたのだ。
「あ、あそこにいるのって、○○先輩……ですよね……?」
その少年、加藤春明は誰に言うにでもなく呟く。
彼にとっては見慣れた顔だ、そこにいるのがその人物だなんてことは百も承知なのだが、それでも確認せずにはいられなかった。
いっそ目の前の光景が、自分の見間違いや勘違いの類いであればどれほど良いだろうかと春明は思う。
先程の問いかけは、この光景は何かの間違いだと誰かに否定してほしいが故のものであった。
しかし、その願いもむなしく、彼の問いに答える者は誰もいない。
春明はゴクリと喉を鳴らす。
彼自身は気付いていなかったが、息遣いもかなり荒いものになっていた。
春明は目の前の光景を否定するため、必死にその材料を探そうとするが、見れば見るほどその光景が現実のものであるとの判断を下さざるを得なくなる。
当然だ、今彼の目の前に広がっている真っ赤な光景は、紛れもない現実なのだから。
「あ、あぁ……っ!!」
その光景が現実のものであると受け入れるにつれ、春明の心に恐怖という感情が芽生え出す。
今、春明の瞳には、フローリングの床に描かれている歪な形をした円が映し出されていた。
円の色は赤。
まるで鮮血を滴らせたように真っ赤な赤色だ。
そして、円の中心に陣取っているかのような場所に、その人物はいた。
より正確に言うと、うつ伏せになって倒れていた。
(な、なんだこれ……いったい何がどうなってるんだ……!?)
春明は現状を理解しようと懸命に頭を働かせるも、思考が上手くまとまらない。
それも無理からぬことである。
彼は小説の中に登場するような探偵などではなく、ただほんの少し、人よりミステリー小説が好きなだけの一介の学生でしかないのだから。
(なんで……なんで○○先輩が、血溜まりの中で倒れてるんだ……!?)
故に、このような状況下にあって平静でいられるわけもなく、今の彼が今出来ることと言えば、恐怖に震えながらその場に立ち尽くすことのみであった。
とはいえ、もしこれが何の事件性も感じ取れないような状況であったなら、春明はすぐさまその人物のもとへと駆け寄っていただろう。
しかし――
(なんで……なんで○○先輩の背中に……ナイフが突き刺さっているんだ……っ!?)
その人物に突き立てられた凶器が、“それ”が事故などではなく、明確な殺意をもって行われた凶行であることを雄弁に物語っていた。
――二〇〇×年八月某日
彼ら伊野坂東学院ミステリー研究会の面々は、ここ鬼灯山荘にて二泊三日の宿泊を予定。
そして、合宿という名目の旅行を存分に楽しむはずであった。
しかし、楽しかったはずの合宿はいつの間にか終わりを告げ、今ここに疑念と不信、そして嘘に満ち溢れた合宿が始まろうとしていた。