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 ◇◇◇


 夕日に向かって走る。あの日の麦畑。

 ママが手を振っている。僕の帰りを待っている。

 血のように。真っ赤な太陽に。

 燃えるように激しい。金色の波に。

 

 燃える。燃える。

 

 血のように。真っ赤な家に。

 ラピスラズリ色の。ママのきらめきに。

 僕は――


 ◇◇◇


 そしてファズは一人朝を迎えた。背もたれを軋ませながら体を伸ばす。

「ああ……なんてこった……」

 ブラインドから漏れる淡い光に痛みが走り額を押さえた。

 蓄積された睡魔で目の奥が重い。闇にやわらかく落ちそうになる瞬間に、ベンギースの鋭い殺意のきらめきで体が驚き覚醒するのを繰り返し続けた結果である。彼の眼差しが印象的で他がぼやけて覚えていないが、トラウマになってしまったということなのだろうか。

 確かに昨夜、あの時は恐怖した。炭の塊と化した彼の眼窩(がんか)の真っ暗闇。結局のところ、彼が連続殺人を決行するに至るまでの過程がよくわからないまま終わってしまった。しかし、死の間際に見せた悲しみの顔に少なからず同情してしまったのである。

「あれ、サーファス?」

「おはようございます」

 電気をつける係長の姿に席を立とうとすると「そのままでいいよ」と止められる。

「もしかしてずっといたの?」

 そう言いながらマナゲラはブラインドを上げた。ビルディングから垣間見える赤い城壁に霞がかっていた。赤い巨人の手が外の世界を見せないよう遮っているようにも、街から出ないようせき止めているようにも、ファズには見えた。

「係長。アサナトとは何者なんです?」

 マナゲラはきょとんと振り向く。

「彼がいてこその怪物存在宣言だったんですよね? だから彼が怪人会の会長になっている」

「ンン、そうだろうね」

「なぜ、ウェストミノスだったんでしょうか? 由来のある場所だったから、まだこの土地なら怪物たちは安住できると踏んで選んだんでしょうか?」

「……彼はウェストミノス出身なんだよ」

「ご存じなんですか?」

「ミス・モンステラの古い友人なんだよ。僕は会ったことないんだけど」

「だから彼女が怪物課の課長に」

「そう」

 係長は微笑む。しかしどことなく寂しげである。

「彼女が言うには、彼は思い出に囚われているんだってね。アハハ、怪物というのはどうして、皆いつまでも過去にこだわっちゃうんだろうね」

 言いながら魔法瓶をトートバッグから出す。一方でファズの脳裏にはベンギースの死に際の顔がよぎっていた。

「それは、人間も同じですよ」

「ンン、そうだね」

 明らかにできなかったベンギースの過去は、彼が散りばめた言葉を寄せ集めて想像するしかないのだが、したところで何かに変化が起きるものなのか。結局は自己完結に過ぎないのではないかとファズは沈鬱な気分になっていた。

 マナゲラはデスクの一番下の引き出しから缶入りのクッキーを出し、自家製カモミールティーで一服している。今日は朝食を取らなかったのか、どこかこの話題から紛らそうとしているようにもファズは見えてしまった。

「係長。記者会見はどうなるんです?」

「任せておいて」

「もしや係長が出るんで?」

「そうだよ。十時に始まる。でももう報道陣が外に集まっていてね、こっそり入るのに苦労したよ」

 ふう、とマナゲラは一息つく。

「会見はお一人で?」

「……〝吸血鬼が私の部下を一人巧みに呼び出し、連続殺人を告白した後、襲いかかった。その吸血鬼は部下を殺せば大人しく自首するつもりだったが、そこへ私の部下がもう一人現れ吸血行為を阻止したため、自首をやめ、何匹ものコウモリに変身し逃走を図った。吸血を阻止したその部下は銃を一発発砲。命中したコウモリがたまたま急所だったため、吸血鬼は死亡した……〟」

 マナゲラは早口で言った。

「と、まあこんな感じだね。どんなに話を考えたところで何かしら突いてくるから。夕刊には載るよ」

 彼は一番上の引き出しから便箋を手にする。

「自首するつもりだったのに殺したって、大衆は怒るでしょうね」

「一部ね」

「怪物課のイメージ下がりますよね?」

「一部はね」

「逆に、殺してくれて嬉しいって思う人もいますよね?」

「一部がね」

「彼は、どう思ってるんでしょう?」

「ルー?」

「俺は正当防衛のつもりで撃ってしまいました。けれどあいつは何食わぬ顔で……」

 たまたま急所に当たったのか。無数の中でそれを狙って確実に撃ち抜くことはできるのか。

 マナゲラは便箋を上着のポケットに入れると、暗い顔をするファズの後ろに回り込み、肩を強く揉んだ。

「い、いいですよそんな」

「ンン、いいからいいから」

 マナゲラは肩を揉むのを続けながら、新しい部下に(ねぎら)いの言葉をかける。

「元気出していこうね。これからベンギース・ライラが殺した恋人や、他の被害者の死体の行方を調べなきゃならないからね。ウェストミノス郊外なら色々と声かけなきゃならないし。我々は始まったばかりだからね。みんな手探りでやってる」

「みんな、本当は逃げたいって思ってるんでしょうか?」

 怪物課が生まれ、続々と異動してきた警察官たちは何を思って職務をこなしているのか。正義感を奮い立たせ自己犠牲を働かせているとでもいうのか。

「怪物を恐れる。怪物を蔑む。怪物を信じない。それが怪物課の三禁。何かを怖いと思うのは当たり前だし、自分よりも下に誰かがいる方が安心するのも当然だし、疑ってしまうのも一つの心理だよ。でも極端にあってはならないこと。きみはその標準をクリアしてる。必要ない人材なんて、考えようによってはいないんだよ」

 マナゲラはファズの肩をポンと叩き、ぐるりと椅子を回してやると手を差し伸べた。

「ようこそ、我々の管轄へ」

 ファズは目を丸くしながらも引き上げられるかのように立ち上がり、その手をつかむ。マナゲラは強く握り返した。

「いい? きみはウェストミノスの警察官。ホーライ署の警察官。怪物課の警察官。それを忘れないでいて頂戴。きみが我々の仲間でいる限り、僕も全力で責任を持つから」

「了解です」

「まずは怪物の信頼を一つ、勝ち得たね」

 マナゲラは先ほどの便箋を渡しウインクした。

「あ、アニミアさんからです」

 中身を確認するとオペラハウスのチケットが二枚同封されていた。知人が出演しているから是非とある。吸血鬼が一人死んだと知ったら彼はどう思うのだろう。

「ファイナルだね。これなかなか取れないっていうよ。夜からだし見に行っておいで! 恋人は? 遠距離?」

 ファズは苦笑した。

「じゃあ僕が同行してもいいかな? 代役バイオリニストの衰えを知らない素晴らしき技巧を、見てみたいんだ」

 オーケーする前にもかかわらずの浮かれぶりで、ファズは失笑した。


 ◇◇◇


 会見直前、マナゲラはクリーニングしたての背広を整えながら通路を行く。

 角からルークウォームが姿を現した。

「おっと、驚いた。相変わらず気配消すのがうまいね」

 マナゲラは笑顔向け、彼の横を通り抜ける。足を止めると背を向けたまま言った。

「怪物を正式に受け入れた以上、事件一つで州民を脅かすことを忘れないで。きみは刑事なんだよ。サーファスのようにとは言わないから。彼、人一倍正義感がある分、一人で首を突っ込みまくるタイプみたいだし。きみとまるで正反対」

「また課長ですか。呼び込んだのは」

 ルークウォームは振り向き、白い頭髪を見下ろした。

「怪人会からの推薦があるなら、ミス・モンステラからの推薦だってあるさ」

「会見、遅れますよ」

「そりゃ大変だ」

 腕時計を見て、マナゲラは小走りで駆けていった。


 ◇◇◇


 公に明かされたベンギース事件によって、吸血鬼をセックスシンボルとする若者たちが騒ぎ立て、夜には街の至る所に黒い装いの男女が出没して警察に抗議した。ベンギースを殺した刑事を特定しようとしていた。

 そいつの首に噛みついてやるわ、と牙を取りつけた少女は過激にカメラに向かって発言した。口元を強く歪ませたばっかりに、下唇の裏の二つの口内炎が見え隠れした。

 三日三晩、ホーライ署にトマトが投げつけられ、特に悪質だった女二人が逮捕された。玄関ロビーにはドロドロに汚した傘を持った警察関係者でごった返し、クリーニング屋が儲かった。三日目には吸血鬼のせいで若者たちは洗脳され暴力的になっているとインタビュアーに力説した男を突き飛ばし、結果自転車との人身事故を起こさせた少女が逮捕された。まさかここまで街に影響が出てしまうかとファズは脅威すら感じたが、ルークウォームはどこ吹く風。呆れを通り越してこの冷静さを見習うべきなのかと思ってしまった。

 四日目にして騒動は収束していった。要因となったのが、齢八十の老女が穏やかに口にした言葉だったのかもしれない。

「私が愛している彼はとても紳士的なの。吸血鬼は皆そう。礼儀正しくて、相手に敬意を払うの。たとえ上辺だけでもね。だから私も見習って、今回の騒ぎも冷静に見つめることにしているの。きっと彼もテレビを見て呆れているわね。なんて野蛮な奴らなんだ、ってね。テレビに映っている子たちは、ただチャンスだからって発散したいだけなのよ。(じき)に飽きちゃうんだから――」

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