霊との遭遇
ひと気のない夜更けの道を不用心にも若い女性がひとりきりで歩いていた。町はずれの石造りの古い隧道に足を踏み入れようとしたそのとき、頭上でちかちかと頼りなく点滅を繰り返していた街灯がふっと消え辺りは闇に包まれてしまった。ときおり思い出したように鳴き出す虫の音が余計に静寂を際立たせる。しかし女性は慌てることもなく、バッグからスマートフォンを取り出すとそれを灯りとして先へ進もうとした。そのとき、隧道の湿り気を帯びたひときわ濃い闇の中にぬっと人影が現れた。スマートフォンの弱々しい光に浮かび上がったそれは、俯いた姿勢で両手をだらりとさせ棒立ちのまま上目遣いで女性を睨み、微かに唸り声をあげている。白いワイシャツを着た中年の男性で、黒いスラックスの膝から下は透けて見えた。
「うわっ」女性の声が隧道に反響する。
「ひっひっひ、恐ろしいか。怯えろ、もっと怯えろ」
ところが女性は現れた人影の顔面に向けて光源を突き出すと、落ち着き払った声音で言った。
「いやいやいや、そうじゃないし。驚いたのはそこじゃないし」
「う、まぶしい。って、え!? あなた私のこと怖くないの?」
「怖いっつーか、きついっしょ、そのセンス。ないわー」
「へ? どういうこと?」
「そのかっこう、地味すぎっしょ。古臭いし。おっさん丸出し」
「いや、そういわれても」
「お化けが出るってまとめサイトに書いてたから、わざわざ来てみたのに。もう。こんなインスタ映えしないお化けじゃバズるの無理じゃん。あー無駄足だったわー」
「いんすた? ばずる? え? え????」
「もういい、帰るわ。じゃあね」
そう言って帰ろうとした彼女、しょんぼりしている幽霊を見て少し可哀そうに思えてきた。もっとも、陽気そうにしている幽霊が存在するのかは疑問なところだが。
「ねえ、あんたさあ」
「はい? なんでしょう」
「なんだってこんなところでお化けやってるのさ」
「何でと言われましても、私にもさっぱり。気がついたらここでこうして人を驚かしてまして。と言いましても私に気がつく人、私を見える人はかなり少ないんですけどね」
「ふーん、なにかこの世に未練でもあるのかな」
「そうなんでしょうか。生前のことはまるで記憶になくて」
「へえ、たいへんだね。なんか事情がありそう。だけど、お化けだったら心霊写真でバズってなんぼだよね」
「そうなんですか?」
「そりゃそうよ。人の価値はイイネの数で決まるんだから。って、あんたは人じゃなくてお化けだけどね。けらけら」
「ふうむ、よくわかりませんが写真に撮ってもらえばいいって事ですね。言われてみれば、私も写真に撮られるのが好きだったような気がしてきました。成仏も出来るかもしれませんね。よし決めた、写真に撮ってください気合を入れて恨めしそうに写りますよ。あれ? だけどあなた写真機を持っているんですか? その小さなカバンにはとても入っているようには見えませんけど」
「ちょっと待ちなよ。ウチ撮るなんて言ってないよ」
「ええ!? どうしてです? そんな意地悪いわないでくださいよ。撮ってくださいよ」
「だってさあ、あんた。さっきも言ったけど地味なんよ。よく見たらおっさんにしてはイケメンだけど、それでもねえ。それに、こんなところで撮ったって暗いところに立っている普通のおっさんにしか思われないっしょ」
「むう、話がまた最初に戻ってしまいましたね」
「そうだ! あんたここから別の場所にも動けるの?」
「はい、地縛霊では無いようなので、どこへでも」
「だったらさ、ウチにいい考えがある。ちょっと耳かして」
そうしてふたりは打ち合わせをして、その日は別れた。
翌日になり、町のパチンコ店の駐車場では大勢の人で賑わっていた。モデル兼タレントのキチョペが営業でやって来たのだ。ざわめく群衆の中には昨夜幽霊氏と出会った彼女の姿もあった。しばらくするとキチョペが現れ歓声が上がった。フリルがいっぱい付いた肌の露出が高い服にきらきら光るラメ入りのミススカート姿で、観客に両手を振って愛想を振りまきながらお立ち台へと上がった。一斉にフラッシュライトが光りスマートフォンやカメラのシャッター音が響いた。件の彼女もスマートフォンを高く掲げていた。そして彼女の眼には見えていた。お立ち台でポーズを決めているキチョペの背後にだらんとした様子で立つ幽霊氏の姿が。
「明日、国道沿いのパチンコ屋まで行ける? ええと、ちょうどお昼の時間に」
隧道の闇の中、心もとなげなぼんやりとした光に照らされ女の子が言った。
「パチンコ屋、ですか。行けると思いますが」と幽霊の男性。「でも、そこでどうするんです?」
「イベントでキチョペが来るんだ」
「キチョペ? 外人さんですか?」
「え⁉ あんたキチョペ知らないの? ありえないんですけど。まあいいや。キチョペが来て、撮影会みたいになると思うから、いっしょに写ればいいよ。キチョペといっしょに写れば、どんなにイケてないものでも映えるようになるから」
「ほう、そういうものですか」
「そういうもの、なの。ウチが撮ってあげるから。そうすればウチの写真はバズるし、あんたも成仏できるかもしれないし、オールオッケーっしょ」
「それはいいですね。私のためにありがとうございます」
「成仏できるといいね」彼女はにっこりと笑った。とてもチャーミングな笑顔だったのだが、下からの弱々しい灯りに照らされていたので、なんだか薄気味悪いなと幽霊氏は思ったが口には出さなかった。
イベントが終わりキチョペは店内に姿を消し、客たちもばらばらと散って会場は閑散としてきた。建物の陰では女の子と幽霊氏が立ち話をしていた。
「お疲れさん、いい感じに撮れたよ。ほら」
「ほう、これが写真機ですか。きれいに撮れるものですね。ああほんとだ、私の姿もしっかりと写ってますね」
「あとでこれはネットにアップしておくからね。それでどんな感じ? 成仏できそう?」
「はい、大勢の人にレンズを向けられていい気持ちになりましたよ。おかげさまで成仏できそうな気がしてきました。どうやら私、生前もこんな感じで写真に撮られることが多かったみたいです。記憶が無くても体は覚えているものですね。っと、体はもうありませんでしたけど」
「はは、ずいぶん明るくなったじゃない。それじゃお別れだね。短い時間だけど楽しかった。天国でも元気でね」
「ほんとうにありがとうございました。あなたもお元気で」
「最後にハグしよっか」
「はぐ? なんです?」
「もう……」
彼女は幽霊氏に抱きついた。が、その両腕は虚しく空を切った。彼の姿は薄れていき、さいごに陽炎のように揺らめくと消えてしまった。「ばいばい」空を見上げ彼女はつぶやいた。
数日後、週刊誌やスポーツ新聞の一面をひとつの記事が賑わせた。
『往年の銀幕の大スター〇山×男の幽霊か? イベントで写真に写りこむ!!』