善意の第三者
所員:「上司在世中はこき使われ。史実では同僚から命を狙われ。まだ幼い上司の忘れ形見を陰に日向に支え盛り立てた結果待っている運命は粛清の恐怖。かと言いましてこの八方塞がりの状況を打破することが出来るだけの勢力を自らは有していない。そんな石田三成の前に登場したのが徳川家康でありました。」
私:「豊臣秀吉と直接対決をした敵の中で唯一秀吉が倒すことが出来なかった人物。」
所員:「そのため家康の領国を関の東側に押し込むなど最期の最期まで警戒した秀吉でありました。で。これが蒲生や丹羽のように秀吉より先に。でありましたら様々理由をつけまして家臣と領地を分解することが出来たのでありましたが。寿命が先に尽きることになったのは豊臣秀吉のほうでありました。息子の秀頼はまだ幼く、彼独りで豊臣家を背負って立つことは当然の如く出来るわけではありません。そこで家康ほか5名の外様大名に秀頼の行く末を頼まざるを得なかったのでありました。」
私:「本来でありましたら秀吉恩顧の家臣に頼むのが自然な流れのように思うのでありますが……。」
所員:「譜代の家臣によって秀吉の上司織田信長がどうなってしまったのか。その後の織田家を没落させたのがどなたであったのか。を秀吉は知っているが故。譜代に政権の中枢を任せることは秀吉には出来なかったのでありましょうし、カリスマのタガが外れた身内がどのような行動を起こすのか?も秀吉は見ていますので。譜代の家臣に広大な領土と権限を与える選択肢を秀吉は持ち合わせていなかったと思われます。」
私:「で。秀吉恩顧の武将は、国の半分程度の領地を与えられることと引き換えに三成同様。こき使われることになったのでありますか……。10万石から30万石でありますので必ずしも冷遇されていたわけではありませんが。朝鮮半島では皆酷い目に遭わされることになるのでありました。」
所員:「ただ酷い目に遭っただけでありましたらまだ良かったでありましたが、上司である秀吉自身に衰えが出てしまったこともありましてか。現状を伝えても信じてもらうことが出来ないばかりか。謹慎や領地召し上げの憂き目に遭うモノも現れる始末。そんな歯止めが利かなくなった秀吉に意見することの出来る人物。頭の上がらない人物が徳川家康でありました。と……。」
私:「秀吉恩顧の。とりわけ朝鮮半島の現地と上司である秀吉から酷い目に遭った武将が家康のもとに足を運ぶようになった。と……。」
所員:「小早川秀秋などは家康の取り成しによって北九州の領国を失わずに済んだモノも現れましたからね……。」
私:「でもそのことが三成憎しに結び付くようには思えないのでありますが……。」
所員:「三成が戦況や現地の意見を秀吉に報告する立場にあったため、秀吉から叱責された諸将からしますと『三成があれこれ意見している。』とか『現地からの報告を三成が捻じ曲げている。』と思われるそんな立ち位置にあったことが1つに、秀秋の領国であります北九州の地を秀吉が託そうとしたのが三成であった。と……。三成は辞退するのでありますが、代官として管理しなければならなくなった。三成からすれば厄介なことなのでありましたが、領国を奪われることになりました秀秋からしますと……。」
私:「『三成が秀吉をたぶらかせて、俺を貶めやがって……。』と恨みを買うことになってしまった。と……。」
所員:「そこに持ってきての秀吉逝去であります。」
私:「豊臣政権の権力基盤の全てが秀吉であった。とりわけ地盤看板鞄を現地に有していない秀吉恩顧の諸将にとって自らの権益を担保してくれる唯一の存在であったのが天下人であります秀吉だった。と……。」
所員:「その秀吉が亡くなり、後継者の秀頼もまだ幼い。かと言って自らが次を担うことの出来るだけの国力を有しているわけでも無い。故に彼らは自らの権益を守ってくれる後ろ盾。スポンサーが必要となりました。そこで彼らが頼ることになったのが秀吉在世時代から秀吉ですら遠慮しなければならない存在であった徳川家康のもとに集まることになったのはある種自然な流れではありましたね。」
私:「如何に『亡き太閤殿下の遺訓であるぞ。』と力んだところで、恩顧の諸将からしますと『生き残るためには、こうするしかないのだから。』とならざるを得なかった。と……。」
所員:「勿論毛利輝元も同じことが出来る立場。しかも彼は秀吉恩顧の諸将が多い西国に拠点を構え。朝鮮半島では共に酷い目に遭っていたのでありましたが、如何せん輝元は大きくなった毛利しか知らなくて育ったこともあります故。自分の領国内の反乱に悩まされる経験はありませんし、苦労知らずと言う点では宇喜多も同様。家中が2つに割れる体験から出発しました上杉景勝の領国は畿内からはチト遠い……。」
私:「で。残された選択肢であります家康か三成が頼りとしました前田利家の二者択一を秀吉恩顧の諸将は迫られる運びとなった。と……。」
所員:「そこに来ての利家逝去。」
私:「家康と家康の看板を背負ったものにとって怖いものはもはや無し。あとはこれまで秀吉から受けて来た恨みを三成にぶつけるのみ。と襲撃を試み……。」
所員:「その間を善意の第三者として取り持ったのが徳川家康。襲い掛かって来た7名は無罪とし、先年の朝鮮半島における論功行賞の見直しを宣言。勿論その時用いられる土地は豊臣家の土地。家康にとっては痛くも痒くも無い上に与えられた秀吉恩顧の諸将に感謝される立場になることが出来。」
私:「最後に下した裁決が三成の追放であった。と……。」
所員:「でも三成にとっては良かったのかもしれませんよ。」
私:「何故でありますか?」
所員:「仮に7名の武将に襲われることなく、このまま大坂城に居たとしましても。常に命が狙われる立場であり続けることに変わりはなかったのでありますから。それこそ『松の廊下』になるようなことになりかねない状況にあったのでありますから。そう考えますと家康の息子であります結城秀康の護衛(人質)により、三成の領国であります佐和山に無事帰ることが出来たこと。しかも佐和山のある北近江は三成の地元。ほかの同僚に比べ、元々の勢力との折衝などの障害も無い地域。そのためこと領国経営におきまして、豊臣政権がある以上。特段後ろ盾を必要とはしない恵まれた立場に三成はあった。と……。家康も家康で、自らの抵抗勢力が大坂城から居なくなりさえすれば良かったわけでありますので。」
私:「三成も領国内で大人しくさえしていれば……。でありますか?」
所員:「それまで反家康の急先鋒でありました前田家のその後を見ますと……。これは勿論その後を知っているから言えることなのではありますが。」




