税率97%!!相続で最も悲惨な目に遭った大名は
所員:(秀吉を支持したにもかかわらず、次の代で所領を失うことになった大名の中にありまして。最も悲惨だったのは彼では無いでしょうか?それが今回取り上げます丹羽長重であります。)
私(三成):(佐久間信盛失脚後。柴田勝家と共に織田家の中核を担うことになった丹羽長秀の息子でありますね。)
所員:(丹羽長秀と秀吉の関係の中で、とりわけクローズアップされますのが清須会議。織田家の後継者を誰にするのか?を決める席の中で、信長の孫を擁立する秀吉を支持したのが池田恒興と丹羽長秀の両名。因みに池田恒興につきましては、元々の所領が13万石であったことに加え、恒興及び嫡男の元助両名が、小牧長久手の戦いで討ち死に。その原因が秀吉の甥・秀次のミスであり、秀吉のミスでもあったこともあったため、跡を継ぐことになりました輝政に対し、元の所領をそのまま相続させ、小田原後の東三河転封時には加増。更には親と兄の仇であります家康との関係修復に秀吉は尽力することになるのでありますが。一方の丹羽長秀のほうは?と言いますと、清須会議後。対立が鮮明になりました羽柴秀吉と柴田勝家が対峙した際。長秀は一貫して秀吉を支持。勝家が敗れた後。秀吉は長秀に対し、元々の若狭に加え、全部ではありませんが越前と加賀を加増。長秀の所領は123万石にも及ぶことになるのでありました。)
私(三成):(……嫌な予感が漂ってきますね……。)
所員:(翌年。長秀は亡くなります。その跡を継いだのが長男の丹羽長重。その年の越中遠征の際、敵方である佐々成政に長重の家臣が内応している。と疑いを掛けられたことにより、まず越前と加賀の所領を失うと同時に、のちに五奉行の1人となります長束正家など丹羽家の重臣も秀吉に持って行かれることになります。更に2年後の九州征伐の時。丹羽家の家臣が現地で乱暴狼藉を働いたとして今度は若狭の国も奪われ、丹羽家は加賀松任4万石に封じ込まれることになります。)
私(三成):(裏付けの無い言い掛かりだけで給料が30分の1以下ですか……。月給20万円とした場合。30分の1は……6千円……。うわぁ!!やってけねぇよ……。今みたいな好景気でありましたらまだ『転職』と言う選択肢も。月給20万円なら……それなりに選んでもありますからね……。でも丹羽家は、それでも4万石ありますから、……ほかのとは……。で。この頃になりますと、秀吉の勢力圏で無い地域は関東と東北の一部のみ。その中で、4万石以上で雇ってくれるところは皆無。)
所員:(翌年。長重に対し、『豊臣』姓が下賜されます。)
私(三成):(……私だったら、ひとめの付かないところで破り捨てますね……。)
所員:(小田原が終わり。日本の中で、逆らうモノが居なくなったことを見計らいまして秀吉は長重に対し、小田原で戦功があったこともあり、加賀小松12万石に加増すると共に、朝廷における地位も与えられ。小松宰相と呼ばれるようになったのでありました。)
私(三成):(それなりの規模の。それなりの地位に最終的には収まったのでありますが、跡を継いでから小田原までの5年間は生きた心地がしなかったでありましょうね……。)




