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税源は、法外な相続税―大友家の事例―

私(三成):(今の石川・富山に跨る大大名・前田利長ですら恐れた豊臣政権の錬金術とは何でしょうか?)

所員:(秀吉最晩年の1598年。日本全国で1860万石の穀物が収穫されていました。勿論統計には記されることの無い『隠し田』と言うモノも存在していたとは思われますが。その内、豊臣家の直轄地とも言えます『蔵入地』は198万石。日本で収穫される穀物の1割以上を占めていました。最盛期の220万石よりは縮小されていましたが、その理由は秀吉直属の部下に分け与え自立させたため。でありまして、実際の直属の部下を含む豊臣家の領土はもっと大きなものであったことは言うまでもありません。これだけの広大な領土を獲得するのに秀吉は武力を持って行ったのでありますが、それを用い屈服させました大名家に対し、秀吉は概ね『本貫地に関しては手を付けない』方針を採用していました。)

私(三成):(その周囲には、秀吉直属では無い元同僚や協力者を配置し、なおかつ屈服させたとは言え。またいつ歯向かって来るかわからない相手を封じ込めるための配置でありますので。それ相応の領土を与えなければなりませんから……そうなりますと秀吉は『戦いには勝ったけれども、費やした労力に比べ……』だったのが実情なのかもしれません。)

所員:(そんな中にありまして最盛期には220万石にも上った直轄領。どのような方法で捻出していったのか?それがタイトルに示しました『相続税』であります。前田利長がまさに今。直面している課題であります。今でこそ相続税は3代で全て無くなるように設定させていますが、当時はどのようなものであったのか?まず取り上げますのが大友家であります。)

私(三成):(最盛期には九州9か国の内6つの国を支配下に治めた大友家でありましたが、日向の国における戦いにおきまして島津家に惨敗。これを受け。これまで従っていた勢力が反旗を翻したばかりか、筑前の秋月。肥前の龍造寺。更には島津からの侵攻に悩まされることになった大友家は信長に接近。島津との和睦の斡旋を依頼すると共に、織田家との間で『対毛利共同戦線』を結ぶのでありましたが。)

所員:(本能寺において信長が敢え無い最期を遂げることになってしまいました。その後、龍造寺と島津の戦いにおいて龍造寺家当主・隆信が敗死した間隙を突き、大友家家臣・立花道雪が築後の奪回に成功するも、その道雪が病死。屋台骨を失った大友家を見た島津家は、大友領への侵攻を本格化させることになります。)

私(三成):(窮地に立たされた大友家が頼りにしたのが、かつて手を結びました織田家の後継者として名乗りを上げました豊臣秀吉。この段階で秀吉は毛利との関係も良好なものとなり中国地方はカッコつきながら豊臣色に。更に四国も平定していました。)

所員:(その秀吉の傘下に収まることを条件に島津退治を懇願した大友家と九州制圧を目論む秀吉との利害が一致。)

私(三成):(しかしその間も島津の侵攻は続き、大友家は臼杵城を残すのみのところまで追い込まれたのでありましたが、城に設置した大砲による砲撃により辛うじて滅亡を先延ばししていたところに……。)

所員:(秀吉の弟・秀長率いる豊臣家の大軍が九州に上陸。大友家は九死に一生を得るのでありました。ただそのいくさのさなか。当主・宗麟は、島津家屈服の直前に倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまったのでありました。戦いが終わり跡を継ぐことになりました義統に対し秀吉は、豊後一国と豊前の一部の相続を認め(筑後は立花家と小早川家へ)、豊臣家の大名の一員としての活動を始めたのでありましたが。朝鮮出兵の際。窮地に立たされ援軍を求めて来た小西行長が『既に死んでしまっている。』との誤報を信じてしまい、自身が駐屯する城も放棄。その後、行長は自力で脱出して来たことにより結果的に『味方を見捨てる』失態を犯してしまった大友義統。これに怒った秀吉は義統を召喚。大友の家柄を鑑み『死一等』は免れるも大友家は改易。その領地はそのまま秀吉の直轄地。更には豊臣家の奉行に与えられることになったのでありました。)

私(三成):(厳密には『相続税』とは言えないのかもしれませんんが……。)

所員:(改易される以前の段階で、大友家に安堵されました豊後の国の総石高42万5000石の内、19万5000石。率にしまして45.6%もの土地が既に豊臣家の蔵入地として召し上げられていました。これは他の九州の蔵入地が国あたり0~8%から見ても分かりますように異常に高い数値。因みに豊臣家と最後まで対立しました島津は5.4%に留まっています。)

私(三成):(大友家は最初から秀吉に協力したにもかかわらず……。でありますか……。)

所員:(大友家同様。秀吉に協力しました前田家の跡取りが不安を覚える。いつ自分の領地が……となるのもある意味仕方のないことかと……。)

私(三成):(でも大友は言わば外様。前田は秀吉の元同僚の家。そこまで心配しなくても……。)

所員:(では他の事例を見てみましょうか……。)

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