ヤカンヒコウ/夜間飛行
この星というものは頼んでも居ないのに大きくなったりしているらしく毎回空の星を見てズレを計算しながら飛ばなければならない、ソレも仕事のうちといえば仕事のうちだがやはり億劫なものは億劫である。
しかしやらぬわけにもいかないので結局操縦桿片手に大枚叩いて買ったもののもはや別物とかしている地図を開き鉛筆で書き足していく。
運び屋なら誰もが持っている自分の地図だが互いに見せ合っても首をひねるばかりだ。次の目的地である『ミニトウキョウ』は多くの人間が集まる巨大コロニーだが、きっとそこでも互いの航路図を見て首をひねるのだろう。何せ毎日毎日変化する地形と距離を書き足し、描き直し繋げた紙もすでに一枚や二枚という話ではない、何十何百だ。独自の記号もあれば独特な計算法や目印であふれている。そんなオリジナルな統一性のない地図を見せ合って互いの情報を必死に交換する様は少々…いや、かなり面白いのだが…
「とりあえずたどり着かないとそんなこともしてられないがな。」
巨大なマモノの影が見え隠れする夜闇をライト無しで行くのはこれで何度目だろうか、手元に少しだけの明かりをつけて寝ぼけ目を擦る。幾ら昼寝しても陽が沈めば人間眠いものだ。
貰ったハッカ飴は気付にはちょうどいい、清涼感というのを通り過ぎてもはや痛いレベルの涼感に俺の目はパッチリと開く。
「かーっ」
というかやはり痛い、ナニカ食べ物として間違っている気がしてならない上にどこか薬物めいた中毒性がある。…大丈夫だ。感じている涼感は実際には植物性の甘味による錯覚であるし、薬物めいた中毒性はない…筈だ。なぜか前のコロニーでは血走った目で物々交換や金銭での取引を持ちかけられたし飴を食べると途端にナニカよくわからないものを見たりして居たが…うん…大丈夫…だよな?
まあ、きっと熱狂的に好きなのだろう。きっとそう言う事なんだろう。少なくとも俺にはわからないが。
「っと」
操縦桿を操作する。少し揺れるが飛行するマモノに正面衝突するよりはマシである。ソレに貨物と呼べるものはほとんど載って居ないのだ。腕輪の中に全部収まっている。便利なものだがその反面早く手放したいような…そんな不思議な気持ちになる。まあ、手に入れた経緯が経緯だ。あまり良い気分になれるような背景のあるもんじゃない、どちらかといえば後ろ暗いレベルである。
夜闇を割く文明の光は未だ見えず。星々とかつての月と言われた緑の星が見える。
風がプロペラに切り裂かれる音は爆音を立てながら回転する頼もしい相棒のエンジン音に掻き消される。そしてその爆発めいた音は数年前に取り付けた消音器で吸収され風切り音よりは大きい程度の音に納まっていた。
夜のマモノは知覚を音や熱に頼っている。しかしソレは地上の話、上空、ソレも雲の上のような場所では雲海は月明かりに照らされソレなりに明るくマモノもあまり居ない、寝ぼけた回遊トンボが稀に迷い込んでくるくらいだ。空高く舞う海月は霞を食べているしそのさらに上を飛ぶ空鯨はそもそもスケールの違いからかこちらに見向きもしない。
「呑気なもんだぜ…」
びゅうびゅうと吹く風は容赦なく体に叩きつけられ俺の体から熱を奪うが冬の魔物の毛皮を加工した特注のジャケットと防塵機能がついたスカーフはとりあえず体を守ってくれる。
「…おっと。」
そういえばヘルメットを忘れていた。何故かグローブとゴーグルは忘れないのだが…っと。
装備品の中で最も新しく買い替えの多いヘルメットは年季が入った他の服と比べたら随分と新しい、それもこれも運が悪いからなんだが…
後方からプロペラの風切り音とマモノの叫び声、ついでに人間の怒声と…
ばばば!
轟音とともに炸裂音が響き弾丸が発射される。どうやら俺の運はいつも通りマイナス補正付きらしい、頭を触るとさっき被ったはずのヘルメットが既にない、どうやら弾き飛ばされたようだ。…結構高かったんだがな…
少し間抜けな鳥の鳴き声のようなものが聞こえ音だけで把握するのは無理なので振り向くとそこにはソコソコの規模の飛空挺、いや、飛行船か?まあ、何にせよどうやら厄介ごとらしい、俺は燃料メーターを見て予備の燃料を計算する。
「…金出るかなぁ?」
とりあえず忌々しい腕輪も忌々しいのに変わりないがやはり便利なものだ。燃料の残量が十分なのも積載量に余裕があるのもこいつのおかげなのだから…にしても今日は厄日だろうか?昼間は殺人強盗犯に絡まれ、夜は容易な飛行の筈が下手を打った同業の手助けとは…
逃げるのも考えたがちょっと近過ぎる。あっちが爆発でもすればこっちも被害を受けるし、マモノも目が覚めてしまっている。あっちがやられれば次はこっちだ。それに…
「目覚めが悪いからな。」
プロペラ機に付いた銃器なんて大したものじゃないがこちとらソレに命を預ける場面が死ぬほどあるのだ。強化を怠ったことは無い…ただ、ちょっと張り切りすぎて金を打ち出しているのかと言わんばかりの金食い虫だがな!
スカーフを口元にまであげ上昇し見下ろすようにして反転、慎重に狙いを定める。敵は恐鳥、巨大な爬虫類の身体に鳥類の羽が生えた小型から中型までいる割と一般的なマモノ、家畜化されたものも多いが野生種はやはりマモノ、急所は頭と心臓、羽の骨をおるという手もあるが…どうやらかなり大きい恐鳥が複数いるらしい、かなり密着されてしまっている。頭だけをしかも一撃で撃ち抜かねば飛空艇の浮遊装置に風穴が開いてしまうだろう。
「よく狙え…」
上空から急降下し浮遊機ギリギリに飛ぶ鳥の真正面からぶつかるように接近!
「っ!」
ドンという衝撃と雷鳴のような音、消音機能でかなり抑えられてはいるがしかし鳥どもを驚かせるのには十分で、一番大きな恐鳥の頭を吹き飛ばしたそれは旧世界の破壊兵器、『対物ライフル』と呼ばれた鉄の塊を撃ち抜くための大口径ライフル、最初こいつを積むと言ったときの技術屋の顔が未だに笑いを誘うがこれくらいじゃ無いと運び屋なんてやってられないからな。
あ゛ーあ゛ーというような濁った鳴き声がすると鳥どもは散りじりになって飛んで言った。どうやらボスだったらしい。
そこらの安い英雄譚ならこれくらいで物語は終わりだろうがあいにく俺は一般人、安いサーガにも出れやしない不幸で不運な一般人だ。
爆発音、それも飛空艇の横についた推進機プロペラを回すエンジンが爆発した。急速にバランスを崩す飛空艇がよりにもよって俺の方へ寄ってくる。
「うっぐっ!?」
文明の明かりを目の前に飛空艇が俺の相棒に衝突しそれと同時に風船のような浮遊機がプロペラで切り裂かれ、浮力を失った機体が落ちていくのは自明の理であり、質量もかなりのものである分厚い布で視野を奪われ積載量過多になったプロペラ機が落ちるのもまた当たり前のことだった。
…運が良かったのは地形が平野だったのが幸いして相棒が壊れなかったことぐらいだが…
「はぁ…」
夜はまだ明けない。