中庭と女子寮
Ⅰ
結果として、ケリアは大目玉を食らった。
校舎内における空間魔術の無断使用やら、無届けの生体実験やら、危険物の複数所持やら、今回の一件でそう言った隠し事の諸々が露見したようだった。
俺のほうは、ケルベロスもどき討伐の功績により追加報酬の申し出があった。けれど、原因の一端が俺にもある以上、ある種の自作自演のように思えて、それを受けとる気にはなれなかった。
なので、ケルベロスもどきごと斬った地面の修繕費に充ててもらうことにした。
「――意外と早く終わったな、初日は」
しこたま怒られるケリアを残し、自由の身となって放課後の校舎を歩く。
ケルベロスもどきの一件もあって、今日の授業はすべて中断されている。まだ昼時だが教室にも廊下にも生徒の姿はない。ある意味、珍しい光景を目にしていた。
「さて、中庭はたしか……」
放課後に中庭で。
当初、予定していた時刻から大幅に前倒しとなったが、約束は約束だ。
久々の再会に積もる話もある。足は自然と歩幅を広くしていた。
「――おっと?」
脳内地図を頼りに中庭を目指していると、不意になにやら騒がしい声が聞こえてくる。
生徒はすでに帰ったはず。だと言うのに、やけに楽しげな声音が響いてくる。しかも音源は、今まさに目指していた中庭から聞こえてくる。そっと足を進めて校舎の窓から、中庭の様子を窺って見た。
「なにしてんだ? あいつら」
中庭には、数多の学生が集っていた。
その挙動はなにかを待ち構えているようにも見える。
「――アザミ!」
不可解な光景に訝しんでいると、後方からアヤメの声がした。
振り返ってみたアヤメの表情は、なにやら切羽詰まった様子。
「来てくれ。不味いことになった」
早足にこちらに来ると、そのまま俺の手を掴んでここから離れようとする。
状況が呑み込めない俺は、成されるがままアヤメの後を付いていく。
「不味いことってのは?」
「……ちょっと言いづらいことなんだけどさ」
こちらに目を向けることなく、アヤメは言う。
「私、この学園じゃあちょっとした有名人なんだ。だから……その……」
本当に言いづらそうに、アヤメは口ごもった。
状況を整理するに、中庭にいる団体は、どうやら俺達がここで待ち合わせていたことを知っているらしい。
考えても見れば、あの時は周囲にたくさんの生徒がいた。そこから話が伝播したんだろう。アヤメが有名人なら、中庭があぁなる理由にもなる。
つまりは野次馬だ。
となると、現状がだんだんと見えてくる。
「なんだ? 逢い引きにでも間違われたか?」
「なあっ!?」
どうやら当たっていたようで、過剰反応した。
今日はよく女に驚かれる日だな。
「そ、そう言うこと平然と言うなよ! びっくりするだろ! 恥じらいはないのか! 恥じらいは!」
「恥じらうもなにもないだろ、これくらい。ガキのころにはもう婚姻だのなんだのって――」
「ああぁぁぁぁあぁあああああああ! 聞こえない、聞こえない、聞こえない!」
まぁ、ガキのころの約束なんて、本気にするようなものじゃあないけれど。
しかし、反応が面白いから定期的に掘り返してやろうかな。
「――せ、先輩? 先輩! こんな近くで大声出したら!」
追いついてくるようにして、後方から誰かがやってきた。
アヤメの知り合いなのか、その少女は先輩と呼びながら駆け寄ってくる。
なにやら不穏なことを言いながら。
「あ――不味い」
にわかに中庭が騒がしくなる。
複数の足音が、廊下を駆けている。
「とにかく急ぐぞ。追いつかれたら面倒だ」
「そいつはいいが、ゴールくらい教えてくれ。俺はどこを目指せばいいんだ」
「そ、それは……」
「それは?」
またアヤメは口ごもり、けれど迫り来る足音に駆られるように、絞り出す。
「私の……部屋」
Ⅱ
真央魔術学園が有する広大な敷地には、生徒のための施設が建っている。
赤煉瓦を積み上げて造られた学生寮もその一つ。
公序良俗のため、当然ながら学生寮は男子寮と女子寮に別れている。アヤメの部屋に行くということは、つまり男の俺が女子寮に忍び込むことで。
とにかく周囲の目を気にしながら、なんとかアヤメの部屋まで辿り着いた。
「居心地の悪いこと、この上ないな」
「仕様がないだろ? ほかになかったんだからさ。落ち着ける場所」
禁じられた場所に入るというのは、なかなかどうして落ち着かない。
「でも、先輩のお友達って本当に魔力がないんですね。魔力感知の結界も、反応しなかったし」
「そんな結界が張ってあったのか?」
「あぁ、入り口のところにな。私達は入寮のさいに魔力を結界に登録してあるんだ。だから、それ以外の魔力に触れると、即座に警報が鳴り響くって寸法さ」
だから、魔力のない俺には反応しなかった、か。
「防犯意識が足りてないんじゃあないのか? それ」
実際に、俺は忍び込めている訳だしな。
「普通、魔力無しが魔術師の寮に忍び込むって状況がまず有り得ないんだよ。忍び込んだとして、魔力無しが魔術師に勝てる道理はないしな……アザミを除いて」
「あれ? もしかして今とっても危ないことしてません? 先輩と私」
「変な気は起こさないから安心しろ」
任務初日が無事に――では到底なかったけれど、とにかく終わったばかりだ。そんな時期から学園にいられなくなるようなことはしない。まぁ、どれだけ時期が経とうと、そんな気が起こることはないと思うが。
「ところで、この後輩は誰なんだ?」
「あぁ、そう言えば紹介してなかったな。サン」
そうアヤメが名を呼ぶと、サンは立ち上がって見せる。
「はい! 真央魔術学園、一年生。サン・リフィードです! アザミさんの噂はかねがね、先輩から聞き及んでますよー」
「あっ、こらッ」
「へぇー、聞かせてもらおうか。どんなこと吹き込まれたのか」
「えへへ、それはですねー」
「や、止めろ! サン! 怒るぞ! 耳打ちをするな! なにも話すなぁああああああ!」
どうやら後輩であるサンも、アヤメの扱いを心得ているようだった。
それから、場も和んだ所で、積もる話の一つ一つを語らい、懐かしい日々の記憶を紐解いていった。
俺とアヤメは遠い日のことを思い、サンは話から想像を膨らませる。そんな穏やかな時間がいくらか過ぎたころ、話題は俺の任務のことに移った。
「――なるほどなぁ。それでアザミが派遣されてきたって訳か」
「意外と面倒臭いんですね、この学園も」
「ま、この学園の根幹にあたる部分だからな。それだけ気を遣うんだろ」
中立と平等。
掲げるには随分と耳障りのいい言葉だが、それを支える人間に苦労は絶えない。
「しかし、そのプレイって奴等の目的はなんなんだろうな? 無差別に人を襲ってるようにしか見えないけど」
「そのところ、どうなんですか?」
「プレイの目的か」
民族浄化の末に独自の国を起ち上げること。
言葉にして言うのは簡単だが、組織が掴んだ情報を俺の口から無関係の者に流すわけにはいかない。それが例え、近いうちに周知の事実になるとしても、いまは口を閉ざすのが正解だ。
「まだ判然としてない。けれど、まぁ、おいおい明らかにはなるはずだ。目的もなく、人を襲うなんて理性のない獣でもしないことだからな」
「あっ! 件のケルベロスの話ですか? 詳しく聞きたいです! 私、見逃しちゃったんですよー」
「たしかケリアの実験動物が逃げ出した、だったか。私も詳しく聞きたいな」
意図せずだったが、話題が移り変わったようで胸を撫で下ろす。
その代わりとしてケルベロスもどきのことを話すことになったが、言っていいことと、言ってはいけないことを、話ながら頭の中で整理をつける面倒なことをせずにすんだ。
そう言えば、ケリアは今どうしているんだろうか?
まだ怒られているかも知れないな。
「あれは――」
そうして日は暮れていく。
積もる話はまだまだあれど、流石に帰宅の時間だろう。
部屋の窓から外に出て、手を振る二人に手を振り替えし、すっかり暗くなった夜空を見上げながら、真央魔術学園をあとにする。
「よう。依頼か?」
学園を出てしばらくすると、見慣れた黒猫がまえを過ぎる。
縁起が悪いから止めろというのに、エクレールはこの使い魔を送ってくる。
まったくもって、趣味の悪い奴だ。
「プレイが現れた。数は一」
「一人?」
「闇夜に紛れて人を殺して回っている。出会い頭に無差別だ」
「辻斬りってところか。悪趣味だな」
黒猫を使いに送るより、よっぽどだ。
「わかった、対処に向かう。案内してくれ」
そう言うと、使い魔は、にゃーと猫らしく鳴いて走り始める。
俺もその後に続くように、夜の街を駆け出した。