真央魔術学園
「貴方がアザミくん? 例の組織から来たって言う? 魔術殺しの? 魔術師じゃないとは聞いていたけど、本当に魔力を感じないんだ。まぁ、そこは技量の民だからこそってことかな」
仄かに珈琲の匂いがする、校舎とはまた異質な空間である職員室。
そこれで女教師のイリーナは、そう感想を述べた。
「アザミくん。この学園は今日からキミを特待生として扱います。授業の出席義務もないし、進級に単位も必要ありません。つまり、体裁だけの学生で中身はほとんどない、ということです」
「ま、そうなるだろうな」
魔術を学ぶ学園で、魔術師でもない俺がなにを学ぶというのか、と言う話だ。
無意味、無駄の極みだ。それに授業を受けている暇があるなら、校舎を見回ったほうが何倍も有益だ。それが任務でもある。
「権限は、通常の特待生と同じものが与えられます。食堂は無料だし、学費も免除されます。ほかには……あぁ、学生寮の家賃も」
至れり尽くせりだな。
特待生って言うのは、それだけ特別なのか。
まぁ、俺みたいな部外者が属すところだ。普通であるはずもない。
「ほかに質問は?」
「いや、特にない」
こちらはこちらで必要なことを調べてきている。
見取り図とか、授業時間とか、色々と。
「そう。ちなみにこれからすこししたら授業が始まるけれど。出席する?」
「いや、校舎を見て回っておきたい。今回は遠慮しておく」
「じゃあ気が変わったら遠慮なく先生に言ってね? あと」
「あと?」
「学園の中では先生に敬語を使いなさい!」
あぁ、そう言えば、そうだったな。
学園では、そうする決まりだった。
「わかっ――りました」
「よろしい」
イリーナ先生に挨拶をし終え、職員室を出ると当初の予定通りに廊下を歩いた。
目で見た構造と、脳内に描いた見取り図とを照らし合わせていく。そこに齟齬がないことを確認しながら、校舎を見回っていく。すると、授業開始も近いとあって、数人の生徒と擦れ違う。
みんな、物珍しいものでも見るようにして過ぎていく。
身に纏う衣装は、普遍的な和装で特色のないものだ。
恐らく、腰に差したままの刀がいけないんだろう。基本的に校舎内での武装は認められていない。だが、今回に限って俺だけはそれを許されている。いわば、この刀こそが部外者の証だ。
だから、みんな、俺を異物として認識しているのだ。
「……気分のいいものじゃあないな」
これから当分の間は、この奇異の目に晒されることになる。
戦ってさえいれば良い何時もの任務とは違って、面倒なことになりそうだ。
そう今後の憂いつつも廊下を歩いていると、ふと足が止まる。
「――アザミ?」
正面に、見覚えのある少女がいたからだ。
彼女が、俺の名を呼んだからだ。
「よう、アヤメ」
それは、彼女の名。
久しく会っていなかった、幼馴染みの名前だった。
「やっぱりか! 久しぶりだな、元気にしてたか?」
「あぁ、元気してたよ。そっちは……元気そうだな。随分とまぁ成長したもんだ」
昔は男か女か見分けが付かなかったのに、今ではきちんと女に見える。
漆塗りのような美しい黒の長髪を、一纏めにしたのが要因か。それとも単に成長して大人びたからか。
「へっへー、そうだろう、そうだろう」
「調子に乗りやすいところは変わってねーのな」
「なっ、いいだろっ、べつに!」
容姿は随分と女らしく、綺麗になったものだが、根底の部分は変わっていないらしい。
調子に乗りやすく、褒めるとすぐに照れ、からかうとすごく怒る。そんな素直な幼馴染みは、そこに姿を変えて立っていた。なんとも懐かしいことだ。
「それよりっ、それよりだ! どうしてアザミがここにいるんだ? それにその帯刀は」
「あぁ、まぁ、そう言うことだ」
「そっか……叶えたんだな、夢」
かつてアヤメに言ったことがある。
魔力がなくても、魔術が使えなくても、俺は夢を諦めない。
かならず武の頂にいたる。
そう、決意したことがある。
随分とまえの話になるが、今でも憶えていたとはな。
「まだだよ。まだ夢の途中だ。けど、まぁ、第一目標くらいは達成したかな」
「第一目標……まだ夢の途中か。私も――もっと頑張らないとな」
そうアヤメが呟いて、入れ替わるように鐘の音が響き渡る。
それはたしか授業開始の合図、だったか。
「うわっ、もうこんな時間か。アザミ、今日の放課後、空いてるか?」
「あぁ、とくに予定はないけど」
「なら、中庭で待っててくれ。絶対だぞ!」
そう言い残して、アヤメは急いで廊下を駆けていった。
たしか廊下を走ってはいけなかったはずだが、まぁいい。
俺は俺で任務を果たすとしよう。
生徒のすっかり失せた廊下を歩き、見回りを再開する。
次の鐘の音が鳴るころにはそれも終わり、あらゆる物の位置関係が頭に入る。
そうして――やることが一つもなくなった。
「滅茶苦茶、暇」
放課後に予定はないと、あの時アヤメに言ったけれど。放課後だけでなく、放課前でも俺には予定は一切なかった。
それもそうだ。
俺が必要となるのはプレイが現れた時だけだ。その瞬間から俺は必要とされ、だからそれまでは必要とされていない。
つまりは待機時間だけが延々と続くことになる。
その結果、暇を持て余してしまうのも、半ば必然的な出来事だった。
「素直に授業を受けてりゃよかったかな」
無意味で無駄なことだが、暇つぶしにはなる。
それに座学はともかく、実技の授業なら俺にも意味ができ、価値がでる。
明日からは実技の授業だけ参加させてもらおうか。
そう暇つぶしの案を模索しつつ、校内を練り歩いていると、石造りの地面から、妙な振動が伝わってくる。それを感知し、一気に警戒心が跳ね上がった。
なにか大きなものが、そう遠くないところで動いている。
「……こっちか?」
不審な振動を辿るようにして足は進み、振動はより明確になっていく。
「この向こう、みたいだな。だが……」
そこは袋小路であり、この先に部屋のような空間はない。
完成した脳内地図もそう告げている。
だが、たしかにこの先から音が聞こえていた。
「音に聞く七不思議って奴か? とにかく」
何にせよ、放置しておく訳にはいかない。
ゆっくりと壁に近づいて、指先で触れる。感触としてはいたって普通だ。けれど、より強い振動がびりびりと指先から伝わってくる。
この先に何かあるのは、もう間違いない。
かくなる上は、斬ってみるか。
「何もなかったら……知らん顔しよう」
そう呟きつつ、壁から指先を離す。
すると、その引っ掻くような動作に反応したのか、陽炎のように壁が揺れ始める。それは一瞬にして激しさを増し、次第に薄れ、別のモノへと変貌する。
「――扉?」
壁に一枚の不可思議な扉が現れた。
ノブに手を伸ばしてみると、カチャリと開く音がする。
「……行ってみるか」
左の腰に差した刀を左手で掴み、ゆっくりと扉を押し開ける。
何が跳び出して来てもいいように、すぐに抜刀して弾けるように、目をこらす。勢いに突き動かされて、扉は訪問者を招くように道を譲る。
その先にあるもの。
それは校舎の構造から見て、ありえない広さを有する空間だった。