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あいされたい

作者: 深山

後悔しても、もう遅い。

私にはもう、どうにもできない。

あなたがその湿気った花火を打ち上げなければ、よかったのに。


頭を冷やして、客観的になって考えてみると、それは結構、どうでもいいことだったのかもしれない。

だって何月何日のことだったのかも、もう、思い出せない。

どうして、私はあなたと二人で夜の恵比寿を渡り歩いていたのかも、覚えていないのに。


空が白んできた頃におしゃれなバーを出て、ふらりと歩みを進めていた。

もっとも信用していた上司に手を取られ、導かれるままいやらしく七色に光るホテルの前で立ち止まった。

この人が、何をしたいのか、その真意を全て感じ取る。

心臓が警鐘を鳴らし、警告をやめようとはしなかった。

カンカンカンカン。警報発令。警報発令。

私はとっさに手をほどき、一目散に逃げ出したが、実際のところ一発やってもやらなくてもあまり関係は変わらなかったように思う。

あなたが打ち上げた花火が上空で花開くことはなく、地上に落ちてきた。

それはまるでミサイルのように私たちの関係を悪化させていったのだ。

あなたのその行為を毛嫌いして、まるで10代の乙女のようにヒステリックを起こしたのはどうしてなのだろうかと考えても、モヤモヤは失せることなくそれは耳にピアスを開けるという形で残ってしまった。

例えばその上司が、あなたが、私を本命として愛してくれるなら、それを受け止める準備はできていた。

別のところに本命が、奥さんが、子供も、いるくせに、私を愛玩動物みたく片手間で愛そうとしたその心が許せなかった。

と、考えている。

あなたが人生を狂わせてまで私を愛してくれたのなら、私は喜んでその狂気の渦に飛び込んでいっただろう。

あなたとの心中だって素敵なものになって、きっと二人で白銀の雪に溶けて行くことだってできただろうに。


「っどうしてあたしじゃないの」


叫んでも、ベッドにカバンを投げつける程度の苛立ちだった。

少し、タバコを吸う量が増えたぐらいの些細な出来事だった。

1週間も経てば上司の顔を見ても何とも思わなかったような。

とっても、心底どうでもいい、出来事だったのに。


あの人は責任とやらをとって辞職した。

会社から、いなくなって、病院に、入院したらしい。

どうでもよかったことが突然私に自責の牙を剥いた。

被害者だったからどうでもよかったように感じていたのかもしれない。

私は突然加害者に、なった、気分だった。

上司にも言わなかったし、同僚にも話さなかった。

何もしなかったのに、あの人は勝手に弱くなっていなくなってしまった。

この、汗はいつ止まるのだろうか。

だらだらと染み出すようなこの汗が、さっきから止まらない。

あの人の辞表の弱々しい文字を見てから、寒気がして、恐ろしい。

ブランケットを腰から足にかけて巻きつけているのに、外は太陽がじりじりとアスファルトを焦がしているのに、汗が出てきてしまうなんて。



「(まるで、私が悪いみたいじゃないか)」


グッと力を込めてブランケットを握る。

こんな時に、どうしてかちりちりと同僚たちにみられているような気分になる。

吐きそうになる、眩暈がしている、ような気分。

携帯のメッセージのやりとりであなたに自主的に謝らせて、会社では気まずい雰囲気を出させて。

まるで初めから全てを仕組んだような、転落を目に見せて。

私がすべての黒幕であるかのように、思えてきてしまって。

私が、あなたに媚びて、あなたを誘って、あなたの手を引いて、ぎりぎりまで焦らして、捨てたようだ。

最後は生ゴミが積み重ねられている電信柱の横に放ってきた、みたいな。

罪悪感。

赤子の手をひねるより、あなたの面子を潰してしまうことは容易いことだったが、そんなこともしなかったし、ちょっと気まずそうに視線を落としてたくらいだった。のに。

あの人をそんなに苦しめてしまった?

私は、ただ、透明に、なろうと。

それとも、あなたを、苦しめようと、演技をしていたのか。

シンデレラの気分は十分に味わったし、私は、もう、満足していた。

被害者ぶるのも疲れたし、そろそろ日常に戻れると思っていたのに。

あなたは一向に加害者をやめなくて、それがだんだん私の良心に突き刺さっていって。

背中に釘が刺さって。

私が、苦しみ始めて、どうしてかって言われてもそれは、わからないようにして。

一体何のために、私は苦しんで、苦しめられて、苦しめているのか。


仕事が終わったのは定刻通りの17時。

私はすぐに車へ向かってエンジンをかけた。17時8分。

ぐったりとシートに身を沈める。それから21秒。

タバコのケースに手を伸ばす。17時9分。

火をつける瞬間に思い出す。横顔。ほんのひと時。

タバコを気怠げに燻らす、あなたの横顔。ほんの。

吸い終わる直前にフィルターの部分を潰してしまう癖。ひと時。

ラッキーストライク。じじっ。

タバコの灰が長くなっているのに気づいて驚く。

灰を車外へ落として、感じる、虚しさ。


募る憎しみも、虚しさも、苦しみも、喜びも、快楽も、全てが、生まれる根源。

伝う涙も、戦慄く唇も、震える指先も、すべての元凶。

あいされたい。

あなたに、あいされたかった。

上司と部下なんて関係は最初からなかったように、あいしてほしかった。

私を一人の女性として見れなかったあなたが、今や憎たらしい。

あなたが、きちんと、ルールに則って、私をあいしてくれるのなら、

私もあなたをあいする準備はできていた。

もっとあなたと恋がしたかった。

もし、あなたと肉体関係を抜きにしたデートができたのなら、とても楽しい思い出になっただろうなと、想像するのだ。

純粋な愛をぶつけてくれるのなら、この身で精一杯受け止めただろう。

それがもし、受け止めきれずにその愛が溢れてしまっても、それが舐めとるくらいにはあなたのことが好きだった。

純粋に、すきになってほしかった。

私の頬を濡らすこの温い涙が、女々しさを助長させるようだった。

それでもあなたにこの涙を、泣き顔を、見てもらいたかった。

あなたのその大きな手で、この涙を拭ってもらいたかった。

あなたが見せた優しさで、私の涙を乾かしてほしかった。

あなたのその柔らかに崩す表情を、もう一度見せてほしい。

もう一度、くだらないことで笑って、笑わせて、欲しい。

あなたがほしかった。

あなたに、愛されたい。

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