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第五章 -7

「これから、どうするの……」

 僕は地下室の入り口を閉めながら、衣桜に訊いた。衣桜は窓の外を眩しそうに見つめながら、

「……ポストプロテスに保護してもらおうかなって思ってる」

「あんなに嫌がってたのに」

「私よりも、遼喜の方がね。まあでも……あの状態の私がポストプロテスに引き取られてたら、もっと危ない事になってたかも知れないから、そこは……ありがとう」

 衣桜は振り返って、照れ臭そうに言った。僕は何だか気恥ずかしくなって、変にはにかんでしまった。

「そういえば、私、実は広垣さんの手記を全部翻訳したわけじゃないんだ」

 廊下を進みながら、衣桜が思い出したように言ってきた。

「そうなの?」

「うん。あの後、結京悟は自分のしたことを悔みながら死んでいくんだけど……そこに行く前に『私』が耐え切れなくなっちゃった」

 僕はその、意外な顛末に愕然とした。

 結が自分の所業を悔やみながら死ぬ? 結は自分のやったことに、満足していたじゃないか。それほどの男が何故、死ぬ前になってその所業を悔やむんだ?

「その話、ウチで聞かせてもらってもいいかしら?」

 突然、背後から声がした。僕と衣桜は驚き、反射で振り向く。

 篠園さんだった。高圧的に僕らを見据え、いつものように悠然と佇んでいる。が、パンツスーツの装いが少し乱れているところを見ると、余裕のなさを感じる。

 篠園さんも地下室の存在を知っていたのだろうが、床板を内側からしっかり嵌めると外からは開かなくなる。だから、恐らくここで待っていることを選んだのだ。

 ガチャ、と音がして玄関から誰かが入って来た。こんな暑い日だというのに灰色のスーツを着込んだ、どう見ても事件調査のために鍛えた身体とは考えにくい体躯の男が二人。

「もう逃げようなんて思わないことね……さあ、大人しく手記とその翻訳ノートを渡しなさい」

 篠園さんは勝ち誇るでもなく、いつものような高慢さで衣桜に告げた。

 でも、衣桜にはもう拒む意味などないのだから、ここまでする必要はなかったんじゃないか。どの道僕らは、これからポストプロテスの営業所に戻るつもりだったのだから──

「嫌です」

 衣桜は言った。僕は思わず彼女の方を見た。その横顔には、前に篠園さんと対峙した時よりも、強い意志が表れている。

「衣桜……?」

「日鞍さん、あなたには訊いてないの。私は中浦さんにこの要請を──」

「遼喜は関係ないです。私はあなたを信用していないので、あなたが関わっている限り、私は情報の提供に同意しない……というだけのことです」

 オブラートに隠すつもりのない、ストレートにすぎる物言い。僕のことを関係ないと言ってのける変化もすごいが、篠園さんにはっきり言ってしまう肝っ玉もすごい。

「……あなたは真実をナメてるの?」

 篠園さんはあくまで変わらない調子で言った。その一本調子がまた恐ろしい。

「そのような私情で真実を隠蔽することは、この件に関わる全ての人にとって最大の侮辱であることがわからない? あなたの頑迷な態度が、多くの人に迷惑をかけていることがわからないの?」

「そう言うあなたこそ、真実をナメてます」

 衣桜は即座に言い返した。

「そもそも、この件に関わる全ての人って誰ですか? あなたは会ったことあるんですか? 私はありますよ、たった一人だけですが……小野さんという方で、事件で両親と友人を亡くされた方です」

 一昨日、僕と衣桜で会ってきた、父さんと結の大学時代の友達だった人だ。彼女の言った事は、僕もはっきりと覚えている。

 衣桜は自分の声で、小野さんの言葉を復唱した。

「『忘れたい。あの時の痛みとか、悲しさとか、そういうのを身に沁みないようにして欲しい』。これが小野さんという方の真実です。さて、篠園さんの言う『この件に関わる全ての人』って誰なんですか? 真実を求めてる全ての人って、誰ですか? あの、もしかしてそれって……篠園さん自身のことじゃないんですか?」

 衣桜の挑発的な発言に、篠園さんは眉根を寄せて目を細めた。

 僕は、その強靭な論旨を黙って聞くことしかできない。あり得ないほどの正論。呆れるほどに真直ぐな言葉。

 ──空回りしてる。部活って本気でできる場所じゃなかったみたい。皆に申し訳ない。

 生徒手帳に書かれた衣桜の悲哀。それはあまりに衣桜が真直ぐすぎるがための、皮肉だったというのか。

「あと……私、さっき遼喜と篠園さんの話を盗み聞きしてました。それ自体は良くないことだと思いですが、それより私気になることを聞いてしまいまして。静歌さんを媛倉事件調査から下ろすって」

 衣桜はわざとらしく玄関の方を振り返る。グレーのスーツ姿の男達が黙って立ちつくしているだけで……静歌の姿はない。

「おかしいですよね……普通、部下の責任は上司が取りますよね。静歌さん、確かに失敗しましたけど、頭も良いし有能な方です。それを切り捨てるなんて、あり得ないって思いました。私、それで確信したんですが……篠園さんにとっての真実って、自分にとって都合の良い真実なんじゃないですか? 部下から取りあげてでも、独占したい真実。つまり──自分の利益のための真実っていう」

 ジャギ、という音がした。篠園さんが何か黒いものを僕らに向けている。ちら、と振り返ると、男達も同じ物体を僕らに向けている。

 それは拳銃のように見えた。

「……テーザー銃ですか」

 衣桜は特に慌てた様子も見せずに言った。テーザー銃とは空気圧で電極を撃ちだすスタンガンの一種……だったはず。静歌から聞いた話によれば、刑事調査課の調査員のために法律が改正され、護身用に持つことを許可されているらしい。

 非致死性の武器とはいえ、銃口を向けられると相当恐い。

「全く……大人しく情報を吐き出せば、こんな面倒なことをせずに済んだのに」

 篠園さんは険しい顔つきをして、ゆっくりとした口ぶりで言った。まるで、これが最終警告だとでも言わんばかりに。

「手記とノートを出しなさい。一分以内に出さなければ、撃つわ」

「撃ってどうするんですか?」

「我々が発見した現場では、錯乱した日鞍さんと、影響を受け混乱した中浦さんがおり、調査員に生命に関わる危害が及ぶと判断し、あえなくテーザーを使用」

「で、まんまと手記とノートと私の身体をゲットってわけですね……本当に狡いですね。良心はないんですか?」

 衣桜は全然物怖じせずに畳みかけた。

 いやいくらなんでも恐れ知らず過ぎるだろう、と僕は思ったが、今更ながら気が付いた。衣桜は今めちゃくちゃに怒っている。篠園さんの、自分に対する扱いもそうだし、媛倉事件に関わる人への態度にも怒っているし、利権にしか目のない態度にも怒っている。

 衣桜は本気だ。本気で怒っていなければ、こんな状況でこんなに喋れる訳がない。

 僕は生れて初めて、──怒っている人を怖ろしいと思った。

「黙りなさい。もうカウントは始まっているのよ」

 とはいえ、篠園さんの方が圧倒的有利は揺るがない。

 衣桜と篠園さんの睨み合いが、少しの間続いた。僕はまるきり蚊帳の外だが、衣桜の行動いかんで僕にも電極がぶち込まれてしまうので、気が抜けない。

「遼喜ってさ」

 と、衣桜が小さな声で話しかけてきた。何か作戦でもあるのかと思って、僕は期待する。

「何……」

「彼女いたことある?」

「ええ? 何それ、今、この場面でそれ訊くの!」

 謎の質問にうろたえる僕だったが、衣桜は真面目な顔。怒りからか顔が火照っているように見える。

「答えてよ」

「……ないよ」

「そうなの……ごめんね」

「うるさいな」

 衣桜は僕との問答で何を得たのか知らないが、手に抱えていた父さんの手記を篠園さんに差し出した。僕は意外に思ったが、篠園さんの目つきには油断がない。

「翻訳を書いたノートは?」

「それは知らないです。営業所に置いてきました」

 確かに、衣桜は最初から父さんの手記しか持っていなかった。

「……東村は営業所に何もないと言っていたのに……あいつめ」

 篠園さんが悪態をつく。

「先程の中浦さんと私の会話を、あなたが盗み聞きできるよう手引きしたのも、東村なのね?」

「さぁ、あんまり覚えてないです……」

 衣桜はとぼけるように言った。篠園さんは舌打ちをして、衣桜から手記を奪うように受け取り、検めるようにページを捲っていく。

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