第一章 -1
八月一日、十七歳の誕生日を僕は初めて訪れた故郷で迎える。
「……ここが、媛倉」
駅の改札を出て、僕は立ちすくんだ。これから、僕はこの場所で一週間を過ごす。たかだか一週間で何が変わるとか期待しているわけでもないけど、どうしても僕はここを訪れておきたかったのだ。
本当の両親の居た場所であり、本当の両親が死んだ場所であり、僕が生まれたこの場所を。
「なんか、思ったよりもゴーストタウンって感じじゃないね」
と、僕の横に現れた静歌が言った。その物言いに僕は眉をひそめる。
「ゴーストタウンだなんてそんな……」
「まあ、流石に駅前は栄えてるけど、ちょっと歩けばもう空き家ばっかりで、本当にゴーストタウンみたいになってるらしいよ。で、これから私達が使う空き家も、その一角にあるってわけ」
「どれくらい歩くの」
「一五分くらい。面倒だからタクシー拾っちゃおうか」
そういうわけで僕達は、東口のロータリーでタクシーを捕まえて乗り込んだ。
──東村静歌は、僕の従姉だ。一応、戸籍上の。僕の母さんは二人姉妹の妹で、その姉さんの娘が静歌。僕のたった一人のイトコだ。
どうして僕の媛倉訪問に着いてきてくれたのかと言うと、保護者兼、仕事の一環とのこと。
媛倉事件は事件収束後、国に雇われた幾つかの調査会社が調査を実施した。今の世の中では、もはや大規模な警察組織を常時保持しておくよりも、事件ごとに警備会社や調査会社を雇う形にした方が、全体で見て低いコストで済むことが多くなり、そのためここ十年でそういう業務を請け負う会社の数が急増したという。その中で、今でも業界の上位に立ち続けるのは、媛倉の事件調査を委託された調査会社らしい。
静歌はそのうちの一つ、「ポストプロテス」に勤める調査員だ。
一応、事件当時静歌は九歳。調査に参加したわけではない。ただ、媛倉事件は巨大な未解決事件として残されており、今でも手がかりが見つかれば報酬金が支払われる手筈になっているらしい(当然事件としては、例外中の例外的な扱いだ)。
だから、会社は媛倉事件の個人的な調査に充てるという理由で、有休消化することを許してくれるらしい。何かがおかしい気がするが、静歌は全然気にしていない。
「有給消化率あげないとさ、ブラック企業言われちゃうからねー」
生きづらい世の中だ、と言わんばかりの口ぶり。やっぱり色々とおかしい気がするが、夏休み中の僕はなんとも言うことができない。
まあ、仕事熱心なのはいいことだと思う……、静歌のお陰で僕の個人的な調査も大分楽になるはずだから。
「広垣」。それが僕が本来冠するべきだった苗字だった。
僕達がこれから一週間滞在するのは、広垣家──つまり、本当の僕の両親が生前住んでいた家だ。
静歌の言った通り、周辺は全て空き家でゴーストタウンと化した住宅街が広がっており、そこから道一本挟んで両親の家は建っていた。
「ゼロ年代に建てられたっていうらしいから……もう随分古いね」
静歌は「広垣」の表札に被った埃を払いながら言った。ゼロ年代、つまり二〇〇〇年代となるともう三〇年近く前のことだ。
「ゼロ年代? じゃあ僕の両親が建てた家じゃないの?」
「うん。もともとあったのを譲り受けたか何かしたみたい。じゃあ、遼喜、鍵あけて」
静歌に促され、僕は鍵を鍵穴に差し込み、回した。ガチャ、と錠の回る音がして、扉が開く。
──当たり前だけど、そこはまるきり他人の家だった。ここがお前の実家だよ、と言われても何の感慨もわかないし、懐かしさの片鱗も感じない。一階にリビング、ダイニング、キッチン、浴室と和室があり、二階に部屋が三つある一軒家と聞いていたけど、正しくその通り、そのまんま。
「……なんだか、随分とさっぱりしてるけど」
一階をざっと見て、僕はとりあえずの感想を言った。十七年も放置されていたのだから、もっとひどい状態かと思ったけど、テーブルとか棚とかテレビ台とか、必要最低限の家具以外にはモノがなく、がらんとした印象を受ける。
「調査会社が一通り探り入れてるからね。片っ端から検分して、関係なさそうなものは全部処分……何年もかけて、全死者の家のものを調べたみたい。お陰さまで、この辺の空き家は文字通りぜーんぶ空っぽ」
「それで、何か見つかったの?」
「なんにも」
二階も一階と同じく空っぽ。ベッドの枠組みだけ残っているが、恐らくこれを片付けてレンタルした布団で寝ることになるだろう。
とにもかくにも埃がひどかったので、僕と静歌はTシャツとスウェットに着替えて小一時間ほど家の掃除をしたが、それほど苦労はしなかった。静歌が持ってきた掃除ロボットのアンくんが大活躍してくれたからだ。
アンくんは、直径三〇センチくらいのドーム状のクラゲみたいな形をしていて、強靭な吸引力と貪欲なまでのゴミへの執念がウリ。小一時間でこの家に積もっていた埃の半分以上を平らげてしまった。
欠点はとてもうるさいこと。今も、ガーガー起動音が家のどこかから聞こえてくる。
「ま、後は彼に任せて、私達はとりあえず、情報を整理しておこう」
概ね掃除が終わったところで静歌はそう言い、椅子に腰かけた。僕はテーブルを挟んでその向かいに座り、持ってきた資料を机の上に広げる。
静歌は大きなポケットファイルをどさっと広げて、
「まずは、媛倉事件について……これはまあ、表向きは私の担当だけど、遼喜も確認しておいたほうが良いでしょう。『媛倉集団ヒステリー事件』、通称媛倉事件は丁度十七年前……二〇十六年八月二日未明から広がった、集団ヒステリー事件ね。一応、騒ぎが収束したのは三日だけども、最後のヒステリー症状者が亡くなった七日を終わりとみて、八月最初の一週間を指すのが一般的かな」
政府の初動対応が酷く、二日はほぼ静観を貫き、三日になってようやく自衛隊の派遣等の対応を始めたそうだ。民間の調査会社や警備会社の方が対応が早く柔軟な判断に長けていたため、これらの企業が市民権を拡大する切欠となった。
今でも見つかっていない行方不明者もいるため正確な数は分からないが、少なく見ても死者数は三万人ほど。これは当時の媛倉市の人口の二分の一にあたる。文句なしに、二十一世紀最大の惨禍だ。
「ヒステリーってざっくり言われてるけど、具体的な症状は、嘔吐、失語、錯乱、瞳孔散大、激しい怯え、過度の興奮、自傷、激しい攻撃性、諸々。とにかく、異常行動。緊急事態宣言発動に伴って派遣されたある自衛隊員が、『ゾンビ映画よりも酷い状態だった』って語ってたそうね」
僕が読んだ資料によれば、一斉に全市民が発狂し始めたというよりは、東側の地域からじわじわと広がって行くって感じだったとのこと。
発症の過程は、まず嘔吐、それから言葉が通じなくなり、やがて錯乱して自傷したり、他人を襲ったりするようになった。事件直後の媛倉市は吐瀉物だらけで、その清掃作業も調査会社の仕事の一環だったとか。
ゾンビと違うのはその人達が死んでないことで、頭を壊さなくても出血多量だったり、溺れたり、栄養失調だったりでも死ぬ。錯乱による暴力行為で死ぬ人よりも、飢えて死ぬ人の方が圧倒的に多く、媛倉事件の死者の半分は、餓死であるという統計も出ている。七日に息絶えた、最後の犠牲者も餓死だ。食べ物を食べようとせず、点滴も拒絶し、睡眠すら拒んでぽっくりと死んだらしい。
静歌は頬杖をついて、ファイルのページをめくる。
「それだけの事件だったにも関わらず、原因は不明。集団ヒステリーっていうのは、とりあえず一般的にそう言われている原因であって、実際に集団ヒステリーであったかすらも分からない。当時は、ウィルス説を初めとして、放射線説、他国の陰謀説まで幅広い憶測が広がった」
「結局、ウィルスじゃなかったんだよね」
「そう。亡くなった人の血液を調べても、全くのクリーン。脳の形も健常者と変わらなかったし、遺伝子検査も徒労に終わったって」
あれほどの惨禍があってその原因が特定できないというのは、とてつもない不安を国民にもたらした。国はいくつもの調査会社を国内外問わず投入したが成果を得られず、結果として時の内閣が総辞職を迫られる事態となる。
そんな曰くつきの土地に住みたいと思う者はいない。媛倉市生き残った数少ない市民は次々と引っ越して行き、土地に愛着のある老人や、行き先のない貧困者だけが取り残されて社会問題となったようだ。
「そして、十七年の時が経って今に至る……と」
ばたん、と静歌はファイルを閉じた。僕は苦笑する。
「一気に時が飛んだけど……一応、これまでに媛倉再生プロジェクトとかあって、『市』と名乗れるくらいに人は戻ってきてるんだよ」
「それは、ここに来るまでに見てきた通りね」
十七年間も経てば事件の恐怖は流石に風化する。実際に事件に遭った人ならともかく、知識としてのみ知っている人なら尚更だ。曰くつきの物件のような感覚で、移住する人が増えたのだという。
かくいう僕たちも、そういう人々のうちに含まれるだろう。決して怖くないわけではないけども、未だにそれを引きずるのもこの土地の人に悪い、という気持ちの方が強い。
というわけで、以上が媛倉事件に関するレポート。