第三話 対抗心
彼と出会った次の日の、早朝のことだった。
私は、朝日のさす学校の、長い廊下を歩いていた。
いつも遅刻ギリギリ……とまではいかなくとも、
かなり遅い時間に学校へ登校する私。
そんな私が、こんな早朝に学校にいるのには、ちょっとした訳があった。
窓から差し込む光がまぶしくて、つい、手のひらに力が入る。
くしゃりと音を立てて曲がったのは、百円の入ったポリ袋。
そう。今日こんな早くに学校に来たのは、この袋を岩崎君に渡すためである。
岩崎君のクラスが近づくにつれて、
中から騒がしい声が聞こえるようになった。
その中には、聞き覚えのある声もあって。
今行ったら邪魔かな、なんて考えていると、
いつの間にか、教室の扉の前まで来ていた。
扉から目だけ出して中をのぞくと、
そこには机に腰を掛ける岩崎君と、それを取り囲む数名の男女。
クラスでも目立たず、派手なグループにも属さない私には、
まったく正反対の生徒たちの集いだった。
なんとなく場違いな気がして、
これを渡すのは今度でいいか、なんて引き返そうとしたその時。
「あれ? 鈴崎さん?」
誰かが私の名を呼ぶ声。
声の方へ振り返ると、そこには、手を振っている岩崎君がいた。
「どうしたの?」
こちらへ近づいてくる岩崎君。
歩く度にふわふわと揺れる、柔らかそうな髪の毛。
少しばかり寝癖が付いたそれは、私の頬を緩ませた。
「えっと……。これ、返しに来ました」
なんだか彼を直視できなくて、
少し目線を逸らしながら袋を彼へ差し出す。
だが、その袋を彼が受け取ることはなかった。
「わざわざごめんね。でも、受け取れない」
「でも……」
なかなか首を縦に振らない彼。
「別に、たった百円なんだから。貰っておいてよ」
そう言って彼は、困ったように笑った。
たった百円だとしても、それがお金であることには変わりがない。
多い少ないの問題ではないのだ。
借りたものは返す。それが人の理。
ましてやお金ならば、返さないわけにはいかない。
「借りたものは返さなきゃでしょ? だから、はい」
強引に彼の両手へ袋を押し付けるも、負けじと押し返す岩崎君。
「あれは俺が押し付けたようなもんだし。受け取っておいて」
あれは俺の奢りだから、と、眉間にしわを寄せて言い返す彼。
そんな彼にイライラし始めて、ついつい、大きな声が出てしまった。
「なんで受け取ってくれないの? 何か理由でも?」
その声を聞いた途端、黙ってしまう彼。
「えっと……、ご、ごめんなさい」
反射的に謝ってしまう私に、彼は口を開いた。
「理由って……。そんなの、女の子が困ってたら助けるのが男でしょ?」
途端、ぼっと熱の上がる私の顔。
恥ずかしさのあまり、つい視線を逸らす。
ちらりと横目で彼の方を見ると、その口元は弧を描いていて。
してやった、と言わんばかりの彼。
やられた。彼の方が一枚上手だった。
そうわかっていても、まだどくどくと脈打つ心臓。
その瞬間だった。私が、彼に抵抗心を抱いたのは。
彼のお留守な両手に、強引に袋を押し付けると、
私は一目散に走り去った。
顔を真っ赤にして走り去った私を見届けると、
彼はため息をつきながら席へ戻った。
そんな彼に、一人の少女が声をかけた。
「あのコだぁれ? 知り合い?」
高く、甘ったるい声のその問いに、彼は目を細めて頷いた。
「あぁ、まあね」
「ふーん」
唇を尖らせて呟く彼女。
「かわいい子だったねー」
その少女の一声に、彼は照れたように笑った。
「……でも、慶斗と釣り合うには、ちょっと地味かなぁ」
小さく呟かれたその声が、
少女以外に聞こえることは、決してなかった。