第九十一睡 二人の転校生
月曜日。お兄ちゃんが一番嫌いな日。ですがわたしは嫌いではありません。週の始めは気合いが入ります。
教室の皆もお兄ちゃんよりなのでしょうか、どちらかと言うとローテンションな人が多いです。土日ボケから抜け出すのは、確かに多少の苦労を要しますけどね。
「よっ、杏菜」
「漢ちゃん、おはようございます……」
一人で始業のチャイムを待っていたわたしに、漢ちゃんが話し掛けてくれました。こんなに仲がいいのに、幼稚園から例外なくずっと組が一緒って、地味にとんでもないことですよね。しかも今は席も隣。ちなみにわたしは窓際の一番後ろという、誰もが望むベストポジション。字が見えにくいという欠点もありますが、落ち着けるので満足です。あと、俊くんは隣のクラスです。なかなか一緒になれないんですよねぇ……。
「……元気ないな。聞くまでもないと思うけど、昨日は眠れたか?」
「いえ、全然ですよ……でも、元気がないのは別に寝不足だからじゃなく、ちょっと気分が悪くて……まあ、寝不足だっていうのもあるんですけど」
「……? ま、寝不足なのはアタシもだ。他の奴はみんな記憶を消されちまったからな。誰にも相談できずにモヤモヤして、一睡も出来なかった。何より、あのリルとかいうクソビッチにボコボコにされた自分が許せなくてよ!! 今度会ったらやられた分、キッチリ返ししてやらぁ!!」
拳を握りしめて闘志の炎を燃やす漢ちゃん。よく考えたら、わたしみたいに特別な武器は何もなかったのに、リルさんに攻撃を命中させたって、凄いことだと思います。でも漢ちゃんは結果を全てと考えているらしく、今も悔しそうに歯を食いしばっています。漢ちゃんらしいですね……。
「アンタの方はどうなんだ? ほら、あの変な二人組、大丈夫かよ?」
「ヤヨさんとルイネさんですか? 今はウチに泊まってますよ!」
「はああああっ!? アンタ、いったい何考えてんだ! あんな気味の悪い奴等と同じ屋根の下で暮らすなんざ、正気か!?」
漢ちゃんは立ち上がってわたしに叫びます。
「ま、まあまあ! 悪い人たちではないですから! それにあまり大きな声で言ったら……」
「……アンタがそう思うならいいんだけどさ。悪ぃ、寝不足だからって気が立ってた」
「いえ、心配してくれてありがとうございます、漢ちゃん! 確かに二人とも変わってますけどね! 今日だってヤヨさん“学校に行かせろ”って聞かなくて……」
「何だそりゃ! 天使が学校に通うなんて想像できねぇっつーの!」
その時、チャイムが教室内に鳴り響きました。バタバタと自らの席に向かう生徒たち。やがて先生が入ってきました。
あれ、なんか知らない人……?
「ゴホン……ええ、急病でしばらくお休みすることになった伊沢先生に代わって、皆さんの担任を務めることになりました、中原です。よろしく」
入ってきたのは、ほっそりとした女の先生。赤いふちの眼鏡をかけた、黒いスーツの生真面目そうな暗い方で、声も小さくて聞き取りにくいです。初対面の人にこれは失礼かもしれませんが、どことなく不気味です。中原先生なんて、この学校にいましたっけ?
「伊沢っちが病気……そりゃまた急な話だな? 元気だけが取り柄みたいな熱い男なのによ。金曜日まではピンピンしてたよな?」
「え、ええ……確かに珍しいですね」
わたしと漢ちゃんはヒソヒソ話をします。
「……それでは、今日は転入生を二人、紹介したいと思います。男の子と女の子、一人ずつです」
静まり返る教室を一通り見渡した後、中原先生は口を開きました。
ざわめく一同。両性別からあがる期待の声。今の時期に転入生? 漫画でよくある展開ではありますが……。
漢ちゃんがわたしの脇腹をツンとして、何か言いたそうにしていました。二人の……転入生……?
「ま、まさかっ!!」
「人形頭 冬里さんです」
「ヨウオ前ラ! 今日カラ一緒ニ勉強スルコトニナッタカラ、仲良クシロヨナ! オレサマノ名前ハ“ピッタ”ダ! 将来ノ夢は総理大臣ダカラ、今ノウチニ媚ビ売ットケヨ! ナンツッテナ!」
「変化球!! ちょっと、ここはヤヨさんが来る流れじゃないんですか!!」
入ってきたのは、藍色の髪を腰くらいまで伸ばした、物凄く美人な長身の女の方。CGみたいな美しさです。気品があって色白で、少し冷たそうなキリリとした表情で。おまけにスタイルも抜群。まさに全身から大人な感じを醸し出していて、思わず見とれてしまいます。
ヤヨさんしか可能性がないと思い、不意をつかれたわたしは、つい立ち上がって大声で突っ込んでました。そしてクラスの視線をモロに浴びると、咳払いをしてすぐに座りました。しかしながら本当に、モデルみたいな転校生さんです。とても中学生とは思えません。
しかし問題はそこではありません。今最も重きを置くべきは、その子が右手に装着しているもの。曰く、ピッタくんというらしいのですが……。
「オウオウ、テメエラ! 何ヲ固マッテヤガルンダ!? マサカ、オレサマガ美男子過ギテ、身動キモ出来ネエノカ!? ナンツッテナ!」
顔がボッコボッコの、汚れに汚れたカラフルなピエロの人形。ロシア人形でしょうか、特有の無表情に凹凸が加わり、不気味の一言で片付けるのが失礼な気さえしてきました。カタカタと動くピッタくんに、クラスメートの中には悲鳴をあげて机に伏せる者もいました。
「オオッ!? 悲鳴ガ聞コエテキタゾ! オマケニ机ニ伏セテル奴モイルナ!! 死ンダフリッテ……オレサマハ熊カッツーノ! ナンツッテナ!」
ピッタくんのギャグさっきから毛程も面白くない。
それにしてもあの女の子……人形頭さん、まだ一文字も発してませんよ。いや、腹話術ですからその言い方は語弊があるでしょうか。口が全く動いていないのは凄いですね。プロ並ですよ。感情なく人形を動かすその姿。いったいどちらが人形だと問い掛けたくなります。よくあの無表情でピッタくんのノイズを出せるな、と、感動さえしてきました。
「……では、人形頭さんはあそこの席に座ってください」
「ウルセエ、クソババア!! オレサマニ指図スンナッ!!」
沸点。ピッタくんの怒りのツボ浅すぎでしょ。
依然、ザワザワが収まらない教室。廊下側の列の前から二番目、ほぼわたしの体格線上に座った人形頭さん。隣になった子が、少し机を彼女から遠ざけました。
「なんか、とんでもないのが入ってきちまったな、杏菜? せっかく芸能人ばりのベッピンなのに、あんな人形持ってたら“近寄るな”って言ってるようなもんだろーに」
「ですね。何か理由があるのでしょうか? はあ……完全に取り乱しました。恥ずかしいです。不意打ちでしたから、つい大声を出しちゃいました……」
「いやいや、まだ分かんねぇぞ。ほら、転校生はもう一人いるんだろ?」
確かに……。ルイネさんは疲れて眠っておられると聞きましたし、ヤヨさんがあの後すぐにわたしの後を追い掛けてきたとしたら……。
「いえ、たぶんもう一人も違う人ですよ。もう流れ的にそうですもん。ここでヤヨさんが来るなんてベタな流れ、絶対あるわけ……」
「ぬううううううはっはっはっははははああ!!! 刮目せよ、皆の衆!! 儂が、儂こそが!! 本日よりお主らの学友としてこの地で勉学に励むことになった、志恣 規侍でああああある!! 身長は212糎、体重は160瓩! 好きな物はパンケーキ! 嫌いな物はパンケーキではない森羅万象!! 仲良くするがよい!! ぬううううううううはっはっはっはっっげほっごっほごほほっ!!!」
もう退学していいかな、わたし?
別に名前だけで決めているわけじゃありません。いえ、それも少しありますが。
何なんですか、この濃すぎる人は!?
まず今しがた紹介があったように、身長と体重が常識はずれです。体格がいいなんてレベルじゃないですよ、あれ。
そして第一に着目すべきはその髪の毛。丸刈りの頭頂部から赤い毛の塊が天井近くまで伸びており、顎からは青い髭が胸くらいまで。右もみあげは緑色、左もみあげは黄色。この四本の太い毛の塊が、まるでトゲのように少しも曲がることなく上下左右にピンと伸びています。イメージしやすいように言うと……シルエットだけを見たとしたら十字架型になります。とりあえず普通離れした特異すぎる髪型であることは確かです。
顔は、あんな髪型しといてどこか誇らしげで勇ましく、名の知れた武士のように力強い表情。腫れぼったい目と突き出たタラコ唇から、機嫌が悪いのかと心配になりますが、自己紹介からしてどうやらテンションは高いみたいです。
その自己紹介も酷い。そうした容姿に決して遅れを取らず、中身も相当ぶっ飛んでます。やはり口調はお堅いですが、パンケーキ以外の物に何の価値も見出ださない強烈なギャップ。高笑いしたあとに噎せるおっちょこちょいな一面。最終的にこの人はどこに着陸し、どの路線でやっていきたいのか。
これだったらヤヨさんが来てくれた方が幾分か平穏でしたよ。だって志恣さん、天使とか悪魔とか、そういう次元を超越してますもん。ここじゃなければ学校中で瞬く間に、良くも悪くも噂になるような人形頭さんのインパクトさえ、志恣さんに余すことなく吸収され、クラス全員が教壇に立つ志恣さんに釘付けになっており……ああもう、いちいち言いにくい名前!
これは罰なのでしょうか。ヤヨさんを学校に連れていかなかった事への報いなのでしょうか。天使の呪いでしょうか。せめて学校では普通にと願った途端にこれです。
「では、志恣くんは……窓際の、十諸さんの後ろへどうぞ」
どうやら罰ってことで確定らしいです。てかこの二人を見て身動ぎ一つしない先生すごい。
「せっ……先生! 何でここなんですか!? わたしの後ろに席なんか……!」
わたしは思わず立ち上がり、先生に抗議しました。先生は眼鏡をクイッと上げて、わたしを見ました。
「朝礼が終わったら先生が用意しておきます。十諸さんの後ろは充分に場所が空いているので、使ってもさほど支障をきたすことはないでしょう? それとも、志恣くんが近くに座ることに、何か不満でもおありですか?」
「いえ……特にないですけど……」
「では決まりですね。朝礼を終わります。皆さん、一時間目の用意をシテくダさい」
先生は足音も立てずに教室を出ていきました。反論する間もなく言いくるめられてしまいました。確かに失礼ですよね。相手を見た目と挨拶だけで判断するなんて。でもちょっと、あの先生苦手かも……。
「ぬうううぬぬうううぬぬぬうううはっはっはっはああ!! お主が儂の前の席か!! なあに案ずるな、普段はこのようにやかましい奴だが、授業の間は口を閉ざす! お主は何の気兼ねもなく勉学に勤しむがよい!」
「ひゃっ……は、はい! 生徒会長の十諸 杏菜です! よろしくお願いしますね!」
知らぬ間に間近に迫っていた相手に一瞬驚くも、すぐに他所向けの笑顔をペタリ。わたしに気を遣って下さっているんでしょうか? だとすれば、さっきは悪いこと言っちゃいましたね……。
今さらですけど……“中学生”なんですよね、この人。
休み時間になり、さっそく用意された志恣さんの席に人だかりが。皆さん、転校生というよりは珍獣を見に来たような目をしています。先ほどまで静けさに包まれていた教室にシャッター音とざわめきが鳴り響きます。
そうなると人形頭さんが不憫になってくるわけで。わたしはクラスメートが志恣さんに集まる中、わたしは一人、座っている彼女の元に駆け寄りました。
「あの……どうも、人形頭さん! 生徒会長をしています、十諸 杏菜と申します! その……腹話術、お上手なんですね!」
「腹話術ジャナイヤイ! 僕ハ生キテイルンダ! 人形扱イスルナ!!」
はああ、こっちはこっちで目のやり場に困ります……。顔面が岩のようにボコボコしているピッタくんは、わたしの方をギョロンと睨みました。とうの人形頭さんは黒板の方を見たまま、一言も喋りません。気まずすぎる…。
でも何とか話題を作らないと。
「あの、人形頭さんってその……面白い方ですね! すっごくお綺麗なのに、自分では喋らずに腹話……ピッタくんに話させているなんて! わたし、特徴と言える特徴がないから羨ましいな……なんて!」
オブラートで何重も、何重も包み、絶対に相手を不快にさせないような、同時に会話の糸を途絶えさせないような言葉を選び、必死に口を動かします。ですが、人形頭さんにはそんなことはどうでもよかったらしく、変わらずぼんやりと前を見続けています。
ニョキッと視界に入ってきたピッタくん。真実を見透かすかのように、わたしの瞳をジッと見てきます。
「“特徴ト言エル特徴ガナイ”ダッテ? キャハハハ!! 嘘ガ下手クソダナ! オレサマニハ全部、ゼエエエンブ、バレテイルッテイウノニ!
オマエハ普通ノ人間ジャナイ! 見チャッタンダヨ、オレサマト冬里ハ! オマエガ昨日、翼ヲ生ヤシタ女ト戦ッテイルトコロヲ!!」
「え……?」




