第七十五睡 魔を統べる者
おばあさんは桃が流れてきたとき、さぞかし驚いたと思う。
そりゃそうだ、俺だってビビる。おったまげる。だってワケわかんないもん。いきなり。川の上から。流れてくるはずもないものが。流れてくるなんて。
本当に……
「すぅ……すぅ……」
ワケわかんないよね。
魔王……絶対的な力を持つ、魔物の親玉。古くから多くのゲームのラスボスとして、プレイヤーたちを苦しめてきた。圧倒的で絶対的な魔力を持つそれは、畏怖や畏敬の対象とされている。俺も苦労したもんだ。やっとこ倒したと思ったら第二形態、酷いときには第三形態まであるんだもんな。ただ、それらが全て終わり、平和になった世界の風景とスタッフクレジットを見た時の喜びは、何事にも変えられないものがあるけど。
その魔王が今、可愛らしい寝息を立てながら俺の前を流れ、通り過ぎていく。
どうしよう。
偏食家な俺は、回転寿司に行っても殆ど皿を取ることがなく、多くの寿司がコンベアに乗せられて消えていくのを見送っていた。でも今の状況は違う。だって魔王だもの。金皿だもの。回転寿司と違って、今を逃したらもうここには帰ってこない。俺は懸命に手を伸ばして、魔王を拾い上げた。“魔王を拾い上げた”て。
「くかぁ……こかぁぁぁ………」
さて、どうしたもんだろうか。ずぶ濡れじゃないか。風邪引くぞ魔王。
いや待て、そもそも本当に魔王なのか? 格好はそれっぽいけど、実はコスプレ好きなオタクだった……みたいな。だっておかしいもの、魔王が川に流されグースカ寝てる? ふざけんな、魔王はおどろおどろしい城の一番奥の部屋で勇者たち一行を待ちわびているものなんだ。魔王がこんなザ・平和みたいな寝顔で、こんなザ・平和みたいな所に流れてくるなんて……
「ぐぅぅぅ……アイアム魔王………ぐがぁぁぁ………」
あ、魔王だわ。寝言で“アイアム魔王”って言うやつは絶対に魔王だわ。良かった……初対面の人を勝手に魔王呼ばわりだなんて失礼なことをしたと思ったら、モノホンの魔王だった……いや良かった良かった。
いや良くねぇな。これっぽっちも良くねぇな。魔王がこんな“始まりの町”的な場所に来るなんて、一大事だな。
いや待て、これはチャンスではなかろうか? 幸い、俺は今、伝説の剣を持っている。いくら魔王とは言え、文字通り寝首をかかれたら、ひとたまりもなかろう。そうしたら晴れて世界は救出。俺は元の世界に帰って、好きなだけ眠ることができる。世界を救ったということもあって、学校とかも休みにしてもらえるかも。杏菜も文句は言えないだろう。なんせ俺は魔王を討ち取った救世主なんだからな。
そうと分かればさっさとやっちまおう。俺はレイジネスを引き抜き、魔王の上に馬乗りになると、首に狙いを定めた。こんな面倒な冒険、さっさと終わらせてやる。次回作にご期待ください。
「ギャアアアアアアアアア!!」
「ますたーまいんどっ……!」
鼻っ柱に猛烈な頭突き。俺は五メートルくらい吹っ飛んだ。
「あっ……ご、ごめんなさい! 大丈夫、お兄さん!?」
透き通るような声が耳に入ってくる。気弱そうな、優しそうな、細い細い声。
「い、いきなりなにしやがる……」
「ごめんなさい! 怖い夢を見てたから……とっ、とにかく、本当にごめんなさい!! 怪我はない!?」
赤色の瞳をした好青年が倒れた俺に駆け寄り、手を差し出す。凄い謝ってくる。泣きそうな顔で謝ってくる。
「いや、もう大丈夫だから。ていうか、あんた……」
「あっ、自己紹介が遅れてごめんなさい! 余はその……魔王だよ! えっと、お兄さんは?」
名乗れるわきゃねぇだろっての。私はあなたを討伐する者です、なんて。「余は魔王だよ!」って紹介する律儀な魔王に。
もう意味わかんない。何だよこのシュールな状況は。




