第七十三睡 二枚重ね
この格好に対する、民どもの数ある表情を見てきた俺を、ポラリスさんが見ている。安定の真顔、真顔、アンド真顔。周りの騒ぎも聞こえないほどの気まずさ。死にたいね。
にらめっこのようにお互いに見つめ合うこと十数秒、無を貫いてきたポラリスさんのお顔に変化が見えた。朝顔の成長早送りビデオを見ているかのような、突然の変化だった。
僅かに口元が歪んだのだ。それも上方向に。かと思うとポラリスさんは後ろを見て二、三の咳払いをした。何ぞね何ぞね、何が起こっとる?
やがてブワッとこちらを見たポラリスさんは、再び真顔に切り替わっていた。そして苦々しい顔で口を開いた。
「あの、何であなた……そんな服を」
「言うな」
「えっ」
ポラリスさんが一歩後ろに退いた。
「今の“言うな”には二つの意味がある。一つは、この格好のことについてこれ以上の言及は許さないということ。もう一つは、俺がこんな格好をしていたことをアイリお嬢様や、俺と一緒にいた姉妹には言わないでほしいということ」
強い祈りを込めて、俺は人差し指と中指を順に立てて、相手に見せつけた。
「いや、私は別に言いふらすなんて一言も……」
「話が分かる人で良かったっす。もし言ったら、ポラリスさんの昨日の情けない姿、全部バラしちゃうんで悪しからず」
「!! い、いや、そんな脅迫しなくても、言うつもりってば……」
ほんの一瞬、焦りを見せたポラリスさん。ふむ、口止めには十分らしい。
「大丈夫っすよ。ポラリスさんのこと、信用してるんで。あくまで“言ったら”ですから。じゃあ、こんな一目につく所に長時間いるのもアレですし、俺は行きます。またどっかで会いましょう。えと……“西遊記”ポラリスさん」
「誰が西遊記やねんっ!! “漾瑩姫”や! 勝手に天竺行かすなアホ!!」
「えええっ?」
相手の横を通りすぎ様に別れの言葉を言った俺だったが、背後から聞こえてきたパーフェクトなツッコミに、わざとらしいリアクションをして振り返る。
「あ、そ、の、これ、は……」
しどろもどろのポラリスさん。どうやら彼女の発したツッコミで間違いないらしい。条件反射で出てしまったんだな。さっき俺の服を見たときだって、きっと笑ってたんだ。この人、お笑いとかそういうの、大好きなんだ。
にしても見事なツッコミだった。昔、母さんと一度だけ行った大阪の劇場を思い出す。そこで繰り広げられるコテコテな笑いに「ずっこけるの上手ねぇ。さすがプロだわ~」と、母さんは笑うのも忘れて感動していたものだ。あの人の天然はえげつないからな。昨日の関西弁を聞いてもしやと思ったが、どうやら俺の予想は当たっていたらしい。ポラリスさんもこういうボケとかに、悲しいかな、つい体が反応しちゃうんだ。
“漾瑩姫”と呼ばれるクールビーティーな人物は、あくまで見せかけ。言うなれば、鎧を二領、着込んでいるみたいなもんだな、この人は。
「なぁるほど、あなた、関西弁がネイティブなんすね」
「うっ……うるさい! 今のはそう、たまたまよ! いいから早く行きなさい!」
キョドってるキョドってる。こういう、普段は冷静な人がひょんなことから弱味を握られて焦りまくるギャップ、嫌いじゃない。
「じゃ、機会があればまた会いましょうね……“停滞期”ポラリスさん」
「滞んなや!! はよ行かんかいコスプレ野郎!! あ、違っ……行きなさい!!」
あの人、面白いな。




