第六睡 還ろうか、もう還ろうよ。
日はすっかり西に傾き、町全体をオレンジ色に照らしていた。さんざん見てきたはずの景色は、少し視点を変えただけで溜め息がもれるほどの絶景へと変わった。今ならあの夕日に手が届く気さえした。
「さて、間もなく裏山に着きますよ。降下しますのでしっかりと掴まっててくださいね」
まだ出発し始めたばかりなので、多少呆気にとられた。歩くのと飛ぶのとじゃこんなに違うのか……羽根ほしい。
「はいよ。って俺、身支度もなんにもしてないし、こんな格好だし、そもそも行く気ないんだけど。帰って寝たいんだけど」
「還りたいなら手を離してください」
「漢字自重しろよ。土じゃなくて家に還りたいの、俺は。
………ん? どっちだっけ?」
こうして俺は謎の天使と共に、裏山に到着した。腕時計もないし分かんないけど、たぶん家から3分くらいだ。学校までは徒歩15分。こりゃお得。毎朝お願いしたいくらいだ。ニュースになることは避けられないけどな。
夕方の山ってのは不気味だ。奥が見えないのに奥へ奥へと吸い込まれて、そのまま帰ってこられないのではないか、そんな感覚に陥った。
タラ子は華奢な体から想像も出来ないほどに強靭な足腰でスイスイと山道を進んでいく。一応、道はあるんだけどな。この上り坂はなかなか体に堪える。
「一本道とはいえ、ずいぶんと慣れた足取りだね。ここに来んのは初めてじゃないのかい?」
「…………」
聞こえなかったのだろうか、返答がない。しばらく歩くと、タラ子は急に右に曲がり、道なき草の道を突き進んでいった。これまた随分とアウトドアな天使さんだ。俺は体力の限界が近付きつつあるのを感じながら後を追う。
「着きましたよ。あれが“ピューエント”の入口です。と言ってもあなたには見えませんでしょうけど」
タラ子が指差した先は“俺にとっては”本当にただの空間だった。そこに俺たちそれぞれの世界を繋ぐ“ピューエント”があるらしいけど……
「さて、そんじゃ飛び込みましょうか」
「いやいや、見えないものに飛び込むのは怖いし、そんな得体も知れない道に入って迷ったりすんの嫌だし、そもそももう疲れて眠いから帰って寝たいし」
「分かりました。その三つを同時に解決いたしましょう」
タラ子はそう言って、右手をバッと前に出した。すると、先程は何もなかった空間内にだんだんと何かが浮かび上がってきた。
「天使は魔力を使うことで、他者にもピューエントを見せることができます。少しこれで見えるはずですよ」
「お、マジだ。アレが“ピューエント”の入り口か……」
魔力ってのは利便性に優れるんだな。出てきたのは、ドラ○もんのとおり○けフープを彷彿とさせる、全長1.5メートルほどの綺麗な円だった。縁の色はピンク色で、覗き込んでも先は全く見えず真っ暗だ。中に入れば奈落の底だよと言われても、充分に信じてしまうくらい。どこを見ても黒、黒、黒。
「あ、俺ちょっとお琴の稽古があるから……うおっ」
“ピューエント”に尋常じゃない拒絶反応を示した俺は、タラ子の手をバッと離し、踵を返してそそくさと帰ろうとする。そんな俺の首根っこを掴み、タラ子は穴の中に豪快に飛び込んだ。
やれやれ、やっぱり帰してはもらえねぇか。ここから俺、十諸 輿之助は、この謎の天使、タラ子の世界に連れていかれるわけだ。ははは、楽しみすぎて眠くなってきた。かえりてぇ。土にでもいいから、かえって寝てぇ。
それにしても……
●
「絆創膏!! まさかの絆創膏!! こんなの家にもありますよ!! まったく、どこまでも人をバカにして……。それにしても、本当に羽根を生やすなんて、まだ自分の目が信じられないです。そもそも、お兄ちゃんに二つの世界の未来がかかってるなんて、不安で仕方ないんですけど。信じて待つしかないんでしょうか? ていうか……」
●
「「舞台に行くまでが長すぎるわ」」