第五睡 十諸ミジンコくん、飛ぶ。
顔が綺麗になって元気100倍になった俺は、改めて本題に戻る。
「んじゃまあ自己紹介も終わったところで本題な。俺に世界を救え……だっけか?」
「えぇ、ぶっちゃけて言うと、あたし達の世界を魔王の手から救ってほしいんですね」
おっ、やっぱ魔王はいるんだな。ファンタジックになってきたじゃないの。
「ダメですよ!! 明らかに人選ミスでしょ! お兄ちゃんに世界を救えって、ミジンコに世界を救えって言ってるようなもんですよ!!」
妹よ、そういう比較は普通、前半も後半も内容を変えて行うものだ。今しがた君はミジンコの妹になったぞ。
「だいたい、俺がそんな面倒なことをやると思うか? 正直あんた、今の段階でもう諦めてるんじゃないの?」
「とんでもない。むしろ是が非でも救世主にしてやるという固い決心が芽生えたと言ってもいいくらいです。なにせ、世界を救うにはあなたのような強大な“無気力”を持った方が必要不可欠なんですから」
俺と妹は二人で顔を見合わせた。
「こりゃまた素っ頓狂なことを言うもんだね。無気力な時点でスタート地点にも立ててないじゃん。それに、俺は利己主義なもんでね。なにか俺にとてつもないメリットがないと、そう簡単に動かない。仮に動いたとして、なにかの間違いで魔王を倒しちゃったとしても、そこで英雄と崇められることになんの喜びも見出ださない。そもそも身体能力も並以下で金もない。魔王どころか最弱のモンスターにサンドバッグになっておっ死んじまう足手まといがオチだ」
「確かにあなたには“YESを選んだときのメリット”は、ほとんどないかもしれませんね。ですが“NOを選んだときのデメリット”ならあります」
タラ子が神妙な面持ちになる。先程とは一変、場の空気が引き締まる。
「へえ、断ったらどうなるっての?」
「端的に言いますと……あなたたちのいるこの世界も滅びます」
「えっ……」
杏菜が思わず声を出した。
「なっ……なんでですか!? アイリさんの世界とわたしたちの世界には、なんの関係もないじゃないですか!」
「ところがどっこい、そういうわけでもないんです。いいですか、ここ大事なのでよく聞いてくださいね。魔王はこの世界の存在を知っています。だからあたしたちの世界を滅ぼしたあと、じきにこちらの世界も支配しようとやってきます。ですが、世界を滅ぼすとなると長い準備期間が必要です。旅行で例えるなら、魔王はまだ荷物詰め段階にも入っていません。旅行先は決まりましたがスーツケースも買いに行けてない状態です。ですからまだ時間にはたっぷり余裕があります。あたし、見ての通りのんびり屋ですから、土壇場で急ぐとか嫌なんです。だから早めにあなたに声をかけにやってきた次第です」
「緊張感のない例だな……要は、魔王は二つの世界を支配したがってるけど、それが叶うのはまだまだ先の話ってわけね。でもさ、どうやってこの世界に来るっての?てかそもそも、あんたはどうやってここまで来られたの?」
俺が質問すると、タラ子は“面倒くせぇな”みたいな顔をした。いやここは大事な話なんだからもうちょっと頑張ってくれよ。
「……二つの世界は“ピューエント”という一本道のような物で繋がっています。その入り口は特殊な結界で隠されているため、普通の人には見えませんし使えません。あたしたち天使の一族だけがそれを見て、使うことができます。しかし、あたしたちの世界が滅べば結界は壊され、誰でも“ピューエント”を通ることができます。そうなれば誰でもこっちの世界に来ることが可能になってしまいます」
「なるほど。“ピューエント”とやらが二つの世界を繋ぐ“橋”のような役割を果たしてるわけだ。世界が滅んで結界が壊されれば、魔王は何の苦労もなくこっちに来られちまうってこと。そうなれば今の人類じゃ為すすべもなく、俺らの世界はジ・エンドってことか。ん、するってえと、この世界にもその“ピューエント”の穴は存在してるってこと?」
タラ子は小さく縦に首を振った。
「モチのロンです。あなたの学校の近くに裏山があるでしょ? あそこに“ピューエント”の穴はあります。あたしはそこからこの世界に来ました。歩くのも面倒なので飛んできたんですが、あなたの家を見付けた途端に疲れて眠くなっちゃって、それで……」
「居眠り運転ならぬ居眠り飛行で、不時着して俺とごっつんこ、てわけね」
だんだんと話が理解できてきた。要するに、タラ子の世界を救わないと、魔王に狙われている、“ピューエント”によって繋がれた俺たちの世界もヤバイってことか。しかもその穴が繋がってるのが俺の高校の裏山……なんとも信じられない話だが、この堅苦しい状況での台詞はどうにも信憑性がある。にしても魔王はどうやってこの世界の存在を……?
「……長話が過ぎましたね。そういうわけですから、さっそく裏山まで行きましょうか。例によって歩くの嫌なんで飛んでいきますよ。人目とかそんなの知ったことじゃないんで。しっかり掴まっててくださいね」
「ちょっ……ちょっと待ってくださいよ! まだまだ納得できないことが多すぎです! それに、そんな大事な役をお兄ちゃんにやらせるなんて……ってもうお兄ちゃん連れていかれてる~~~!!」
タラ子はいつの間にか俺の右手を取り、窓際に飛び出そうとしていた。白く細く、しかし柔らかく、そして温かい指が絡み付く。杏菜はそれを止めようと懸命に俺のもう片方の手を引っ張る。その手にはラケットを振りすぎてか、いくつかマメができていた。立派になったな杏菜。お兄ちゃんは嬉しいぞ。
美少女二人に引っ張り合いされる………うむ、悪くないシチュエーションだ。でも体ちぎれそうだからやめてほしい。
案の定、人間の力が天使であるタラ子に勝てるはずもなく、杏菜の手は呆気なく俺から離された。そして俺を連れて窓から勢いよくジャンプしたタラ子は、背中からバサリと羽根を広げた。タラ子の髪のように白く、タラ子の身長よりもはるかに大きく、とてつもなく美しかった。なんかの授業で見た天使の絵そのもので、ほぼイメージ通りのはずなのに、目が釘付けになる。本当に羽根出るんだ。こりゃビックリ仰天だ。でもまあ、いきなり見せられたから頭が追い付いていないせいか、思ったよりも感動はなかった。
タラ子は俺の手をしっかりと握りながら上空へと羽根を動かす。そして窓から上半身だけを出して悔しそうに俺たちに向かって何かを叫んでいる杏菜に顔だけを向けて、
「というわけでお兄さんはしばらくお借りします。この事はくれぐれも他言無用で。あと、急に土足で押し掛けたお詫びに、机の上にあなたの腕のかすり傷を治す物が入った小箱を置いておきましたので、それで治してください。ばいびー」
「昭和!! ってちょっと、まだ話は終わってませんよ! ちょっと!! おーーい!! お兄ちゃーーーん!!!」
懸命に俺の名を呼ぶ杏菜を背に、俺は上へ上へと導かれる。一応軽く手を振っておく。
「杏菜ー。こっちでなんかあったら頼むぞー。後はまあ、その……生きろー」
「別れが雑!! ちょっ……ちゃんと帰ってきてくださいね! 絶対ですよ!!」
俺はなんとも唐突に妹との別れを済ませたのであった。
“ピューエント”はスペイン語のPUENTEから来ています。意味は“架け橋”です。