第五十六睡 身代わり勇者
俺たちが聞いたのは、先ほど、子どもを抱き締めた時の嬉しそうなそれとは、まったく違うミーナの叫び声だった。
俺は姉のピンチに駆け出したヒーナの後を追いかける。前を走る少女の背中を見ていると、腹立たしいことに“あいつ”の姿が重ね合わされた。
「ひっ……ヒーナちゃん、勇者さん!!」
ミーナは捕らえられていた。それこそファンタジーの世界でしか見たことがないような、巨大な蜘蛛の巣によって。だがそこにいたのは彼女一人だった。
「逃げて! 二人とも、早く逃げて!!」
「落ち着けゴミーナ! 何があった!? あのガキはどうした!?」
「ヒーナちゃん……あの子は、あの女の子は……」
「コっちダよ~~!」
錯乱するミーナに必死に事情を聞こうとするヒーナ。姉妹二人の話に、不気味な声が差し込まれた。見ると、そこには四肢をダランとさせた先ほどの女の子が、マリオネットのようにカタカタと動いていた。いや……もうそれは、マリオネットになっていた。後ろにいる、今まで見たことがないほどに巨大な蜘蛛の化け物が放つ糸によって操られた、無様なマリオネットに。
「なっ……何だテメエ!? そのガキに何しやがった!!」
「ケハハハハ!! ナにモしチャいねぇヨ! そウ、最初かラ、コのガキは罠だっタンダよ! オマエらをオレの巣マでオビき寄せルためノな!」
見た目は完全に気色悪い蜘蛛だが、言葉を喋ってる辺りメダイオか。読みにくい。
「オレは糸を使っテ死体を自由二操るこトがでキる! ほラ、こンな風にナ!!」
糸にぶら下げられた女の子は、笑った。さっきまでと何ら変わらない、無邪気な笑顔。のはずなのに、俺は背筋が凍る思いだった。
「ケハッ! ケハハハハハ!! 驚イタか!? オマエラが今まデ見てキタこのガキは、オレに操らレタ、たダの死体だっタんダヨ!! コのガキはなァ、オマエらガ来るとっくの昔に、俺がぶっ殺シテやっタのさ! このバカ女は見事に引っ掛かッタってワケだ! にしテも、若くテ旨そウナお嬢ちゃんダナァ……」
「いや……」
蜘蛛が巣を伝って、ミーナにカサカサと忍び寄る。身動きの取れないミーナは、目に涙を浮かべている。
「やめろ!! ソイツに近寄んな!!」
ヒーナは弓を引き矢を放つが、頑丈な蜘蛛の体の前には全く通用しなかった。しかし、蜘蛛はそのまま動きを止め、ヒーナを睨んだ。
「何だオマエ、ジャマすんナら……オマエかラ死ネ!!」
「チッ……」
蜘蛛は巣から勢いよくジャンプすると、ヒーナに鋭い爪を向けた。予想外の動きに反応が遅れたヒーナは、その場から全く動けなかった。
間もなく、俺の腹に蜘蛛の爪が突き刺さった。ターゲットはヒーナだったはずなのに、どうして俺が大ダメージ? 答えは至って簡単だ。
「チ、チキン野郎、テメエ、何であーしを庇って……」
ヒーナの声は、か細かった。




