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BON~粒ぞろいたちの無気力あどべんちゃあ~  作者: 箒星 影
一度寝 堕ちてきた天使
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第四睡 あなたの顔を舐めて綺麗にしてあげます

 暫しの沈黙。それを突き破ったのは杏菜だった。


「ちょっと! ふざけるのも大概にしてくださいよ!! いきなり人の家に押し掛けてきて“私は天使です”なんて、そんなの信じられるわけないじゃないですか! お兄ちゃんもそう思うでしょ!?」


「いや全然」


「ですよね! やっぱりおかしいですよね……って、なして!? どうしておかしいと思わないんですか!?」


 俺の即答に杏菜は机をバンと叩いて突っ込む。何でちょっと東北訛り?


「いやだってさ……この人普通じゃないもん。確かに見た目は人間だけど、窓ガラスを割って傷一つないし、ここに来るときも凄い速度で突っ込んできたしさ。でもまあ天使なら納得だわ。羽根とか生やせたりするの?」


「まぁ一応。魔力使うし疲れるので必要なとき以外はやりませんけど」


「へぇ、魔力とかあるんだ。じゃあそこの窓ガラスも魔力で直したの?」


「えぇ、まあ。回復魔法くらいならこの世界で使っても大丈夫なので。物の修理における魔力の消費量なんて微々たるものですし」


「へぇ、凄いね」


 俺は面接官のように次々と少女との会話を進めていく。


「凄いね、じゃなくて! 何でそんなにポンポンポンポン受け入れられるんですか! わたしが間違ってるんですか!?」


「「おう(はい)」」


「デュオ!! だ、だってこんなのおかしいですよ! わたしは認めませんよ!!」


 杏菜は頑なに目の前に提示された事実を受け止めようとしない。いや、受け止められないんだ。普通そうだ。杏菜の言う通り、俺がおかしいんだ。今までアニメや漫画でもそういう展開を飽きるほど見てきたせいか、すんなり頭に入ってくる。やっぱり普段からの積み重ねってすごいやね。


「そんなに言うんだったら、わたしが納得できるような証拠を見せてくださいよ! それまではわたしはあなたのことを天使だなんて認められません!」


「うるさいですね……あなたがサイドアップだから悪いんでしょ」


「理不尽!! じゃ……じゃあこれ! これを治してください!」


 杏菜は腕をまくり、二の腕の部分のかすり傷を少女に見せた。


「わたしが昨日部活ですりむいてできた傷です! これを治してみてくださいよ! 回復魔法に使う魔力とやらは微々たるものなんでしょ!?」



「本題に入りますがね、あたしがここに来たのは、あなたに世界を救ってほしいからなんですよ」


「え……俺?」


「世界一きれいな無視!! てかそこそこ重要そうな内容をサラッと!!」


 少女は杏菜を華麗にスルーし、俺の方に向き直った。俺もあまりにもスルッと言われたから、相手が一瞬なにを言ってるか分からなかった。俺が世界を救う……?


「えっと、何を言ってるんだ? その……あの……」


「アイリです」


 少女アイリは再度、自己紹介をした。


 でもなぁ……会ったばかりの女を名前で呼ぶのは人見知りボッチ経験の長い俺にはちと難易度が高いなぁ。なにか適当なアダ名とかはないものか。この娘は俺と同じグータラ人間。グータラな……娘……グータラの……女………タラ……女……。


「えっと、何を言ってるんだ? タラ子?」


「うわ名乗った意味ねぇ……まあ呼び名なんてなんでもいいですが。そうですね、まずはお互いの呼び名を決めないと、です。そもそもあなたが本当にあたしが捜していた人物か、まだ分かりませんしね。一旦照合を行います」


 そういうと、少女……タラ子は、懐から小さなメモ帳のようなものを取り出して、何枚かページをめくって広げる。


「死んだ魚のような目、緑がかったカーキ色のボサボサとした死にかけの髪の毛、身長178cm、体重65kgと高身長でスタイルがいいにも関わらず死人……ゾンビのような猫背、死んでるファッションセンス、死ね……と。はい、適合率100%ですね」


「あ、100%なんだ。一個明らかに入ってちゃいけない項目があったけど。つか項目かどうかも謎だけど、少しの間違いもないんだ」


 タラ子は俺とメモ帳とにこまめに視線を移し、悲しいかなそれがピッタリと一致してしまったとき、少しだけ眉間にシワを寄せてノートを凝視した。これまであまり、というか全く顔に変化がなかったから、ちょっと新鮮だ。


「後はあなたの名前……なんですが、これはなんて読むんですかね? じゅっしょきょう……? じっしょこし……?」


 遂にこのときが来てしもうた。皆さん(誰かは知らないが)も既にお気付きの通り、俺は今まで皆さん(誰かは知らないが)に一度も名を名乗っていない。ていうかもうこのまま誰にも触れられなかったら名乗らないままでやり通そうと思ってたくらいだ。


 言うまでもないが、普通の名前であればそんな面倒なことをする必要はない。今まで隠してきたのは、この名前が今の俺を作り上げた全ての元凶の一つであるからに他ならない。この名前を言うと、たいていの人は吹き出す。そしていじる。だから俺は名乗らなくてもいいよう、できるだけ人と関わるのを避けてきた。子供の頃から持ち歩いてきた大事な大事な名前をイジられ、俺は軽い人間不信に陥った。


 そんなことでと思われるかもしれないが、名前イジリは結構心に来るものだ。特に初対面のそこそこ常識をもった人が俺の名前を聞いて唖然とし、その後で必死に笑わないように堪えているのを見ると、なぜだか尋常じゃない罪悪感が襲いかかる。だから俺は自らの名前を発表することにただならぬ抵抗を感じているのである。


 だが。


「ん、どうしました? あなたの名前、教えてくださいよ」


 目の前のタラ子は表情にほとんど変化のないポーカーフェイスのミステリアスガール。今だって既に左手に持ったメモ帳よりも右手に持ったおにぎりに意識を集中させており、もはや俺の名前などには一切の興味を示していないと言ってもいい。ついにはメモ帳を置き、二つ目のおにぎりの封をゆっくりと破り始めた。これならいけるかもしれない。


「……先に聞いておくけどさ。絶対に笑ったり、からかったりしないか?」


 タラ子は封を開ける手を止め、なに言ってんのお前くたばれよ、みたいな顔でこちらを見てきたくたばりたくない。


 それからタラ子はやれやれといった感じに深い深い溜め息をつく。向かい側にいた俺に上品な甘い香りが漂って来て、頭が少しボーッとした。


「……あのですね。あたしが人の名前を聞いて笑い、あまつさえそれをバカにするなんて低俗な真似をするお子ちゃまに見えますか?」


 なんかもうフラグの匂いしかしねぇんだけど。


「そうか、そうだよな。初対面の奴の名前を笑うなんて、あってはならないことだもんな。じゃあ言うぞ? 本当に笑わないな?」


「しつこいですね……心配しなくても、あなたの名前にそんなに興味ありませんし。一応、社交辞令的に聞いてるだけですし。どんな名前でも聞き流してこの美味しいおにぎりを食べておくんで安心してください」


 と言ってタラ子はパクリと二つ目のおにぎりに噛みつく。それはそれで複雑な気持ちだけど……まあいい。俺は覚悟を決めて、小さく深呼吸をしたあとで口を開く。




「俺の名前は………十諸(とうもろ) 輿ノ助(こしのすけ)だ」




「ぶほっ!!!」



 俺の名前に対するリアクションは、タラ子の口から真っ直ぐ顔面に飛んできた無数の米粒だった。ライスシャワーを浴びるにはまだ若いんだけどな。


「ぷくくくくくく……とうもろこし……と、う、も、ろ、こ、し………ぷくくくくくくく……」


 笑い方変わってるね。


「あちゃあ……さすがのアイリさんでも我慢できませんでしたね! だいじょうぶですよ! お兄ちゃんの名前に踏み入って無事だった人はいませんから!」


「人の名前を呪いの館みたいに言うな。てかそれ、俺にとっては全然だいじょばないし」


 そんなことを言っている間にも、タラ子は体を震わせ机に突っ伏して笑っている。


なんだ……ちゃんと笑えるじゃないか、この子。


「じゃないよ。なに“内気で誰とも話せない女の子の雰囲気に主人公が惹かれて話しかけ続けた結果、だんだんと二人の距離が縮まって最終的に女の子の笑顔を見ることができた”ときみたいなナレーションさせてくれてんだよ。約束が違うじゃねぇかおうコラ」


「はあ……はあ……やっと収まりました。だってずるいですよ、まさか名前にそのままトウモロコシが入ってると思わないじゃないですか。もっとキラキラしたネームかと思ったのに……」


「キラキラネームの方がまだマシだわボケタレ」


 とまあ結局、屈辱的な自己紹介の末路は、俺の連勝記録がただ更新されただけだった。



「んじゃまあ、改めてよろしくお願いしますね。杏菜さんと………ポップ」


「ポップコーンて。新しいいじり方だね。でもまぁ最初はコーンの王道からだよね。これからこういうやりとりが続きそうな気がするんだけど。つかこの米どうするの?顔がベタベタするんだが。責任とってくれるんだろうねぇ?」


「あ、そのことですか。では……」


 俺がタラ子の吐き出した米まみれの自分の顔を指差すと、タラ子は首を伸ばし、俺の顔の目の前までやってきた。そこでもなお止まることなく、目を瞑り、俺の顔にアダ名とは裏腹に薄く淡いピンク色をした唇を近付けてくる。またしても甘い吐息が鼻を襲う。長い睫毛(まつげ)に艶やかな唇など、さっきまでは感じられなかったタラ子の放つ色気に、間近で見たときに気付いてしまった。思わず魅入ってしまいそうになった俺は、危機感を覚えてタラ子から急いで距離を取る。


「な……なにしてんの、あんた」


「え? いや、なにって……お米が気持ち悪いんでしょ? 舐めとって差し上げましょうと」


 俺は心臓がドキリとするのを感じた。同時にタラ子の唇に注目する。これはあれか? ラブコメでよくある「お米ついてるよダーリン(はあと)……はい、取れた!(パクッ)」「ん? あ、あぁ……あり、がとう……(ウブウブ)」っていう甘酸っぱい展開か? そんなオイシイ体験が……しかも、直接舐めとるということは更に過激な……いやしかし、さすがにそれを現実世界でやるのは恥ずかしい。杏菜も見てるし。


 いやいやしかし、これは俺の顔を綺麗にしなければならないというタラ子の償いなんだ。今やらなければタラ子は一生罪の十字架を背負って生きていくことにもなりかねん。そうなったら俺は責任が取れるのか? いや取れない。取れるわけがない。ここはキッチリ償いをしてもらい、タラ子には明日からなんの後悔もない人生を生きてもらうべきだ。そうに違いない。


 覚悟を決めた俺は同じく目を瞑る。


「相分かった。責任を持って舐めとってくれぃ」


「は? 冗談に決まってるじゃないですか。普通に考えてあり得ないでしょ、初対面ですし、あなたですし。はい、ティッシュあげますからさっさと拭き取ってくださいよ。それにしても本当に舐めとってくれ、なんて激しいおねだりをするなんて……エッチなんだからぁ」


 悪しき天使を地獄に落とせば、我に待つのは天か地か。


 見事にはめられた。今まで味わったことのない甘酸っぱい経験への期待に胸が踊り、俺としたことが冷静さを欠いちまったみたいだ。後悔に苦しむ俺に、タラ子の勝ち誇ったような真顔ドヤ顔が炸裂。俺の脳内に敗北のゴングがグワングワンと鳴り響く。隣にいる杏菜が凄い目で見てくる。下水道の中で他のゴミ達にいじめられてるゴミを見るような目で俺を見てくる。もし俺がテレパシー能力を使えるのであれば真っ先に聞こえてくるだろう……「どうしてお兄たそは呼吸をしているの?」と。


 俺はタラ子からもらったティッシュで米を一粒一粒とっていく。俺の部屋のティッシュなんですけどね。てか「あなたですし」てなんぞや。かんっぜんに脈なっしんぐナシコ先生やがな。おっと、世代バレしそうなネタは控えよう。


 この女とはお色気展開は期待できそうにない。俺は今一度ハニートラップに乗らないという決意を固め直した。



タラ子の発音は「タバコ」ではなく「長野」と一緒です。


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