第四十二睡 圧倒
槍を構えたわたしの様子を見ても、リルさんはただただ笑顔でした。
「あはっ! いいね、その顔! 心優しく大人しいキミの、そんな敵意に満ちた顔を見られたなら、ボクもお友達を傷付けた甲斐があったってものだよ! ただこれ以上、ボクにオイタはしない方が身のため───」
喋り続けるリルさんを無視して、わたしは光り続ける槍を構えて走り出しました。そのまま一気に間合いに入り、それを振りかぶりました。
「っ───!」
わたしが槍を振り降ろした時、リルさんは間一髪でそれを避け、わたしから距離を取りました。おかしい……攻撃を外して隙だらけのわたしから、何もせずに離れるだけなんて……。
「おっと、危ないなぁ。相手が喋ってる途中で何の躊躇もなく刺しにくるなんて、可愛い顔して結構乱暴なんだねぇ。小さい頃に教わらなかった? “人の話は最後まで聞きましょう”って」
「言ったはずです。わたしはあなたを倒す。漢ちゃんを泣かせた相手の話なんて……聞く価値ありません!!」
わたしは地面を蹴って駆け出し、今度は振りかぶる動作をせず、リルさんの腹を目掛けて真っ直ぐに槍を突き出しました。
「りゃあああああああ!!!」
「がっ………!!」
はっきりとした手応えがありました。人を刺したのなんて、無論初めてです。ぶるりと鳥肌が立ちました。想像はしていましたが、まったくもって不快な感触です。それがどんなに憎ましい相手だとしても、刺していい気分にはなりません。
槍の光が収まり、目の前がハッキリ見えてきました。わたしの槍は、リルさんの腹部にしっかりと突き刺さっていました。わたしが槍を引き抜くと、リルさんはその場に膝をつきました。その表情には、これまでずっと貼り付いていた“余裕”の二文字は感じられませんでした。
「ごほっ……キ、キミ、本当に人間なの? 反則でしょ、そのスピードとパワー……。でもね、ボクも四天王としてのプライドが……」
「へえ、この人数相手にやる気ッスか? 面白い冗談ッスね。でも、これ以上こっちの世界で暴れられたら、さすがのオレとルイネも見逃せないッスよ」
さっきの男性と女の子も、わたしの隣に並んでリルさんを見据えています。リルさんはそれを見て悔しそうに下唇を噛んで羽根を広げ、上空に飛び立ちました。そしてわたしの方を見て、
「……分かった、分かったよ。人間の分際でボクに牙を向いた勇気を賞して、今日はボクの負けを認めてあげる。名前、聞いとこっか。恥ずかしいけど一応、魔王様に報告しないといけないからね」
「十諸……十諸 杏菜です」
「十諸ぉ? また変わった名前してるね。まあどうでもいいけど。じゃあね、杏菜ちゃん! 今回はキミの勝ちだから、ご褒美に街の人を皆、元に戻してあげるよ! ボクと会って、石にされてたっていう記憶も消しておいてあげる! ただ、キミの二人のお友達はボクと長いこと関わりすぎちゃったから、記憶は簡単には消えないと思うけどね! 特にその口の悪い女の方は結構ハデにボコボコにしちゃったし、その小さい女の子にでも治してもらった方がいいんじゃないかなぁ? あっ、そうそう、最後にもう一度、ボクの名前を言っておくね。リル=カラネラ。この名前をもう二度と聞かなくていいように、せいぜい得意の祈りでも捧げておくといいよ!」
リルさんは、あたかも傷など負っていないかのように、喋るだけ喋って黒い翼をはためかせ、猛スピードで夕空の彼方へと消えていきました。
「ま、待って!」
後を追おうとするわたしは、男性に腕を掴まれバランスを崩しました。
「待つのはアナタの方ッスよ。彼女を追う前に、やることがあるんじゃないッスか?」
「そうだ、漢ちゃんが!!」
「ひっ……もう治したです……」
わたしが漢ちゃんの方をバッと振り向くと、いつの間にか漢ちゃんの傍に来ていた女の子が初めて喋りました。ビクビクと震えていた上、壊滅的に声が小さかったので何を言ってるか分かりませんでしたが、驚いたことに、漢ちゃんの顔の傷はまったく元通りになっていました。
今の短時間でどうやって治せたのか、気になったわたしは漢ちゃんの顔をじっくりと見ました。そして女の子に視線を移します。この子、一体どうやってこの短時間で……?
「漢ちゃん……良かった……あの、ありがとうございました!」
わたしは自分よりもだいぶ幼い女の子に頭を下げました。
「ま、まだ意識を失っていらっしゃるですが、そのうち目を覚ますと思うです。るいね、いっぱいいっぱい頑張ったです。だから、だから殺さないでくださいですっ……!」
「いや別に殺しゃしませんよ!」
女の子はそれに対して、まるでカツアゲでもされているかのような顔をして応答しました。
「石にされてた皆さんも、元に戻り始めてるみたいッス。お友達以外に外傷を負った方はいないようッスね。おっと、そちらの男の子も目を覚ましたみたいッスよ」
男性が指差した先には、石化が解け、起き上がって目を擦る俊くんの姿がありました。わたしはそんな俊くんに思わず抱きついていました。
「俊くん! 元に戻ったんですね!!」
「あれ? 俺、確かリルとかいう女に……杏菜、俺、生きてるのか? てか何で抱きついてんの? てかあんたら誰? てかあのサキュバス女はどこ? てか幹切は無事なのか?」
俊くんは状況が分からないらしく、周りをキョロキョロ見渡しています。芋づる式に質問が飛び出してきています。てかてかてかてか、まるで……いや、こんなしょうもないことを言っている状況ではありません。わたしは言いたかったことをグッと堪えました。
「てかてかうるさいッスね。ハゲ頭ッスかあなたは」
「何で言っちゃうんですかぁっ!!」
色々な感情が入りまじった叫び声を、わたしは男性に浴びせました。
「え……? あーっと……とりあえず、ここじゃ落ち着かないッスから、どっかに集まってお話ししませんッスかね? 周りの皆さんは意識を取り戻しつつあるとはいえ記憶がないんで、ここじゃあ話もできないッス。オレもあまり見られるの嫌なんで。ルイネ、そちらの女性、運べるッスか?」
「も、問題ありませんです。るいね、がんばるです……!」
ルイネと呼ばれた女の子は、その小さい体のどこにそんな力があるのかと問いたくなるほど軽々と漢ちゃんを担ぎました。
「じゃあ、わたしの家に来てください。あなた方には聞きたいことが山ほどあるんです。俊くんも来てくれますか?」
「……オッケ。聞きたいことが大量なのは俺も一緒だし」
こうして、わたしは唐突に、四人の客人を家に招き入れることになったのでした。




