第四十睡 夢魔の接吻
俊くんはいつもと変わらぬ様子で、淡々とわたし達の元へ近寄ってきました。
「俊くん、とうして……」
「いやな、皆と一緒に学校に避難してきたら、急に腹痛くなってさ、トイレに籠ってたら……俺だけ助かった」
ずっこけたくなりました。俊くんらしいというか何というか……。でも、この三人が揃えば怖いものなしです! 俊くんの活躍で、リルさんも倒せたことですし!
倒せたん……ですよね? わたしは未だにメラメラと燃え続けている炎をチラリと見ました。いくら油断していたとはいえ、こんなに呆気なく……。
「ボケ俊、アンタ真顔で結構恐ろしいことすんのな……」
「俺だって相手が普通の人間だったらこんなことしない。こうでもしねぇとヤバいと思ったから、少し乱暴な手段をとらせてもらっただけだ」
そう、さっき向き合っていただけで分かりました。リルさんは――――強い。だからこそ、どうにもスッキリしません。心の中に決して無視できない蟠りの存在をハッキリ認識しているわたしは、釈然としない、むず痒い気持ちに襲われました。
しかし、
「にしても見直したぜ! ここぞって時にカッコいいとこ見せるなんて、さすが、杏菜が惚れた男だな!」
「え……?」
「わーーー!! わーーーー!!!」
わたしは取り乱し、全速力で漢ちゃんの口を塞ぎましたが、時すでに遅し。全て伝わってしまいました。心臓が張り裂けそうな思いで俊くんを見ます。
「うん、いや、その……お前ら、もう遅いし帰った方が良いぞ。俺はこいつがキチンと黒こげになってるのを確認してから、火の始末して帰るし。こいつを倒したんだ。じきに石になった奴等も元に戻るだろ」
あれ? ちょっと焦ってる? ほんの一瞬、こちらから顔を背ける前の俊くんの顔がほんのり赤く見えたのは、昨日と同じく町を照らす、綺麗な夕焼けの仕業でしょうか。
「し、俊くん! あのですね……改めて、わたしからしっかり気持ちを伝えたいので、終わったら、その……校門の前に来てください!」
わたしは精一杯の勇気を振り絞り、俊くんに頭を下げました。待っている時間が永遠に感じられました。
「ん、分かった」
「絶対来いよな! 逃げんじゃねぇぞ!!」
そんな決闘みたいに……。
わたしと漢ちゃんはグラウンドに俊くんを残し、歩き始めました。
「もうっ、信じられないです! 漢ちゃん……何で言っちゃうんですか!」
わたしはあからさまにキツい言い方で、漢ちゃんに怒りを露にします。
「あははっ、ゴメンゴメン! ただ、アタシもさすがに歯痒かったからさ! まっ、ボケ俊のあの反応は脈アリだろ! 先に言っとくわ、おめっとさん!」
「そんな、わたしは自分で……」
「ぐっ……があ……あああああああ!!」
「え………」
俊くんの苦しそうな声が聞こえました。後ろを向くと、信じられない光景が広がっていました。
先ほど燃え尽きたはずのリルさんは、服こそ多少は焼けていますが、ほぼ無傷に等しい状態でした。そして、再び宙に浮き、俊くんを力一杯に抱き締めていました。
「杏菜……幹切……逃げ……ぐああああああ!!!」
俊くんの叫び声が響き渡ります。
「あの野郎……! おいテメエ! 何で生きてやがる!!」
漢ちゃんはすぐさま二人のいるところに向かっていきました。そんな漢ちゃんに凍えるような冷たい視線を送ったあと、リルさんはすぐにニコッと微笑みました。
「何でって……言ったでしょ? ボクは魔王様にお仕えする四天王の一人。こんなちっぽけな攻撃で倒せると思ったら大間違いなんだよ! ただ、ボクのお気に入りの服を焦がされたのは、ちょっと腹が立つけどね」
「ちっ……くそが! そいつを離せ!」
「離したら落ちちゃうよぉ? うーん……別にこのまま抱き締め続けて、全身の骨をバキバキに折って殺してあげてもいいんだけど、それじゃあ面白くないなぁ……」
リルさんは、今度はわたしの方に目を向けました。気に入ったオモチャを見付けたような、狂気……いえ、狂喜に満ちた顔でした。ゾクリと背筋が凍ります。
「炎の中から聞こえたんだけど……キミ、この男の子のこと好きなんでしょ? 確かにカッコいいもんね! じゃあ今から、キミにとって一番辛いこと、しちゃおっかなぁ……!」
舌なめずりをするリルさん。わたしは彼女がしようとしていることの、全てを理解しました。
「嘘……やめてっ!!!」
「んっ……」
わたしは咄嗟に走り出しましたが、間に合いませんでした。リルさんは俊くんの顔に左手を添えると、目を閉じてゆっくりと顔を近付け、口付けを交わしました。
「ちゅ……あむ……はぁ……」
リルさんは俊くんの唇を貪り続け、抵抗も許しません。いやらしい水音が鳴り響き、俊くんの体が爪先からだんだんと石化していきます。
「俊……く……」
わたしは、見ているだけしかできない。ゆっくり、ゆっくりと、大事な人が汚されていく。わたしには、何も、何も、何も……できやしない。
「いや……いやああああああああああ!!!」
わたしはその場に座って泣き崩れました。見ていられなかったのです。目の前で起こっている光景が。
ゴトンと音がしました。完全に石になった俊くんは、用なしと言わんばかりに地面に捨てられていました。その顔は、これまで見た人たちの苦しそうな表情とは違い、どこか悲しげでした。
「あ……ああ……しゅん……くん……」
歩く力も、立ち上がる力も出ないわたしは、地べたを這いつくばって俊くんに近付き、手を伸ばしました。その時、わたしの目の前に降り立ったリルさんは、わたしが伸ばした手を思い切り踏みつけました。
「ああああああああ!!!」
とんでもない痛みを感じたわたしは喉がはち切れんばかりに叫びました。
「ごちそーさま! いやあ、なかなかに美味しかったよ、キミの惚れた男の子! 俊くんには、他の人とは違う特別な方法で、じっくりじっくり、石になってもらいましたぁ!」
「痛……痛い………痛い!!」
一度収まりかけた涙が、痛みでまたしても溢れてきました。
「そういえば、キスしたときにやけにビックリしてたけど、もしかして童貞くんだったのかな? あ、これからキミがファーストキスを奪っちゃって、そこからどんどん発展して……みたいな、そんなロマンチック展開だった? ごめんごめん、泣かないでよ! どうせキミもすぐに石になってもら───がっ!!」
リルさんは突然、わたしの目の前から吹っ飛んでいきました。泣きながら顔を上げると、今まで見たこともないような顔をした漢ちゃんが、拳を握りしめて立っていました。その顔は単なる怒りだけではなく、悲しみや切なさが混じり合った、なんとも複雑な表情でした。
「はあ……はあ……やっとその腹立つ顔面に一発入れられたぜ、クソビッチが。アタシの親友に涙流させやがったアンタを、アタシは絶対に許さねえ。楽に死ねると思うなよ」




