第三睡 カリカリネバネバポーリポリ
〈タスケテ〉
〈タスケテ〉
〈ワタシヲ〉
〈タスケテ〉
〈ハヤク〉
〈ハヤク〉
〈ハヤクワタシヲ〉
〈タ ス ケ テ〉
「……ちゃん! お兄ちゃん!! 起きてください!!」
「………ん……」
聞きなれた声に何度も呼ばれ、俺は二度寝から目覚めた。
「なんだ……今の……?」
「え? どうしたんですか、お兄ちゃん?」
目をこすった俺の顔をキョトンとして覗き込んできたのは、妹の杏菜だった。
兄バカと思われるかもしれないが、杏菜はまさに俺とは対照的、完璧な人間だ。容姿端麗、頭脳明晰、運動万能、性格もよく真面目で、両親のいない間には家事全般を進んでしてくれている、親孝行のしっかり者。中学校でもなんと生徒会長と、この夏からバドミントン部の部長も努めているために、生徒からの信頼も厚く男子からはモテモテ、女子からは憧れの的。休日も部活動や塾、家庭学習などで有意義に時間を使い、ゲームやアニメなどにはほとんど手を出さない。
ワイと1%もカスってへんがな。
それもあってか世間からは同じ名字がついていることに首をかしげられる始末。しかし、とうの本人は俺のことを異様に気にかけてきて、俺の部屋の掃除も定期的にしてくれたりご飯を作ってくれたりなんだり。兄ながら本当に立派な妹だと思う。どうしてこうも兄妹間にスペック差が出来てしまったのだろうか、と聞かれると、現段階では口を閉ざすしかない。
たぶん、俺の時に高スペックを与え忘れた神様が「じゃあ妹を超絶にできる奴にしてプラマイゼロにしてやるぜシャケナベイベー」といった感じで妹に詰め込めるだけ詰め込んだんじゃないかな。忘れんなよ神様。
容姿も全然違うしな。茶色のサラッサラな髪を左側でサイドアップにしている。茶色の時点で俺と違うんだけどな。目も微塵の淀みもなく、キラキラと明るい未来を見据えた真っ直ぐな目。容姿もスペックも違うんならば、そりゃ兄妹関係を疑われるわな。俺だって昔は……おっと、年をとると過去の栄光を語りたがっていけねぇや。
「ちょっとお兄ちゃん! 休みだからっていつまで寝てるんですか!? ていうか何で床で寝てるんですか!?」
「うるせぇなぁ……もうちょっと小さい声で話してくれ。寝不足でイライラしてんだよなぁ」
「“寝不足でイライラしてんだよなぁ”!?」
杏菜が絶句する。それもそのはず。現在時刻は昼間の1時。やったぜ、あれから15時間睡眠達成だ。
「俺にも何と言っていいやらだけど、簡単に言うとだな、そこの奴が強引に俺の寝床を……ってあれ?」
「誰もいないじゃないですか! はぐらかさないでください!」
俺は昨日の夜、あの女が寝ていたベッドを指差す。しかしそこには投げ出された布団だけが忽然と残っていた。
「はぐらかしてなんかいねぇよ。昨日お前が部活動でいない間に、変な白髪セーラー服の女が俺の部屋に飛び込んできてさ。それで窓が割れて……」
俺は続いて窓を指差す。そう、俺は本当に窓を指差していた。床に散乱していた破片は、全てその枠の中におさまっており、ヒビ一つ入ってない。
「……? 窓なんか割れてないですよ。お兄ちゃん、夢でも見てたんじゃないですか?」
「夢……いや、そんなはずはないよ。だって昨日一度、目が覚めたとき、俺はその女がいるのをしっかり確認してから寝たんだぞ?その時には確かに……」
「お兄ちゃんなら夢の中でもう一回寝るとか、やりかねないじゃないですか!」
「そりゃまあ確かにごもっともだ」
話は妙な形で収束した。そうだな、そんな話、あるわけないもんな。二次元にのめりこむあまり、あんなリアルな夢を見るなんて……そろそろ末期だな。
そっか……夢だったのか。ちょっと残念だけどな。
「ところで杏菜、一つ気になってることがあるんだけど」
「え? なんですか突然?」
杏菜が首をこてんとかたむける、サイドアップがふわりと揺れた。
「お前さ、どうやって俺の部屋に入ってきたの?」
「……寝ぼけてるんですかお兄ちゃん? そんなの鍵が開いてたからに決まって……あり?」
「ただいまでーす。いやぁ……大量大量。やっぱりこの世界の食べ物は美味しそうなものばっかりですねぇ。おにぎり五個も買っちゃいました。あっ、寝床を貸してくださったお礼にあなたにもお昼ご飯を買ってきましたよ。はい、糠漬けと梅干しと納豆です」
「うわああああああ!! お、お兄ちゃん!! な、ななな何なんですかこの人! 凄いナチュラルに入ってきましたよ! “ただいま”って言いましたよ!! てか買ってきたものたちの食い合わせ悪そっ!!」
杏菜が事の違和感に気付いたとき、キイとドアが開く音がしたと思うと、昨日の少女が堂々と入ってくる。杏菜は飛び上がり、咄嗟に俺にしがみついてきた。
「おや“お兄ちゃん”ということは……この方の妹さんですか。初めまして、昨日あなたのお兄さんと一夜を過ごしました、泥棒猫です」
「ほふぉおおおおああああああ!? ちょ、それ、それ本当なんですか!?」
杏菜が顔を真っ赤にして俺に聞いてくる。ウブな奴め。ほふぉおおおあああって。
「話をややこしくすんな。つかやっぱり夢じゃなかったじゃん。俺の言った通りだろ、杏菜?」
「ということはこの人がさっきお兄ちゃんが話してた……ていうか何でそんなに冷静なんですか!? 早く追い払ってくださいよ!! 不法侵入ですよ!!」
杏菜に背中を押され、俺は少女の目の前にやってきた。頭をポリポリと掻くと、俺は近くにあったサイフを手に取る。
「糠漬けと梅干しと納豆、いくらだった? その分の金、返すわ。つか日本の金とか持ってるんだな」
「ああ、大丈夫ですよ。大したことない額ですから」
「いや俺、基本的に他人に借りとか作るのが大っ嫌いでさ。それだけは何があってもしないようにしてるんだよ。だから払わせてくれよ。」
「……梅干し150円、納豆150円、糠漬け6700円です」
「糠漬けプレミアム!! じゃなくて! なんで普通に会話してるんですか!? 絶対に危ないですよ、その人! 警察に通報しましょうよ!」
俺は少女に7000円を渡すと、食事を受け取る。そして壁に立て掛けてあった木の机を引っ張り出し、四本脚を伸ばしてそれを設置し、ゆっくり腰掛けた。
「まあ待て杏菜。この子には聞きたいことが山ほどあるんだ。お前も座って話を聞いてけよ」
「っ~~~…………分かりましたよ、もうっ! 納得いかなかったら即警察ですからね!」
杏菜は腑におちなさそうだったが、渋々俺の隣に腰をおろしてくれた。
「あんたも座ってくれるか? もうたっぷり寝ただろ?」
「……了解です。でも長話も面倒なので手短にお願いします」
少女は俺たちの向かい側に胡座をかいて座った。ちょくちょく行儀悪いんだよなこの娘。
「さてと、んじゃまあ単刀直入に聞くけど……あんた一体何者なの?」
質問した後で、俺は梅干し一粒をポイと口の中に入れて口を尖らせる。対して少女は5つ並んだおにぎりのうちの一つ目の封を開け、パクリと口に含んだ。緊張感もへったくれもあったもんじゃない。
やがて一口目を飲み込んだ少女は、小さく息を吸って答えた。
「あたしの名前はアイリ。アイリ=クルディアーナ……天使です」