第三十五睡 ゲームオーバー
何かの間違いじゃないか。ひょっとして俺が今しがた導き出した仮説は間違っているのではないか。すがるようにそう信じた俺は、ショーケースを更に調べようと、ガラスにめり込みそうなほど顔をくっつけて中を覗いた。
その時だった。
ズン。
どこからか、そんな音が聞こえた。直後、俺の見ていたガラスに、ビチャリと何かが付着した。赤く鮮やかな色をした液体が、俺の視界を支配した。
「あ? 何だよこの液体。またチモドキソウか? もうそのネタは飽き────」
視界がぼやけ、歪む。立っていられなくなった俺は、ショーケースにふらふらと倒れ込んだ。ったく、疲れすぎだな。立ちくらみなんて、今までなったことないぞ。俺は後頭部をポリポリと掻いた。
「え……?」
ぬめりとした気持ち悪い感覚が右手から伝わった。俺は恐る恐るそれを見た。
真っ赤な右手が、ぼやけた視界の中でプルプルと痙攣している。俺の手、だよな?頭がフラフラして思考が働かない。今度は右手を頭頂部に移動させる。そこで俺は全てに気付いた。
「参ったな、こりゃ。勘弁……してくれよ……」
俺の頭は真ん中でパックリと割れていた。そこから血が噴き出しているらしい。そこで俺はようやく体をひねって後ろを見た。何者かによって、血に染まったオノが握られていた。いや……何者か、なんて回りくどい言い方はやめよう。もう大体予想はついてる。俺はオノが握られた相手の右手から、ドンドンと視線を上に移していく。
紺色のセーラー服、虚ろな目、そして白い髪。極めつけは、人の頭を割った直後とは思えないほどの冷静すぎる無表情。その全てがいつも通りだった。
「どうして、だよ……タラ……子……!?」
その名を呼ぶのが辛かった。今まで何度も呼んできたはずなのに、それなのに、涙が出そうになるほど、口に出すのが苦しかった。
「どうして……それは、あたしがあなたの頭を割ったことへの疑問ですか? それとも、その“ケースの中に入っている方達”のことを聞いているのですか?」
タラ子が普段と何ら変わらぬ落ち着いた声で聞き返した。そして、頭からダラダラと血を流している俺の顔と同じ高さまで腰を落として、俺の目を見つめながら口を開いた。
「そんなの、聞かなくたって分かるでしょう? みんな、あたしが殺したんですよ」
俺の中にあった何かが音を立ててガラガラと崩れていくような気がした。
「ふざ、けんな……! てめえはっ!!」
俺は残された力を振り絞って、目の前にいるタラ子に血だらけの右手を伸ばす。が、タラ子は素早く立ち上がり数歩後ろに下がったため、俺の手は空を切っただけだった。
「やれやれ、まさか一発で数字が当てられるとは、ね。これにはさすがのあたしもビックリですよ。そんな強運の持ち主であるあなたに敬意を表して、最期は楽に逝かせてあげます」
タラ子は再び、そのオノを高く高く振りかぶった。
「命乞いなんざ……するつもりはねぇよ。でもなタラ子、一つだけ言わせくれよ。俺はお前に口では生意気ばかり言ってたけど、だけど……お前を心から信じて……」
「冥土の土産に教えて差し上げますね。“1200”というのは、あたしが今まで殺してきた人達の数です。ですが、今からあなたが加わりますから、1増えますね。死ぬのは辛いでしょうが、ご心配なく。あなたも今までの犠牲者さんと同じく、あの綺麗なショーケースの中に入れて、大切に保管してあげますから。なかなか楽しかったですよ。何も知らないあなたとの……“ちゃんちゃらおかしい大冒険”」
「くそ……くそがああああああ!!!」
タラ子が勢いよく振り降ろした二発目が、脳天にズブリと突き刺さる。
あぁ……どうしようもない人生だったけど、今思うと寂しいもんだな。それに、色々と後悔も残る。
ブッキーの忠告、ちゃんと聞いておけば良かった。
余計な寄り道しないで、さっさと部屋に戻って寝れば良かった。
杏菜に、ちゃんと別れの言葉を言えば良かった。
あんだけクールぶってて、最期には絶叫しながら、絶対の信頼を置いていた仲間に殺される。いや、仲間って思ってたのは俺だけか。
こんな惨めな死に方ってあるかよ。
俺は何も残せなかった。こんな俺を優しく、温かく受け入れてくれた杏菜に、何もしてやれなかった。
後悔しても、もう遅いんだけどな。
ゆっくり、ゆっくりと、何も考えられなくなっていく。これが死ってやつなのか。まったく、こんなところで終わりなんて……そんなの………
全てが闇に染まった。
視界も、意識も、何もかも。




