第三十二睡 二つの忠告
「どうしたんだい?」
ブッキーが目を真ん丸くして、放心している俺の顔を覗き込んでくる。
「あ、いや、何でもねぇよ」
「変なの……あ! そうそう、私としたことが、自分だけ名乗って君の名前を聞くのを忘れていたね! 申し訳ない!」
「あぁ、俺の名前は佐藤 太郎って言うんだ。一応、勇者やらしてもらってる。こっちこそ、名乗ってもらっといて失礼だったな」
なんの躊躇もなく偽名を教える。今はタラ子もいないし、今くらい、この部屋でくらいは普通の男の子でいたい。今日び、この名前が普通であるかは疑わしいけどな。
「へえ、君の世界ではそのような名前が一般的なんだ……って勇者!? 君、勇者なの!?」
まさか俺からその単語が出てくるとは思わなかったのだろう、ビックリ仰天のブッキー。
「まあ、今日からだけどな。伝説の剣“惰剣レイジネス”を使って魔物を倒しちまったしな。それにまあ、ドデカい借りも出来ちまったし」
「レイジネス……レイジネスを使えたのかい!?」
ブッキーは再び俺の両肩を掴み、輝きに満ちた瞳で尋ねてくる。
「お、おう……なんか、無気力な奴しか使えないとかだったけど、俺が抜いたらすぐ使えたよ」
「能力は!? 能力はどういったものだった!?」
近い近い。紅潮した顔が近い。息を荒げるな。
「えと、一度鞘から抜くと、俺が考えた通りに自由に動き回る……的な」
俺の言葉を聞くなりブッキーは下を向き、プルプルと震え出した。やがてバッと顔を上げて、
「素晴らしいっ!! まったく素晴らしい能力だ! まさか君がレイジネスの能力を呼び起こすほどの無気力の持ち主だったとは! いやはや、感服の一言に尽きるね!」
俺から離れて右足を軸にクルクルとバレリーナのように回り始めるブッキー。情緒がアンバランス過ぎるだろ。
「えと、そろそろいいか? もう部屋に戻って寝たいんだけど」
ブッキーはピタリと動きを止めて俺の方を見た。そして少し残念そうに細い眉を下げた。
「え~? もう行ってしまうのかい? せっかくの面白そうなお客様なのに」
「もうだいぶ夜も更けてきたからな。明日もタラ子……アイリお嬢様にあちこちと振り回されるのは目に見えてるからよ。しっかり体力を蓄えとかねぇとな」
「アイリ嬢……? へえ、そうか、君をここに連れてきたのはアイリ孃なのか」
ブッキーの声色が急に暗くなる。こちらを向いた目には、先ほどのようか輝きは消え失せており、虚ろだった。急な変貌に、背筋がゾクリとした。
「つ、連れてきたどころじゃねぇよ。魔物退治に付き合わされるわ、その帰りはずっとおぶらされるわ、散々だ。てか、どうしたんだよ、ブッキー? なんか雰囲気が……」
「ねぇ、勇者くん。君はアイリ孃のことを、どこまで知っている?」
「え……」
急な質問に狼狽する。タラ子のこと……天使ってのは他言無用だし、セーラー服とか白髪とか、見た目のことは言わなくても分かってるだろう。というか、向こうは俺のことを知り尽くしているのに、俺はタラ子のこと、何も知らない。身長は? 年齢は? 趣味は?
こんだけ近くにいるのに、何も分かっちゃいない。
「お、俺は……何一つ知らない。あいつのこと、何一つ……」
「そうか、私もだ」
五秒ほどの沈黙の後、ブッキーが口を開く。
「余計なお世話だと思うのなら聞き流してもいい。君に二つ、忠告をしておくよ」
「忠告? 何?」
いい感じに眠くなってきた。俺は大きな大きなアクビをする。
「まず一つ、たとえ城の中とはいえ、レイジネスは常に持ち歩いた方がいい。いつ何が起こるか、分からないからね。その剣があれば、たいていの問題はどうにかなるだろう。もう一つ……アイリ嬢には、気を付けろ」
「え……?」
一つ目に比べて二つ目の忠告に対する納得のいかなさがすごい。なんだ、タラ子に気を付けろって? 何で仲間に注意を払わなくちゃいけないんだ、くだらない。
「私の予想が正しければ、アイリ孃は……」
「わーったわーった。出来るだけ努力するよ。そんじゃあな、ブッキー」
俺は九十度の角を曲がって部屋の出口に向かう。見送りにきてくれたブッキーの顔には、また先程のような人懐っこい笑顔が携わっていた。
「何か困ったことがあれば、いつでも来るといい。今日は急だったから何のおもてなしもできなかったが、紅茶くらいなら出してあげられるからね」
「あんがとよ、おやすみ」
この忠告をもっと真剣に受け止めるべきだった。
頭の中が眠気だらけだった俺は、この時はまだ、気付くよしもなかったんだ。
これから俺に待っている、あまりにも残酷すぎる出来事に。




