第二十八睡 研究室のお気楽女
「近くの部屋って……ここか?」
この城のどこにでもあるような普通の部屋たちのそれと、見るからに雰囲気が違う扉の前に、俺は辿り着いた。一つ深呼吸をして、そっとその扉を開ける。
「すんませーん……」
返事も、物音も、人の気配もない。
そこはL字形の変わった形をした部屋だった。向かって正面には大きな木の机と椅子、それに高級そうなランプ。奥に進んで右に曲がると、夥しいほどの本が収納された本棚が数列、どこまでも先に続いていた。
「これ、全部本か?いったい何冊あるってんだよ……?」
俺は本棚の間の通路のうちの一番左の列を進んでいく。同じような分厚さの本が綺麗に収納されている。一冊たりともホコリを被っておらず、ここの部屋主の几帳面さがよく表れている。俺はそのうちの一冊に手を伸ばそうとしたが……。
「何の本をお探しかな?」
「っ───!」
いつの間にか背後に回っていた人物は、俺の両肩に手を置き、体を密着させ、ハスキー声で囁いてくる。右耳を通して全身に寒気を感じた俺は、急いで体を翻して、その人物から離れた。その拍子に後頭部を本棚の角にぶつけ、そこに並んでいた本を何冊か落としてしまった。
「いってえ………」
「おいおい、酷いリアクションだなぁ。勝手に人の部屋に入ってきておいて、それはないだろう? そら、立てるかい?」
「あ、ああ……すみま」
俺は手を差し伸べてきた人物を見て固まった。
大きな瞳の人懐っこそうだが大人びた中性的な顔立ちであるものの、薄オレンジ色のショートボブヘアーと体のハッキリとした凹凸の時点で女性だということが分かった。俺がこの世界に来て出会った中で一番の巨乳の持ち主かもしれない。さっき体を密着された時も背中にぷにぷにとした感触はあったが……まったく、めいわくこのうえないな。うん、じつにめいわくだ。
身長は……俺と同じか少しだけ低いくらいだろうか。いずれにせよ、女性にしてはかなりの高さだ。俺に真っ白な手を差し伸べてニコニコと笑っている。年齢は見ただけでは分からない。上にも見えるし下にも見える。一番接し方に困るタイプだ。
だがここまではいい。ここまでは大丈夫なんだ。
問題は服装だ。彼女が身に纏っていたのは、ほのかなピンク色をした……Yシャツだった。彼女の豊かなバストがより強調されるような、サイズは少々キツめのカッターシャツ。そして下に履いているものは、これまたビックリ真っ黒なボトムス。これも彼女の細長く美しい足の形にピッタリになるように作られている。だいぶカジュアルな格好だ。彼女の色気あふれる理想的なスタイルがこれでもかと表現されている。
……とまあ、どこからどう見ても普通の女性にしか見えない格好だ。だが勘違いしてはいけないのは、この格好は、この世界では決して普通ではないということだ。
「な、何者なんだ、あんた? その服、まさかあんたも俺と同じ世界から……?」
俺はオレンジ髪の女性の手を取って立ち上がり、崩れた本を全て元通りにすると、彼女の人のよさそうな真ん丸の瞳を睨むように見つめて尋ねた。やはり背丈は同じくらいだ。
「おぉ、怖い怖い。そんな目をしなくても、君に危害を加える気は毛頭ないさ。さて、私が君の世界の人間か……という質問だけど、ご期待を裏切るようで悪いが、結論から言うと答えはノーだ。そうだったら私にも都合がいいんだけどね。生憎だけど、私は異世界側の人間だよ」
「じゃあ何で……」
女性は俺の唇に人差し指をチョンと置いた。そして無邪気に、そして色っぽくウインクをした。
「慌てない慌てない。お話はじっくりと、だよ。自己紹介がまだだったね。私の名前はクレナ。クレナ=ミカラヴォルナ。ここの“研究室”でお勉強をしている研究者さんだよ。呼び方は、そうだなぁ……クレナちゃんでいいよ! 見た感じ、そう年齢も離れてないだろうからね! もしくはミカちゃんでもオッケー!」
「研究室……その、お勉強って、あんたは何を研究してるんだ、不気味研究者?」
俺が彼女の言葉をガン無視したアダ名を付けて質問すると、彼女はムッと口を尖らせた。
「不気味とは心外だなぁ。研究者イコール不気味という失礼且つ勝手なイメージを抱いているのであれば、直ちに捨て去った方がいい。だが質問には答えよう。きっとこれを聞いたら君もビックリ仰天するだろうがね!」
「能書きはいいから、早く教えてくれ」
喋りを止めない彼女は、俺の一言で鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして黙りこんだ。
「はあ……せっかちさんだなぁ。まあいい、確かに勿体ぶるほどのことでもないね。私はここで、君の住む世界のことを研究しているんだ」
「なんだと……?」




