第十六睡 天使と魔物のフラグ合戦
「誰か、誰か助けてください!! 誰かあああっ!!」
そこにいたのは、大きな木にもたれかかり、つい先程の俺のようにペタンと座り込んでいる一人の女性。駆けつけた俺たちには気付いておらず、がむしゃらに叫び声をあげ、誰にともなく助けを求めている様子だ。その視線の先には……。
「うへ、うへへへへ、うへへへへへへへ!! ニ、ニンゲン、ニンゲン! 食わせロ、ニンゲン、うへへ、うへへへ」
「ア、アイツは……」
四、五メートルはあるだろう、人並み外れた体格と、ぽっこりと出っ張った腹。全身は薄い緑色で、頭からは一本の黄色い尖ったツノが生えている。1つしかない目は顔の中央でギョロギョロと動いており、恐れおののく女性の姿を確認するなりニヤリと牙を見せて笑った。その手には俺の身長を平気で越えているような大きな斧。間違いない、あれは……
「サイクロプス、ですね。中級魔物です」
「あ、くそ、先に言われた。つかメダイオってなんぞ?」
サイクロプスはまあ、RPGではよく出てくるし、ゲームの中では何度も戦ってきた。そのせいか冷静に相手のことを分析できる。高い攻撃力と防御力を有しているが、機動力と知能には乏しい。こっちの攻撃力が低ければ、かなり厄介な敵となる。いきなりこんな強敵サイクロプスさんに出くわすなんて……ここはゴブリンとかそういうのが定番だろ、ツイてねぇ。でもすげぇな、魔物とか初めて見たわ。まるでゲームの中の世界に入り込んだみたいだ。後は俺のコスチュームとかスペックとかも設定できたら文句なしだったんだけどな
「あ……あなたたち! に、逃げてください!! 早く!」
先ほどまで助けを求めていた女性は、現れた俺たちを見るなりそう叫んだ。それに反応したサイクロプスさんは1つ目をギョロンと動かしてこちらを向いた。
「うへ、うへへへひひへへひひひひへへへ!! ニンゲン! ニンゲンいっぱイ! く、クイモノいっぱイ!! 食べル! み、みみ、みんなオデが食べル!!」
サイクロプスさんはオノをぶんぶんと振り回して喜びを表現している。
「参ったねこりゃ。奴さん、どうやら逃がしてくれそうにないぞ」
「やれやれ……あれだけ食い散らかしておいて、おかわりを要求ですか。随分とまあグルメさんなんですね。ですが、あたし達はあなたの肥やしになるためにここに来たのではありません。あたしの大事な民を襲ったあなたを、完膚なきまでにぶっ倒しに来たんです」
堂々と宣言するタラ子に、サイクロプスさんは怪訝そうな顔をする。タラ子は顔だけを俺の方に向けた。
「あの程度の魔物なら、あたし一人で充分です。あなたは見て学びとってください。これから何度も見て、実際にやることになるであろう、魔物との戦いをね」
やらねえっての。今だってチビりそうなくらい怖ぇんだぞ。
「あんた一人って……本当に大丈夫なのか? 結構強そうだけど、どうやって戦うんだ?」
「あたしはお父さんやお母さんみたいに魔法を使えます」
「そりゃ頼もしい」
「ただし1つだけ不安要素があります」
「不安要素?」
とんでもなく嫌な予感がした。
「ええ、魔法を使うために必要不可欠な魔導書を……忘れてきてしまいました」
「そんなこったろうと思ったよ……」
溜め息が自然にこぼれてしまう。でも納得だ。呪文覚えるのとか面倒くさそうだもんな。タラ子はそんな俺の様子を見て、
「大丈夫です、あの程度の魔物なら体術だけでもどうにかなります。見ていてください、一瞬で終わらせますから」
言うが早いか、タラ子は走り出した。そして大きくジャンプしてサイクロプスさんの頭上まで行く。
「まずはツノを戴きます」
ヒラリと一回転をしてその立派なツノに強烈な蹴りを食らわせる。それはボキリと痛々しい音を立ててへし折れ、近くの木にぶっ刺さった。跳躍力すごいな。相手五メートルあるんだぞ。
「ぐぎゃああああああ!!! オ、オデの、オデのツノガあああああああぁぁぁぁぁぁ!!!」
サイクロプスさんは頭をおさえて力一杯に叫ぶ。ツノってやっぱり大事なんだろうか。一族の象徴的な?
「うごおおお!!! オマ、オマエ、オマエ、は、絶対に許さなイ!! 殺ス!!」
「“殺す”って言ってる人が誰かを殺せてるの見たことないです。ある意味で死亡フラグですよ、それ」
怒り狂うサイクロプスさんを挑発するタラ子。あんたの「一瞬で終わらせる」発言も充分にフラグだと思うんだが。
ドスドスと向かってきて、オノを勢いよく降り下ろすサイクロプスさん。それを難なく避け、サイクロプスさんに回し蹴りを食らわせるタラ子。吹っ飛ぶサイクロプスさん。まるで流れ作業だ。サイクロプスさんは低い唸り声を出しながら真っ直ぐ俺のところまで飛んでくる。
「危なっ」
俺は紙一重で体をひねってそれを避ける。こっちに飛ばすなっての。
「ぐげェ!!」
すると俺の真後ろにあった大きな木に、サイクロプスさんは潰れたカエルのような声を出して勢いよく激突した。その拍子にオノをガシャンと落としてしまった。サイクロプスさんが激突した衝撃で、木がミシミシと音を立てて倒れた。にしてもとんでもなく強いな、あの娘。これなら余裕だろ。俺が出る幕はないやね。最初っからなかったけど。
しかし、考えが甘かった。
うなり声をあげながら起き上がったサイクロプスさんと、俺は完全に目が合った。目と目が合う瞬間死んだと気付いた。
「クソッ!! クソックソックソックソオオオオオ!!! まずはオマエからダ!!!」
至近距離で拳を振り上げるサイクロプスさん。八つ当たりかい。一方の俺はというと、凍りついたようにそこからピクリとも体を動かすことができない。ああ、死んだなこりゃ。何で死亡フラグっぽいこと言ってない俺がこうなるんだ、ったく。
まあ、人生諦めも肝心だわな。大人しく退場するとしよう。俺はゆっくりと目を瞑った。
悪ぃな杏菜……お兄ちゃん、帰れそうにねぇや。




