第十二睡 美人のオヤジ狩り
少しの間待っていると、扉は全て開いた。そして案の定部屋の中では、二人の人間が言い争いをしていた───。
「気持ち悪い! ほんっとうに気持ち悪いですわ! あなた、また私に黙って遊郭に出歩いたそうですわね! 三日前にやめると言ったばかりではありませんの!! どういうつもりですの!?」
「ひっ……ち、違うのじゃ、マリア!! 儂は国を治める者として、可愛い子猫ちゃんたちの身の安全をじゃな……」
「まあ気持ち悪い! 気持ち悪いなら気持ち悪いなりに、自らが気持ち悪いと気持ち悪く自覚して気持ち悪く大人しくしていれば宜しいのに、その気持ち悪い顔で遊郭に繰り出すなんて気持ち悪いことをしておいて、そんな気持ち悪い言い訳までして……気持ち悪いですわ! 王様なんてやめて、気持ち悪い吐き気製造業にでも気持ち悪く転職したらいかがですの!? 気持ち悪いあなたにはピッタリですわ!」
「ふ……ふええ……ひっぐ、えっぐ……」
言い争いじゃなかった。一方通行気持ち悪い連発祭りだった。なんか家政婦の気分だ。見てはいけないものを見てしまったような気がする。
「なに、あれ」
「お父さんとお母さんです。お父さんはしばしばお城をこっそり抜け出して女の子たちと遊んでいます。その度にお母さんがああして怒ってます。そしてお父さんはああいう風に泣いて謝ります。でも二、三日したらまた出掛けていきます。この繰り返しです」
「あの二人がタラ子のご両親……か」
一人は触るとホロリとほどけてしまいそうな絹のような白髪を後ろで結び、同じく真っ白な、庶民の俺からしてもとんでもなく高価な代物であると一目でわかる、今までにテレビなどでしか見たことのないようなドレスをまとった腰くらいまで伸ばしている女性。
娘と違いキリリとした、キツい印象を与えない程度のつり目だが、そのエメラルド色の輝きから、この人がタラ子の母親であると認識・記憶するにはそう長くはかからなかった。女性にしてはかなりの高身長で、体型もスラリとしていながらも出るところはしっかりと出たモデルのようだった。
鼻も高く、紅をさしてピンク色に輝く薄い唇が、色白の肌によく馴染んでいた。うん、文句なしの絶世の美女だ。俺とほぼタメであろうタラ子の母親だから、普通に考えると40前後ということになるが、そんな風には全く見えない。なんなら20代と言われても信じてしまうくらいだ。
そしてもう一人は、そこら辺を歩いていたおじいさんに無理やり豪華な帽子や衣服を身に付けさせて王座に座らせたかのような、とにかく普通の老人。タラ子や隣の女性と同じく髪が白いのも、ただ年齢のせいなだけじゃないのか、と思わせるほどだ。
権力を示すために着ているはずの繊細かつ派手な、何枚かにも重ねられた着物、そしてほぼ顔の全体を覆う立派な白いヒゲに、完全に貫禄負けしてしまっている。それもそのはず、王様は隣にいる自分よりも何十歳も年下であろう奥様に「気持ち悪い」を連呼され、あたかも幼女のように泣きじゃくっている。何歳若返るつもりなのだろうか。ああっ、高そうな着物で涙と鼻水を拭いてる。もったいない。背も小さく小太りの体型。どう見ても普通のおじいちゃんにしか……切腹とか嫌だから口には出さないけど。幼女のような泣き様のせいか、デフォルメ化してるようにも見える。
本当にこの人が王なのか……聞いたところ、遊郭での女遊びが絶えないらしい。大丈夫かこの国。
「泣かないでください、情けないですわ! 大体あなたには王としての自覚が……」
女性は椅子には座っておらず、隣に座って泣き喚いている幼女老人に高い位置から容赦のない罵倒を浴びせている。
「お父さん、お母さん、ただいまです」
タラ子の一声。母親は罵倒の口を止め、父親は泣きじゃくりながら、入口に立っている娘の方に一斉に視線を移した。俺たちの後ろにあった扉はガタンと大きな音を立てて閉まり、タラ子は前へ前へと進んでいく。俺は臣下のようにその後ろをピッタリとついて前進する。しばらく進むと平べったい階段があり、その手前でタラ子は立ち止まり、王とマリアさんを見上げる形になる。
「あ、アイリではありませんの! 無事に帰ってきましたのね! 貴女が一人で行くと言ったときはどうなることかと思いましたが……ほら愚者! 娘が帰ってきましたわよ!」
「ふええ……ぐ、ぐしゃじゃないのじゃあ……おうさまなのじゃあ……!」
「そんなピーピーと泣いて王様なんて片腹痛いですわ!! どうして心臓が動いておりますの!?」
もう面目がペッシャンコだ。言葉の暴力とは使い手によってはかくも恐ろしい武器となりえるのか。
「見苦しい所をお見せして申し訳ありません……貴方がアイリによって選ばれた救世主様ですわね! 高いところから失礼します。私、レシミラ国王の妃、マリア=クルディアーナと申しますわ。どうぞよしなに」
「あ、はい……よろしくお願いします」
マリアと名乗る女性は俺に深々と礼をした。つられて俺も軽く頭を下げる。さすがに気品と優雅さ溢れる自己紹介だ。マリアさんか……なんか久々にまともな人に出会ったような気がする。怖いけど。問題は……
「ほら、あなたも早く泣き止んで!救世主様が待っていらっしゃいますわ!早く紹介なさってください!」
ああっ、泣いてる人にそんなにガーッと言ったら……。
「うっ……よ……ぐすっ……た……じゃ……」
王は喉仏に死人が取り憑いたかのような微かすぎる声量で何かを言っている。それをマリアさんが逃すはずもなく。
「ぬわあぁあぁあぁあぁあぁんですの、その死にかけのゾンビみたいな微かすぎる声量はぁ!! 毒はお好きですの!?」
あ、ちょっとツッコミ被った。
「ひっ、おこらないで……ちゃんと……ちゃんとやるのじゃ……」
「いや、あの。落ち着いたらで大丈夫っすよ。それまで待ちますんで。その、お話の最中にいきなり押し掛けてきたこっちにも責任はありますし」
マリアさんは王様の胸ぐらを掴んでブンブンと振り回す。まさに怒髪天を衝くといった感じで、王様が死んでしまう気がした。見かねた俺は気遣いの言葉をかける。
「本当に申し訳ありません! ほらあなた早くっ!! 出来ないなら帰っていいんですわよ!!」
「うう……やる……のじゃ」
「声が小さいですわ! 腹から声を出して熱意をお見せなさい! やるんですの!?」
「うっ……やらせて……やらせてください! なのじゃ!!」
サッカーのハーフタイム中の監督と選手かあんた達は。
王様は面子みたいに平べったくなってしまった面子を取り戻すために、涙を拭って何回も何回も深呼吸をして、
「ごほん……よくぞ来た! 歓迎するぞ、勇者よ!! 儂がこのレシミラ王国の王、ユスティニア=ウラドーヌ=カラシュバルシュ=クルディアーナ王じゃ!!」
「はあ……よ、よろしくっす」
まさかこのテンプレ感満載のセリフを聞くのにこんなに尺を取るとは。つか名前長いな。面倒だから尺取り虫とかで良いかな。
「お父さんのことは名前のそれぞれの頭文字をとってユウカク王と呼んであげてください。喜びますよ」
「え? えと、ユスティニア、ウラドーヌ……あ、本当だ、凄いな。こりゃ覚えやすくて助かる」
まさか名前にまで遊郭への愛が溢れているとは感服だ。ただ喜びはしないと思うぞ。今だって王様、俺の方に「お主はそんなことしないよね?」みたいな、俺に最後の望みを託すかのような視線を絶え間なく送り続けてきてるもん。こりゃさすがに可哀想だな。
でもまあ。
「宜しくっす、ユウカク王」
「っ……」
女遊びは今回が初めてでもないみたいだし、こんな美人の奥さんがいながら遊郭に行こうだなんて罰当たりもいいとこだ。王様は俺の言葉を聞いて絶望の表情を浮かべた。ちょっと気の毒だけど、このアダ名でいかせてもらおう。娘も許可していることだし。
「そっ……それよりも大事なのはお主の事じゃ! まずはお主の名前を教えてみよ!!」
またしてもテンプレートな会話の進み方。俺のトラウマが一斉に甦ってくる。でもまあ、マリアさんは大丈夫だろう。育ちの良さが全身から滲み出てるし。この人に笑われたらもう終わりだ。笑わない者は後には決して現れないだろう。
それにユウカク王だって名前にコンプレックスがあるし、きっと俺の名前も受け入れてくれるはずだ。俺はマルバツ泥んこクイズに飛び込む気持ちで2分の1の確率に賭けることにした。大きく息を吸う。
「十諸……十諸 輿之助です。ピッチピチの男子高校生です」
「「くはっ!!」」
俺の不意討ちストレートに、二人は同時に怯んだ。だがさすがに上の身分ともなると違うな。必死に全身を震わせて我慢している。
その努力もむなしく、やがて二人がほぼ同時に溜めていた笑いを大放出した。ふっ……やはり俺の「ピッチピチの男子高校生」発言には我慢できないか。ウケるって気持ちいいな。詩人は無理って言われたし芸人にでもなろっかな。
「ひょほほおおほほおおほほお!!! トウモロコシ!! トウモロコシじゃってよ!! トウモロコシ! ひょおほほおおほほおおほほ!!!」
「ぷくくくく……す、すみません、がま、我慢できないですわ……ぷくくくく……!!」
分かってるよ、後半なんて聞いてもなかったんだろ。分かってる分かってる。いい加減このやり取りやめようぜ。心がボロボロでござるよ。つか王の笑い方気持ち悪っ。タラ子の笑いはマリアさんの遺伝みたいだな。ユウカク王のを引き継がなくてよかった。顔面に米をぶっかけられた後で「ひょほほおおほほおお!!」とか言われたら、俺は今ごろ牢屋の中だったかもしれない。
「はあ、はあ……笑ったら落ち着きましたわ。あなた、先程は言い過ぎましたわ。申し訳ありません」
「なっ、何を言うか! 儂がお主のような美しい妻を裏切るようなことをしたのがいけないのじゃ! 本当にすまなかったのじゃ!」
「もう、あなたってば、お客様の前ですわよ! 美しいだなんて照れますわ……!」
……まあ、俺の名前なんかで国王と女王の喧嘩が治まったなら安いもんだ。釈然としねぇけど。
「ふむ、それでは改めて宜しく頼むぞ、サイレージ」
「コーンサイレージて。勝手に蔵に入れて発酵しないでください。それともそれは俺が、蔵という名の部屋に引きこもり、すっかり腐り切ったヒキニート野郎に見えることへのあてつけですか?」
「そうですわ、あなた! そんな失礼なこと言って……申し訳ありません、ヘイレージさん!」
「いや水分含量に不満があるわけでなく」
さすがに身分が高くなってくると単語の難易度もそれなりだな。父さんが農家だったからなんとか対応できたものの、今の連続攻撃は危なかった。てかやっぱり名前イジリはシリーズ化するのね。そんなにコーンがつく単語あるか?
この先俺の名前を笑わない猛者は、もう現れないのだろうか。




