第百七睡 ごめんなさい
小柄なブス姫を何とか見失わないように、やって来たのは王都を離れた森の中。例えるならサイクロプスさんの時の景色に似てる。ようは足場も雰囲気も明るさも、全てが最悪の状態。
「おかしいなぁ……確か姫さんはここら辺に来たはずやんな?」
「やれやれ……ただ歩くだけでも面倒なのに、こんな体力使うところ来させんなっての」
「それもあの人を追うための体力ですよ。追おうと言ったのはあたしとはいえ、やはり癪ですね」
「それな。もう帰ろうぜ。見失っちゃったら仕方ねぇだろ」
「アンタらなぁ……もっと危機感っちゅうか、闘争心を持ちぃや! ここは完全に敵のテリトリー! いつ仕掛けてくるか……」
ポラポラが鞘に手をかけて言う。確かに、何者かがブス姫を使って俺たちをここまで誘い込んだ今、もう俺たちはそいつの罠の中だ。
「へーいへい。わーったわーった。出来る限り警戒しますよっと」
「ホンマに、コイツらだけは……ん? おい二人とも! あれ姫さんとルシュアさんちゃうか!?」
ポラポラが見つめる先には、いなくなっていた二人がこちらに背を向けて、並んで立っているのが見えた。やや背中が曲がった前傾姿勢で。
「何だよ、人が必死こいて探してたってのに、あんなに落ち着いた状態でお待ちあそばすなんて、しょうがねぇ人たちだな。おーい、ブスゥゥゥ……」
やる気なく名前を呼びながらブス姫に近寄る俺をタラ子が制した。
「待ってください勇者さん。何か嫌な予感が……」
「あーもう! こちとら全く関係ないのに長いこと付き合わされとんねん! いい加減に堪忍袋の緒が切れるわ! さっさと姫さんもルシュアさんも連れて帰るで!」
タラ子に制されていないポラポラが、ズンズンと大股で二人に近寄る。その心情は、今彼女が喋った通りだろう。だいぶお怒りのようだ。
「ほら、アンタら! 突っ立っとらんと早よ帰……」
ポラポラが、二人の肩に手を置いた、その時だった。
二人の首が、ゴロンと地面に転がったのは。
残された体は前傾姿勢のままで、湿った土の上に寝そべり汚れた自分の頭を、哀れみをもって見下ろしているようにさえ思えた。
「きゃあああああ!!! こっ……輿ノ助!!」
ポラポラは慌てて二人から離れ、恐怖のあまり俺にしがみついてきた。それにより視界が彼女で埋め尽くされたのは幸いだった。
あれ以上見ていたら、精神が崩壊するところだったから。
「ブス姫……ルシュアさん……! なん、で……はあ……はあ……!!」
呼吸が定まらない。酸素が薄くて、全然肺の中に入ってこない。
知っている者の死。多少なりとも関わりを“持ってしまった”者たちの、無惨な死。これで心が平常でいられる方がどうかしている。
「勇者さん……」
タラ子が俺の名前を静かに呼んだ。いつもと変わらない、無表情で。
俺の中で、何かがプツンと切れる音がした。
気が付くと俺は、タラ子の胸ぐらを掴んでいた。
「お前……何なんだよ!? 二人とも、死んでるんだぞ!? なのにお前は! いつもいつもいつもいつもいつもいつも!! スカしたツラしやがってよ! 人の命を何だと思」
「勇者さん………ごめん………なさい………」
タラ子は口から血を噴き出した。
そのまま真っ直ぐ俺にしなだれかかってきた。
軽かった。
マネキンを抱えているみたいだった。
いや、俺が今抱えているのは、マネキンと変わりないのではないだろうか。
「輿ノ助……それ……!!」
ポラポラがタラ子の腹のあたりを指差した。
そこには大きな穴が空いていた。
バカみたいに大きな穴が、タラ子の華奢な体に。
あれ、確か俺、タラ子に何か言った、よな?
「は………」
何だったっけ。凄く大事なこと、言ったと思うんだけど。
「はは………」
絶対に成し遂げてやるって思えるようなこと、言ったんだけどな。
「はははは…………」
ああ、そうだそうだ、思い出した。
『次こそは俺が護ってやるからな』
「ははははははははははははは!! あはははははははははははは!! ハハハハハハハハハハハハハハ!!!」
笑いが止まらなかった。
「輿ノ助! しっかりせい、輿ノ助!!」
ポラポラが俺の体を揺さぶってくる。そんな彼女の体を、俺は突き飛ばした。
「ははははははははははははは!! タラ子が! タラ子が死んじまった!! 護るって言ったのに! 俺の目の前で!! ははははははははははははははは……は……」
冷たくなった俺の頬を、温かい涙が濡らした。
何が護ってやるだ。笑わせんな。こんなに近くにいて、何も出来ずに死なせちまっておいて、何が勇者だ。
いつもいつも、こいつは俺を導いてくれた。どんなときでも、頼もしかった。
俺は、どうだ?
こいつのために、何かしてやれたか?
答えはノーだ。
「おやおや、随分と血なまぐさい、殺伐とした現場ですネェ……おや、十諸さんが抱えていらっしゃるのは、確かワタシを氷付けにした、魔法使いさんではございませんかネェ? まあ、あの程度の薄氷、壊すのは造作もありませんでしたがネェ」
なら、俺がやることは一つしかないだろ。
「うあああああああアアアアアアアアァァァァァァ!!!」
レイジネスを片手に、俺は現れた仇まで、一心不乱に向かっていった。
無能、無策、無闇、無知、無謀、無鉄砲……何とでも言え。
こいつは……こいつだけは、俺の手で――――。
仇は、姿を消した。
「ふう……いきなり仕掛けてくるなんて思いませんでしたから、ビックリしましたネェ。なかなかの気合いと迫力でしたネェ。存外、アナタの情熱は、完全に剥がれ落ちてはいなかったようですネェ」
後ろから、ねっとりとした声が聞こえた。
「未知数である敵の能力を恐れずして猪突猛進……結構な事ですネェ。まさに“勇者”と呼ぶに相応しいですネェ。しかし、ワタシの目にはそのような無益な行いをはたらいたアナタは、ただの“愚者”にしか見えない。このように、愚かでのろまな猪の腹を裂くことなんて、赤子の手を捻るようなものなんですネェ」
「え………ぁ………」
ミュガナッチェに言われるまで気が付かなかった。
言われて初めて腹のあたりに違和感を覚えた。
「があああああああ!!」
「輿ノ助!!」
間もなく激痛。パックリと開いた腹から、今まで見たこともないような血が、流れて流れて止まらない。死ぬほど痛い。自らが痛覚を有していることを呪いたくなるほど痛い。意識が朦朧としてくる。
でも。
「っ……ああああああああ!!!」
俺は再びミュガナッチェに突っ込んでいた。レイジネスは持っていない。持つ力もない。
こいつの言う通りだ。俺みたいな奴は“勇者”なんかより“愚者”の方が似合っている。
結構なこった。
何でもいいんだ。
タラ子の仇を討てるなら、それで。
ミュガナッチェは俺の両手を掴んだ。そして俺の顔を自分の目の前にグイッと持ってきた。己に殺意を向けている者を見ているとは思えない、優しい目だった。
対する俺は、どんな目をしてミュガナッチェを見ていることだろうか。たぶん、説明しきれないほど色々なものが混ざりきった、グチャグチャの顔だろう。
「いい目ですネェ……実にそそられますネェ。ククッ……そうですネェ、そのままワタシの顔をよーくその瞳に焼き付けるのですネェ。自分を、自分の大切な人を倒した男の目を、顔を、笑みを、しっかりと脳味噌に刻み込んで、死んでいくといいですネェ……ククッ……クハハハハハハハ!! クハハハハハハハハハハハハ!!」
「ズーガルト……!!」
ポラポラの声が聞こえた。ミュガナッチェの視線が俺から外された。
「おや……アナタ、どこかで……ああ! そうですそうです! 思い出しましたネェ!! その青い髪! その白い肌! 相変わらず“ご家族”によく似ていらっしゃりますネェ!! いやはや懐かしいですネェ……確か“あの時”もアナタは、そうして何も出来ずに見ていただけでしたネェ!! ハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
「ズーガルトォォォッ!!」
ポラポラが剣を持って走ってくる。
ミュガナッチェは俺をポイと投げ捨てた。
地面にうつ伏せで倒れた俺は、もう指の一本も動かせなかった。
なるほど、ザミアの気持ち、こんな感じだったんだな。
ポラポラの断末魔の叫びとミュガナッチェの笑い声が聞こえた。
涙が流れてきた。
俺のせいで、色んな奴を犠牲にしちまったな。
変えてやる。
塗り替えてやる。
もうこんな思いは真っ平だ。
今度こそ……今度こそ誰も死なない未来を……。
護るんだ。ポラポラを。ブス姫を。ルシュアさんを。
そして――――。
俺はゆっくりと目を閉じた。




