第百二睡 最期の頼み
「はあ……やれやれ。ちょっと脅しすぎたかね?」
口をポカンと開けてピクピクと痙攣しているザミアを見て、俺は溜め息をついた。
「ちゃんと電圧調節したんだろうな、タラ子?」
「モチのロンでごぜえやす。いくらガサツなあたしでも、子どもを気絶させるくらいの微調整は出来ますよ。それでもスタンガンくらいはあるので、しばらく起きないかもですが」
「そうかい、まあいいや。ポラポラたちもそろそろ戻ってくるだろ。じゃ、俺は寝かせてもらうから」
「ど……」
倒れたザミアが震えた声で何かを発した。
「どういう……つもりですの……?」
うつ伏せのザミアが首だけを重そうに動かして、俺たちを睨んだ。
「これはこれは、お早いお目覚めで。どうもこうもねぇよ。あいにく俺は、子ども斬れるほど図太い精神してねぇもんでね。峰打ちなんて高度な技術も持ち合わせてないし」
「こっ、子ども!? 訂正なさい! わたくしはゴバーネイダー! 貴方の敵である、魔物ですのよ!? 年齢だって貴方よりもずっと上の、大人の女性で……」
怒りを露にするザミアだったが、体が麻痺して満足に動かせないようだ。いや、頭もか。
「そいつは失敬。そんじゃ訂正だ。“女斬れるほど図太い精神してねぇ”……これでいいか?」
「っ……そのような甘い考えで、本当に世界を救えるとでも……? わたくしを生かすつもりですか!? 分かっていますの!? わたくしを帰すということは、今回の戦闘での貴方たちの情報が筒抜けになるということですのよ!?」
「承知の上ですよ。こっちの人はどうか分かりませんが、まだあたしは力を出し切ってません。あなたが生きているのが何よりの証拠です。さらけ出した情報なんてゼロに等しいですよ」
お、おれだってまだほんきだしてないし……。
「……本当に、面白いを通り越して呆れた勇者一行ですわね。貴方たちが世界を救うなんて、想像だにできませんわ。でも、そうですわね、一つだけ……お頼みしてもよろしいかしら?」
「引き受けられる範囲なら、な」
「魔王様を……助けてあげてくださいませんか?」
それは、予想外の内容だった。
「どういう意味だよ……?」
「最近、貴方が魔王様にお会いしたという情報を耳に入れましたわ。どんな方だったか、覚えていますこと?」
「え……いやなんかさ、あまり魔王っぽくねぇなぁって。とても世界征服なんて大層なことを目論んでる奴とは思えなかったよ。あんまりよくは思い出せないけど」
一緒にいたミュガナッチェのせいでそれどころじゃなかったしな。
「やはり……そうですのね。わたくしもこの頃ずっと、ある疑問―――魔王様は戦いを望んでいらっしゃらないのではないか、という疑問を抱き続けていますの。此度の世界征服も、最近になって突然計画されたことでしたわ。非常に驚いたのを覚えています。戦いを望まない魔王様がそのような血の気の多いことを口走るなんて……」
“戦いを望まない魔王様”て。
「そいつは確かに奇妙だな。何かそうせざるを得ないきっかけがあったのか、あるいは……」
「これだけの被害を出しておいて言えた立場ではないのは重々承知しておりますが……わたくしは魔王様の計画に反対ですわ。わたくしは優しい魔王様をお慕い申し上げておりました。だから……貴方たちに頼みますわ。魔王様を――――」
「複雑なことはよく分からんが……俺も痛いの嫌だしな。戦いを避けられるんなら、説得してみる価値はありそうだ。でもさ、何で俺たちにそれを……?」
「確かに覇気も何もあったものではありませんが……貴方たちなら、何かを起こしてくれると信じているからですわ。無気力を以て魔物を討つ……わたくしは、貴方たちに賭けてみたいと、そう思ったのです。それに……」
先程まで噛みつかんばかりの目で俺を見ていたザミアが、あっけらかんと笑った。少し恥ずかしそうに、頬を薄い桃色に染めながら。
「貴方と共にあの果物を搾っているとき、少し楽しかったのです。魔物の世界は弱肉強食。今日の仲間は明日の敵。誰も信用できない、信用してはいけない世界で、わたくしは生きて参りました。今まで他者と協力して何かをしたことがなかったので、何だか新鮮な気持ちで……結局、その感情に負けてしまい、今こうして無様に冷たい地面に伏しているわけですけれど、ね」
「お前の技は驚異的だった。もしあそこでもう一発隠し玉があったなら、今ごろ地べたを舐めていたのは俺の方だっただろうよ」
「ありがとう……こんなわたくしを、許してくれて。わたくしの願いを、聞いてやると言ってくれて」
ザミアは、笑った。
「わたくしは、貴方のことが……」
俺がまばたきをして相手を見直した時、ザミアの生首は宙を舞っていた。
それは力なく飛んでいき、遠く離れた冷たいコンクリートの上に、ゴロンと転がった。
「え?」
体だけになったザミアから、首が繋がっていた場所からとんでもない勢いで血を流し続ける“ザミアだったもの”から、俺は顔を背けたかったのに、俺の目は言うことを聞いてくれなかった。
この感覚は、初めてじゃなかった。見ることも、触ることもできない無数の虫たちに精神を啄まれているような、この感覚。絶望一色、あらゆる光を呑まんとする、真っ黒な何か。
いや……“何か”なんて回りくどい言い方は抜きにしよう。それは恐怖。ぬるぬると変幻自在に俺の体内に入り込む、底も、先も、終わりも、何も見えない恐怖。その恐怖の根源が、ザミアの首までカツカツと音を立てて歩いていくと、長い黒髪を乱暴に引っ張って、それを持ち上げてみせた。
こちらを向いた、向かせられた、ザミアの虚ろな目から、透明な涙が一筋、流れていた。
「おやおや、余計なことを喋る道具を始末しに来たら……思わぬ掘り出し物を引き当ててしまったものですネェ。ご機嫌いかがですかネェ、勇者ご一行様?」




