第百一睡 シェフの気まぐれ木箱ジュース
「随分と見くびられたものですわね、ゴバーネイダーも」
出会ってから薄ら笑いを絶やさなかったザミアに、初めて“不機嫌さ”が垣間見えた。
「何ですの、その驚いた顔は? このような子供騙しな攻撃がわたくしに通じるとでも? 通じるのはせいぜいメダイオまで、と言ったところですわ。さて……次はわたくしの番ですわね」
ザミアが俺に右手を突き出した。その時、ツタらしきものが、俺の全身にあっという間に絡みついた。レイジネスを手放す暇もなく、体がピクリとも動かせない。試しに【ツタを斬れ】と念じてみるも、レイジネスもガッチリと縛られていて、一言で言うと完全に詰んでる。
「ちょっ……これ……」
「わたくしの技が、ただ力を吸収するだけだとでも? どこまでも甘い御方ですわね。さて……これで貴方の命はわたくしの手の中ですわ。ご心配なさらず。苦しいのはほんの一瞬ですわ。わたくしに任せてくださいませ。さあ……熱い抱擁を交わしましょう……あなたの魂と引き換えに、ね」
「くそっ……!」
勝利を確信した自分に酔っている様子のザミア。弄ぶように、じわりじわりと俺に近付いてくる。
さあて、どうするか。ポラポラもいねぇし、ブス姫もルシュアさんも帰ってこねぇし、タラ子は寝てるし、頼みの綱が一本も……
一本も……
「ふふ……諦めたようですわね。それでは始めましょうか、愛の」
「おいちょっとこのツタどかせや」
「え、あ、はい」
思いきりドスを効かせて言うと、呆気に取られたザミアは、普通に拘束を解除してくれた。
自由になった俺は、先ほどの木箱にもたれ掛かってボーッとしている男性を中から無理やり引っ張り出してポイと投げ捨てた。
そして近くにあった果物店からありったけのフルーツを抱えて持ってくると、箱の傍にドサリと置く。そして大きなミカンのような物を取ると、それを握りつぶしてみせた。
破裂したミカンの汁が箱の底にうっすらと溜まっていく。
「まだ足んねぇな。おいメンヘラ、お前も手伝え」
「め……めんへら? どういう意味ですのそれ? というか、わたくしは貴方の敵で、今は戦闘中なのですけれど……」
「終わったらもう一回縛られてやるから。早く来いよ」
「……分かり、ましたわ……?」
それから俺とザミアは様々なフルーツをグチャリと潰しては、その汁で木箱の中を満たしていった。
「ちっ……思ってたより溜まんねぇな。おいメンヘラ、お前ツタで搾れ。そっちの方が早いし」
「はい……すみません」
「謝んなくていいって。俺が無理やり付き合わせてるんだから」
「はい……ありがとうございます」
ゴバーネイダーとの共同作業。もちろん、勝てないと踏んで親睦を深めようとしているわけじゃない。
やがて成人男性が正座しても頭まで隠れられるくらいの木箱の三分の二ほどが、色々な果物が混ざった気持ち悪い色のピューレ状の液体で満たされた。ヘドロみたいだ。
「よし、こんなもんかな。そんじゃ……いきますかね」
俺はそこら辺に寝っ転がって鼻提灯を出していたクソ天使の足を掴んで逆さにした。そのまま木箱の上まで持ってきて狙いを定める。
「さあ、お目覚めの時間ですよ、アイリお嬢様っ」
ドプン。
「ごぼぼぼぼがばばばばばばがばばがががごぼぼぼぼごごぼぼぼ!!!」
手足をバタバタとして暴れているタラ子。おっ、意外にもいいリアクションだ。犬○家みたい。
「そうかいそうかい、じいちゃんとばあちゃんの作ったフルーツジュースがそんなに美味しいかえ? アイリちゃんはめんこいなぁ、たーんとお飲み」
「ぼがー!! がぼぼー!! がべべばぼー!!」
さすがにこれ以上やったら死んじゃうかな。タラ子がテンパったの初めて見られたし、余は満足ぞよ。
俺はマグロを引き揚げる漁師のように、タラ子を緑色の地獄から救出してやった。うわ、こりゃ酷い。上半身に緑色の物体がこれでもかとこびりついてる。見るに堪えない。
「おはよ、マリモちゃん……あ間違えたタラ子ちゃん。いい朝だね。早く顔洗っちゃいな、そこのなんか変な緑色の奴で。あっ、それじゃあ二度漬けになっちゃうか。テヘペロッ」
「げっほ! げっほげっはげっほ!! ごほ……はあ……はあ……あなたねぇ……」
おーおー、激おこぷんぷん丸だ。そりゃ怒るよな。あんなことされたら天使でもツノ生えるわ。あ、こいつ天使だっけ。
「よおタラ子。てめえ人がピンチの時にいい身分だなぁ、おい? しかも二度目だよね? 昨日もそうやって戦闘中に寝てたよね?」
「けほ……あなたが“絶対勝てる作戦があるモロコシ”とか言うから安心してお任せしたんでしょう? 何でピンチになってるんですか。作戦はどうしたんですか」
「ゆるキャラか俺は。うるせぇな……ゴバーネイダーさまが俺なんぞのシナリオ通りに動いてくれるわけねぇだろ。そういう予想外の事態が起こったときのためにお前をここに置いといたんだろうが。それなのに何だそのザマは? 完全にお荷物じゃねぇか」
「あの……わたくしのこと、忘れていらっしゃいません……?」
「そう仰いますがね、あたしだって頑張ってるんですよ。寝る間も惜しんでこれからの旅の計画を立てようとしたら寝てしまうのが玉に瑕ですが」
「じゃあゼロじゃん。じゃあ寝てただけじゃん」
「あの……喧嘩はそれぐらいにして、わたくしの相手を……」
「寝てただけとは心外ですね。あなたこそ“普段はやれやれとか言ってやる気なさげなアピールしてるくせに、いざとなったら仲間とか助けちゃうタイプ”なんて、無気力主人公のテンプレのど真ん中を爆走してる割りに、結局これといって活躍してないじゃないですか」
「言いやがったな。俺が今最も気にしていることを。そして色んなラノベ関係者から苦情が来そうなことを……! ああ、久々に腹が立ったわー。これもう誰も止められない奴だわー」
「あたしもドブ漬けにされた恨みがあります。どうせですし、ここら辺で分からせてあげますよ。あなたはあたしの足元にも及ばない、ただのお約束主人公だってことをね」
「いい加減にしてくださいません!? わたくしゴバーネイダーですのよ!? 何で置き去りなんですの!? 今は仲間割れをしている場合じゃないでしょう!! もういいです……来ないのならわたくしから仕掛けるまで!!」
ザミアがついに動き出し、火花を散らす俺とタラ子に素早く近寄り、二人の腕を片方ずつ掴むと、不敵に笑った。
「捕まえた……さあ、お二人とも、快楽の世界にご招待しますわ。わたくしに力を吸いとられ、仲良く衰えていきなさ………い?」
完全に勝者の顔つきだったザミアが硬直して、キョトン顔で俺たちを見上げた。俺たちは空いていたもう片方の手ですかさずザミアの両腕を掴み返した。
「気付いたみたいだな、お嬢ちゃん。ビックリしてるか? 俺たちに能力が通用しないことに」
「なんで……どうしてっ!? わたくしのエナジードレインが通用しないなんて、そんなの……」
「答えは簡単です。無気力に、ドレインされるエナジーなんて、備わってないからですよ」
「えっと……」
苦笑いをしてそそくさと距離を取ろうとしたザミアの両腕を、俺たちは容赦なく引っ張った。
「待てよ。ほら、愛し合うんだろ? 愛してくれるんだろ?」
レイジネスを手に取り背筋を曲げ、ザミアの顔をギョロリと覗き込む。
「ほれ……死ぬまで愛し合おうぜ、ザミアちゃん?」
「いや……やめてください……やめてくだ」
ザミアはストンと膝から崩れ落ち、そのまま地に伏した。俺はレイジネスを鞘に納めた。




