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12/09 Thu.-2

「おはようございます!」


 ダイニングの窓の中にハルコが見えたので、大きな声で呼びかけた。


 昨日とうってかわってのお天気で、メイは中庭で洗濯物を干していたのだ。シーツにパジャマに、その他もろもろ。


 それから、レインジャケット。


 最後のは、ガレージに濡れたまま転がされていたものだ。


 昨日、カイトが会社に行く時に着ていったものだろう。


 ちゃんと干しておかないと、次に雨が降った時に困る。


「おはよう…ご機嫌ね」


 ハルコは、窓を開けた。


「あ、寒いですから閉めていてください…すぐ終わりますから」


 言いながらも、ついにこにこしてしまう。


 それもこれも、あのお米のせいだ。


 カイトがわざわざ昨日の夜、買いに行ってくれたお米。


 そう思うと、彼女はもうこれからどんな顔でお米を研いだらいいのか分からなくなる。


 たかが米を研ぐだけで、どうしてこんなにドキドキしてしまうのか。


 やっぱり、どうしても、毎日、カイトを好きになる。


 苦しくても辛くても楽しくても。


 どんな理由であっても、その勢いは止まるところを知らなかった。


 カイトという存在を一つ知るごとに、ぽんと跳ね上がる気持ち。


 おまけに。


 今朝は、ごちそうさまという言葉まで来たのだ。


『うめぇ』―― その言葉をもらえるのはいつものことになっていて、それだけでも嬉しいのに、今回は『ごっそさん』という、何とも男の人らしいごちそうさまが聞けたのである。


 まさか、うめぇ以外の言葉が聞けるとは思ってもいなかったので、メイはくるくると踊りたいくらいに嬉しかった。


 洗濯物を干し終えた彼女は、屋内に戻らなければならないのだが、ハルコにこの心を悟られないようにしなきゃ、と戒めるのが大変だった。


 何度も何度も遠くを見たり、思い出さないように自分を操作しながら、ようやくダイニングへと戻ってくると


「寒かったでしょ?」


 ハルコがお茶を入れてくれていた。


「いえ…身体を動かしていたら、そんなに寒いなんて感じないですよ」


 言いながら、ああいけない、と自分に禁止事項を渡す。


 また、表情が無駄に綻びそうになったのだ。


「あらそう? それで、朝からお米を買い出しに行ったの? しかも、3つも」


 体力があるわねぇ。


 ハルコは、ちょっと驚いたような顔をしていた。


 あっ。


 メイは、はっとした。


 嬉しさの余り、何度もお米を眺めていたために、まだ調理場の台の上に置いたままにしていたのだ。


 お湯を沸かしに入った時に、それを彼女に見られたのだろう。


「えっと…あの…」


 困った。


 ここで、『はいそうです』と答えたらウソになる。


 しかし、カイトが買ってきてくれました、と言うことなんか出来そうになかった。


 そう言うと、いまの自分の上機嫌の原因を知られてしまいそうだったのだ。


 それに、カイトの立場が悪くなりそうだった。


 彼は、ソウマ夫婦にからかわれるのが嫌いなようだ。


 誰でもからかわれるのはイヤだろうが、特にカイトは彼らが来るとムキになる傾向があって。


 いっそ、ハラをくくってウソを突き通せればいいのだが。


 ハルコを相手にだと、出来そうになかった。


 元々、上手にウソがつけないのに。


「あら? どうかしたの?」


 反応できないでいるメイに、首を傾げられる。


「あ、いえ何でもないです…お茶、ありがとうございます」


 慌てて、彼女はごまかそうとした。


 動き回っていて身体は少しあったかいものの、指先は冷えているのだ。


 カップを持つと、幸せなぬくもりが伝わってくる。


「けど…奮発したわねぇ。すごくいいお米じゃない?」


 ハルコの笑顔に、彼女は思わず指を滑らせそうになった。


 ガチャン!


 幸いそんなに高く持ち上げていなかったので、受け皿に当たってイヤな音がしただけだったが、少し紅茶がこぼれてしまった。


「ご、ごめんなさい!」


 慌ててふきんを取ると、こぼれたお茶を拭き取る。


 ハルコは、ずーっとニコニコしていた。


 そうしながら、言った。


「カイト君でしょ?」


 彼女は、全然見逃してくれなかった。


「あっ、あの…昨日は雨で、お米がきれて…それで!」


 メイは、うまく回らない舌を動かしながら、分かってもらおうとした。


 そういうのじゃないのだと。


 しかし、一体どういうのと誤解されているのかさえも、よく分かっていなかった。


 ただ、この気持ちが分かる材料にならないようにと必死だったのである。


「それで、優しいカイトくんがお米を買いに出てくれたわけね?」


 内容的にはまったく問題がないのだが、ハルコの口調には深みがあるので、もっと複雑なことをたくさん隠しているような気がする。


 いつもの微笑みなのだが、こうなると疑心暗鬼になってしまって、違う気持ちを表している笑みにも見えた。


「それとも…一緒に買い物に行ったのかしら?」


 途中まで合っていた話の道筋が、すっと逸れ出す。


「ち、違います! 私、知らなかったんです!」


 買いに行ってくれてるなんて。


 買ってきてやる、とは言われた。


 でも、それがまさか昨日だなんて思いもしなかったのだ。


 気づいたら、ここにお米が3袋。


「まるでカサ地蔵ね…」


 結局、事情のほとんどをしゃべらされてしまった。


 ハルコは、笑いをこらえられないように肩を震わせている。


 カイトが、からかわれる材料を作ってしまったような気がして、心配になってしまった。


「あなたは、どこかで雪のお地蔵様に、カサをかぶせてあげたのかしら?」


 まだ微笑みを止められないまま、ハルコが意味深なことを言う。


 メイは、それにうつむいてしまった。


 カサをかぶせてもらったのは、彼女の方だったのだ。


 雪の日ではなかったけれども、あんな格好のメイに背広の上着を着せかけてくれた。


 最終的には毛皮になってしまったが、あの時のことは忘れない。


 恩返しをしなければならないのは、自分の方なのに。


 せいぜいご飯を作って、身の回りのお世話を、ほんのちょっと出来る程度だ。


 しかも困ったことに、カイトがイヤがるので、堂々とできないのである。


 今度の週末は、おとなしくしていなければならないだろう。


 カイトが家にいるのだ。


 いつ、どこで働いているのを見られるか分からない。


 先週みたいな事件が起きるのは、もうこりごりだった。


 あんな恥ずかしい思いは――


「そうそう…今日は、ちょっと聞きたいことがあったのよ」


 ようやく笑いが終わってひと心地ついた時、話が変った。


 ほっとするメイをよそに、ハルコが楽しそうな口振りで切り出す。


「クリスマスは、何か予定が入っているの?」


 言葉に驚いたのはメイだ。


 そう言えば、いまは12月なのである。


 もうあと二週間もすればクリスマスだった。


 この家にはテレビがない。


 雑誌もない。


 買い物にも、たまにしか出ないので忘れていたのである。


「いえ、特別には…」


 答えながらも、クリスマスを楽しめる立場ではないということも分かっていた。


「そう? それじゃあ、うちで小さなパーティをやろうと思っているの…カイト君とこない?」


 なのに、何と気楽に彼女は言ってくれるのか。


 そんなこと、メイが決められるはずなどないのに。


「あの…いえ、私は遠慮しておきます」


 困った笑顔になるのを止められない。


 何とかそう答えると、ハルコは少し驚いた表情になった。


「カイト君が反対するってこと? ああもう…クリスマスくらい、少しハメを外してもいいのに。たまには、あなたに羽根を伸ばさせてあげないといけないってことを分かってるのかしら」


 ため息混じりに、ハルコは呟いた。


「分かったわ…カイト君がOKを出せばいいのよね。彼に直接招待状を渡すわ…大丈夫、何とか口説いてみせるから」


 ねっ、とウィンクされても―― メイは、それに答えることができなかった。

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