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12/08 Wed.-4

 ダイニングに置いてけぼりにされたメイは、しばらくポカンとしていた。


 また、新たなカイト語にぶつかってしまったのだ。


 言った本人は、あっさりと消えてしまったけれども、耳に残った言葉だけがリフレインする。


『米くれぇ…買ってきてやる』


 聞き間違いでなければ、彼はそう言った。


 何故、ああもお米にこだわって嫌がったのか、最初メイは分からなかった。


 もしかしたらお米が嫌いなのかしらという、全然違う方面に答えがたどりつきそうになったほどだ。


 けれども、カイトは彼女が米を買いに行くという事実が嫌だったようで。


 あの忙しい彼に、お米まで買いに行かせるなんて、そんな。


 それに引き替え、自分は家のことだけをしていればいいのだ。

 お米を買いに行く時間くらい、いつでも探せるのである。


 今度から、こんなうっかりはなくさなければならない。


 でなければ、カイトの手を煩わせるだけだ。


 黙って、一人で何でも出来るようにならなければ。


 幸い、今日ハルコがこっそり生活費の通帳を渡してくれた。

 いちいち、彼女に断らずに買い物が出来るように、だ。


 ハルコは、不定期にしか来れなくなるということなので、本当にありがたかった。


 しかし、その件をカイトには報告は出来ない。


 もしも、気に入らなくて怒ってしまったら、食事のための買い物なんかが自由に出来なくなってしまうのだ。


 後かたづけも終わって、部屋に戻って。


 お風呂に入っても、髪をタオルで乾かしても、そういうことばっかりメイは考えていた。


 でも、やっぱり。


 お米くらいは、自分で買いに行かなきゃ。


 そうして、ついにメイは結論に達した。


 ブラシを置いて、カーディガンを羽織ると部屋を出る。


 カイトに告げようと思ったのだ。


 それくらいは大したことじゃないのだと、ちゃんと説明しようと。


 しかし、いざ彼の部屋のドアの前に来てノックをしようと思うと、勇気がでない。


 そんなことのためだけに、カイトの邪魔をするのもはばかられると思ったのだ。


 そうだ!


 メイは、そのまま彼の部屋を素通りして階段を下りた。ダイニングに向かう。


 コーヒーでも入れて、持っていけばいいのである。


 何気ないお茶の時間を装えば、そういう話が切り出せる雰囲気が見つかるかもしれない。


 いそいそと、お茶の準備を始めた。


 カイトのためにはコーヒーを。自分のためには紅茶を注ぐ。

 あんまり仰々しくならないように、どちらもマグカップにした。


 まだ9時だ。


 そんなに早くは眠らないようだから、カイトにとっても息抜きになるかも、と自分に言い聞かせながら。


 トレイを持って階段を上る。


 改めて、ドアの前に来ると。


 ドアをノックした。


 トントン。


 シーン。


 あら?


 トントン。


 シーーーーーン。


 やはり、ドアの向こうから反応はこない。


 お風呂にでも入ってるのかな。


 メイは不安になった。


 眠っている時間とは思えない。


 だが、お風呂は計算外だった。


 勝手に入るワケにもいかないし。


 彼女はその場に立ちつくしたまま、どうしようかと迷っていた。


 すると、階下でガチャドサッバタッのような、物音がするではないか。誰かが帰ってきたようだ。


 シュウが帰ってきたのかと思ったが、彼の帰宅にしてみれば騒々しい。


 何だろう。


 そう思いはしたものの、トレイを持ったままでは身軽に動けない。


 どうしようかと悩んでいる内に、下の喧噪がやんだ。ダンダンと強い足音が階段を上ってくる。


 え?


 シュウが階段を上がっているとは思い難かった。


 絶対にないとは言えないが、あんなうるさい足音で上ってくるはずが。


 メイは、戸惑ったまま階段を見ていた。


「あっ!」


 思わず、声を上げてしまった。


 予想外の人物がそこにいたのである。


 カイトだったのだ。


 部屋にいると思っていた相手が、外から帰って来たのである。


 カイトの方も、彼女を見るなりぎょっという顔をした。

 こんなところにいるとは、思ってもみなかったらしい。


「あっ、あのっ…お茶でもどうかと思って…」


 言い訳モードに入る。


 やはりお茶を入れてきて大正解である。


 トレイに乗せてあるそれを見れば、まあ、彼にも一目瞭然だろうが。


 カイトは訝しげな表情で近づいてきた。


 それもそうだ。


 いままで、夜にお茶をいれて来たことなんかないのだから。


 しかし、メイはそんなカイトの表情と言うよりも、その姿を見ていた。


 わざわざ、上着まで着込んで出かけているのだ。


 肩のところが少し濡れているのは、外に出ていた何よりの証拠。


 目の前までやってきたカイトは、トレイの上を見た後に、もう一度彼女の顔を見る。


 だが、無言で部屋のドアを開けると入ってしまった。


 あっ。


 そのドアが閉ざされてしまうのではないかと心配していたメイだが、開け放されたままだ。


 無言の入室許可である。

 嬉しくなって、トレイを抱えなおしながら入った。


 ただ、そこで戸惑う。


 彼をしばらく廊下で待ってしまったために、コーヒーがぬるくなっているのではないだろうかと思ったのだ。


 自分の紅茶がぬるいまでは、どうでもいいのだが。


 どうしよう。


 ここまで来ていながら、彼女は迷った。


 が。


 にゅっと手が伸びてきて、有無も言わさずコーヒーの入っているマグをつかんだのだ。


 上からがばっと。


 あっ、と目を上げると、カイトはそんな変なところを持ったまま、ずっと一口すすった。


 上着を脱ごうとしながらなので、途中でカップを持つ手を変えて。


 そのまま、ソファの方に歩いて行ってしまう。


 メイは心配になって、彼の表情をじっと観察した。


 一口飲んだカイトは、ちょっとだけ動きを止める。


 一度コーヒーを眺めた後、しかし何事もなかったかのように続きを飲み始めたのだ。上着を放り投げながら。


 すごく、嬉しかった。


 拒否もせず、入るなとも言われず、ぬるいコーヒーを黙って飲んでくれるのである。


 やっぱりカイトという人は、とても優しい人なのだ。


 トレイに自分のカップを乗せたまま、しかし、身の置き場に困った。


 勝手にソファに座るのも、図々しいように思えたのだ。


 やっぱり、このまま部屋から逃げ出そうかと思いかけた時、カイトがむっとした顔のまま戻ってきた。


 何か言われるか怒られるかするのかと思っていたら、メイの横を素通りした。

 何故、彼が出ていくのかと驚いて振り返ったら、そうではなかった。


 バタン!


 開けっ放しのドアを閉ざしたのである。


 この部屋は暖房が効いている。

 いつまでも開けていると、寒いのは明らかだ。


 カイトは、そのまままたソファに向かうと、どすんと座った。奥の方である。


 手前の方が空いている。


 暗に、そこに来いと言われているような気がして、引っ張られるように彼女は近づいて行った。


 いいのかな?


 何度もカイトの方を盗み見るけれども、コーヒーを飲む方に集中している様子で答えはくれない。


「失礼します…」


 職員室に入ってくる生徒のようなことを言いながら、おそるおそる彼の向かいの席に座る。


 カイトからのコメントは何もなかった。


 ほぉっと、メイは安堵の吐息を漏らした。


 ノーコメントということは、ここでいいのだ。


 メイは嬉しさに顔を綻ばせながら、自分のマグカップに手をつけた。


 ぬるい。


 予想通りの温度だった。


 それが分かると、ますます嬉しくなる。

 カイトの優しい反応を、はっきりと感じられたような気がしたのだ。


 しかし、彼の飲み方は早かった。熱くもないコーヒーだったせいもあるのか、あっという間に飲み干されてしまう。


 トレイの上に、たん、と戻されるカップ。


 そうなってしまうと、メイはゆっくり紅茶を飲んでいられない。


 早く出て行けと言われたワケではないのだが、一人居座るのも変な話だ。


 大慌てでカップの中を片づける。


「あ、あの…それじゃあ…お邪魔しました」


 あたふたと、メイはトレイにカップを戻して出て行こうとした。


 ドアのところまで来たところで、はっとお米のことを思い出す。


 そうなのだ。それを言いに来たのである。


 振り返ると、驚いたことにカイトが自分をじっと見ていた。


 しかし、ぱっと彼は目をそらした。


 何か言いたげに見えて、メイは首を傾げる。


 お米のことを…。


 何とかそれを言おうとしたのだけれども、せっかく得た幸せなお茶の時間を、自分の手で壊すことが出来なかった。


 うまくすれば、明日もお茶を持ってくることが許されるかもしれないのだ。


 そうしたら食事の時以外でも、ほんのちょっとだけ余計に一緒にいられる。


「おやすみなさい…」


 言えたのは、それだけだった。


 今回だけはカイトに甘えようと思ったのだ。


 次からは、絶対にお米を切らしたりしない、と心に誓いながら。


 彼の返事はなかった。


 その言葉に戸惑ったような表情が見えたところで、メイはドアを出たのだ。


 ふぅっと息を吐く。


 初志貫徹は出来なかったものの、結果だけを見ればお茶を飲む時間を得られたのだ。幸せな気分になれた。


 しかし、それだけでは終わらなかった。


 トレイを持って調理場の方に戻ると、そこには――米袋が3つも積まれていたのである。



 ビニールの表面が、雨粒で濡れていた。

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