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12/08 Wed.-2

「調子はどう?」


 その声に、メイはびっくりして振り返ってしまった。


 ハルコが現れたのである。


 そういえば、今日は電話が来ていなかった。


 それはイコール、彼女がやってくるということなのだが、無理をしてはいけない身体だということを踏まえて、今日も休みなのだろうと思っていたのだ。


「大丈夫なんですか?」


 調理場の掃除をしていたメイは、慌てて雑巾を置いた。


 ハルコの方こそ、人の調子を聞いている立場ではない。


「ああ、そんなに心配しないで…風邪もたいしたことはなかったし。それに、今日は仕事をしにきたワケじゃないから…家にいても退屈なんですもの。ちょっとおしゃべりに、ね」


 カイト君には内緒よ。


 そう、ハルコはウィンクをしてみせる。


「はい!」


 彼女の身体が心配ではあるけれども、来てくれてとても嬉しかった。


 その気持ちに、素直に返事をしてしまった。


「お茶いれますから、向こうに座っててください」


 流しで手を洗って、メイはお湯をわかし始めた。


「ケーキを持ってきたんだけど…入るかしら?」


 ハルコの掲げる白い小箱を見て、彼女は目を輝かせてしまった。


 ここに来てから、一度もそういう甘い物を食べてなかったことを思い出したのだ。


 カイトはケーキなどを食べる人ではないし、彼女はそんな無駄遣いができる立場ではなかったのだから。


「あの…朝食食べたばかりですから」


 でも、意地汚いと思われるのが恥ずかしくて、遠慮する言葉を選んだ。


 すると、ハルコは笑って。


「あら、入るところは別でしょう?」


 女性のために存在する無敵の発言には、メイも勝てなかった。


「イチゴとチョコレートとチーズとモンブラン…どれが好き?」


 箱を開けながら、ハルコは楽しそうに種類を言った。


 ほのかに甘い匂いが漂う。


 無意識に胸がどきどきしてしまうのは、甘いもの好きの悪いクセか。


「そんなにたくさんあるんですか?」


 覗き込むと6個も入っていた。二人で食べるにしては、ちょっと多くはないだろうか。


「何だか味覚が変わっちゃって…時々、無性に甘いものが食べたくなるのよ」


 お医者様には、内緒にしとかないと。


 しっと人差し指を立てるハルコは、いつもの大人びた雰囲気とはちょっと違う色をしていた。


 甘いもの好き同士の親近感で、二人顔を見合わせてふふっと笑った。


「それじゃあ、モンブランを…」


 普通のモンブランは黄色なのに、このモンブランは薄灰色をしている。


 どんな味か興味があった。


「いい目をしてるわね…ここは、一番モンブランがおいしいのよ。このクリームの色はね、渋皮が…」


 そんな風に、ひとしきりケーキの話題で盛り上がってしまった。


「おいしかったです…」


 銀紙をフォークで畳みながら、メイは幸せのためいきをついた。

 やっぱりケーキは、すごく幸せにしてくれる食べ物なのだ。


「カイト君と一緒じゃ、甘いものなんて食べられないでしょ?」


 クスクスと笑いながら、ハルコもフォークを置いた。


 はぁ、と曖昧に返事をしながら、紅茶のカップに手をかける。


「そうなのよねぇ…本当にカイト君ときたら唐変木でしょう? いろいろ、あなたがつらい思いをしてるんじゃないかと心配なのよ」


 ハルコの口から、しみじみとそんな言葉が出てしまってびっくりする。


 彼女の立場を心配してくれているのだ。


「あ、あの! そんなことないです! つらい思いなんて…!」


 慌てて否定する。


 どうにも誤解があるらしい。


 ソウマとどんな話をしているのかは分からないが、このままでは彼の立場が悪くなってしまう。


 メイは誤解を解くために強い口調で反論したのだ。


「そう? それならいいのだけど…昨日も、アオイ教授とやりあったって聞くし」


 まったくもう。


 苦笑しながらも、ハルコの目がしっかりとメイを見ているのが分かる。


 いま反論した答えが、本心からなのかを探るように。


「あれは…」


 その件については、かなり耳が痛かった。


 何しろ、電話で言った発言が、尾を引いてしまったのだから。


「カイト君は、あなたを使用人だなんて思ってないから、心配しないでね」


 しかし、ハルコの方が先手を打った。


 きっとソウマから聞いていたからなのだろうが、それでもさすがに付き合いが長いせいもあって、読みが早い。


 まるで、あの場にいたかのようだ。


「はい…分かってます」


 アオイにそう言われたこと自体は、たいした苦痛ではなった。


 それよりも、自分がアオイにそう言った時の方が、少しつらかったのだ。


 自分で家政婦と言いながらも、彼との間に深い溝を感じてしまったのが。


 たとえカイトが対等に扱ってくれたとしても、いまのままではメイが上に上がれないのだ。


 彼と同じ段に。


「それと…ね」


 言っていいのかどうか迷うような口振りで、ハルコはカップを持った。


「あのね…その…カイト君が、結婚しないって怒鳴ったってことなんだけど…」


 迷う言葉で綴られると、メイの方がびくっとしてしまう。


 その件は、昨日もう決着をしたはずだった。

 彼女の心の中では。


 何を今更、蒸し返そうとするのか。


「多分、ね…アオイ教授に対抗して言った言葉であって、本心ではないと思うのよ。彼の持ってきたお見合い話に乗って結婚をしないという意味であってね…だから…」


 最後は、ハルコの方が困った顔で黙り込んでしまった。


 そうなの?


 心の中で、昨日のカイトを思い出してみる。


 しかし、はっきりと分からなかった。


 ハルコの言っている言葉が当たっているようにも思えるし、そうでないようにも思える。


 彼女の口調が自信なさげなのも、内容に真実味を与えていなかった。


 第一。


 何故そんなことを、わざわざ自分に告げるのだろうか。


「そうなんですか…あ、お茶おかわり用意しますね」


 ハルコの目の前で、その件について考えることが出来なくて、メイは慌ててティーポットを持って立ち上がった。


 何気なさを装って。


 カイトの結婚について、自分が興味を抱いているなんて思われたくなかったのだ。


 ハルコは事情をよく知らないから、別に他意はないのかもしれない。


 けれど、話がどう回って彼にたどりつくか分からないのだ。


 唯一、メイと秘密を共有している相手は、しかし、一番その事実を忘れて欲しい相手でもあった。


 いや、彼女自身が忘れたかった。


 あんな出会い方じゃなくて、もっと普通の出会いだったなら、気持ちをこんな爆弾にしてしまうことなどなかったのに。


 お茶のために少しのお湯を沸かしながら、ため息をついた。


 もっとうまく隠さなきゃ。


 自分の態度が、いま不自然ではなかったかが心配になる。


 カイトと結婚という言葉に、動揺なんかしてはいけないのだ。


 できれば。


 ハルコが言う言葉よりも、自分の解釈の方を信じたかった。


 カイトは誰とも結婚する気がないのだと。


 どんな女性も好きではなく、仕事一筋で生きていくのだと―― たとえ、それが都合のいい解釈であったとしても、いつかカイトの気が変わることがあったとしても、いまはそう信じたかった。


 考えていると、どんどん気持ちが沈む。


 こんな顔では、ハルコのいるところへと帰れそうもなかった。


 さっきの言葉が尾を引いています、と言わんばかりではないか。


 自分の頬を、ペチペチと叩いた。


 何事もなかったように。


 ガスを切る。

 一息止めて熱を飛ばしてポットに注ぐ。


 深呼吸一つ。


「赤ちゃん、いつが予定日なんですか…?」


 ポットを持って戻りながら、笑顔でメイは話をすりかえた。

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