12/07 Tue.-3
☆
「何故、私があのような仕打ちを受けねばならぬのだ!」
後部座席のアオイは、まったく怒り冷めやらぬ様子だった。
それもそうだろう。
紳士的な話し合いをするはずだったのが、その相手から非好意的な反応をされただけではなく、蹴り飛ばされたのだから。
友好条約を結びに来た大使が、撃ち殺されるようなものである。
プライドの高さで言えば、どの方面でもエベレスト級のアオイにしてみれば、耐え難い屈辱のはずだ。
まったく。
怒りたいのはソウマの方だった。
それは、アオイへの仕打ちについてではなかった。
あの、馬鹿野郎の馬鹿発言のせいである。
教授やシュウからこの話を持ちかけられた時、最初は「無理ですよ」の一言で、彼の気を削がせようとしていた。
けれども、ソウマは考えたのだ。
この事件が、カイトにとっていい刺激剤になるのではないかと。
内容が内容だけに、『結婚』とかいう言葉を意識させるには持ってこいだ。
だから、こんな実現する可能性のない茶番に付き合ったのである。
なのに。
「まだ、大学時代の時の方が文明人だったぞ」
今や、野蛮人に成り下がったかのような発言をアオイはした。
確かにそうだ。
しかし、それはソウマにとっては悪いこととは思えなかった。
大学時代のカイトは、本当に好きな女がいなかったのである。
今頃になって、そんな女と出会ってしまったのだ。
その事実に、ソウマは最初は喜ぶだけだった。
だが、時がたつにつれ、首をひねるような事実にぶつかるのだ。
一緒に住んでいながら、カイトとメイは心を交わしてさえいないのだ。
いくらカイトが不器用なヤツだからとは言え、異常な事態である。
あの、欲しいものは絶対に手に入れる男が。
だから、お節介とは分かっていながらも、ソウマは首を突っ込まずにはいられなかったのである。
お互い思い合っていないのならともかく、どう見てもあの2人は問題ナシだ。
見ている方が、イライラするくらい。
「聞いているのか、ソウマ!」
不平不満を聞き流されているのではないかと、アオイが彼の意識を引っ張り戻そうとする。
「勿論、聞いています…しかし、教授があんなことを言うからですよ」
カイトをキレさせた一言を言ったのは彼だ。
「何のことだ?」
しかし、当のアオイは一向にそれに気づいていない。
彼は、カイトが何よりも大事にしているだろうメイについて――
「彼女のことを使用人扱いしたからですよ…」
ため息と共に、それを口にする。
これは、カイトも悪いのだ。
彼女を堂々と自分の女だと言えないからこそ、あんな発言に言い返せずにキレたのである。
「何を言う!」
しかし、鼓膜をつんざく怒声が響いた。
キーンと、耳の中を飛行機が飛ぶ。
「電話をかけた時に、あの者が自分で言ったのだぞ。『家政婦です』と! 私は、あの声は忘れておらん! 間違いなく、あの女性のものだ。家政婦と言えば、使用人のことだろう!」
フン。
私は悪くない。
ミラーで見ると、後部座席でそっぽを向くアオイの姿が見えた。
はぁ。
それにはソウマも深いため息をこぼした。
そうなのだ。
問題は、カイトだけではないのである。
彼女の方にも問題があるのだ。
いや、やはりこれは、はっきりしていないカイトが悪い。
彼女の立場を中途半端にぶら下げているから、電話でそんな風に自分のことを言うのだ。
今日の一件が瓢箪から駒になって、あの2人の関係を進展させればいいと思っていたのに、カイトときたら。
何が、絶対結婚しない、だ。
忌々しい発言である。
あれを、メイの目の前で怒鳴りちらしたのだ、あの男は。
好きな男の口からそんな言葉が出たら、誰だってショックを受けるだろう。
それが、片思いだと本人が思っている場合は、尚更絶望的な発言である。
そんなヒドイことを言った自覚が、しかも、あいつにはないのだ。
「「まったく…信じられん」」
その言葉は、2人の口から同時に飛び出した。
意味は、まったくもって違う方面だったが。
※
「あなた…?」
報告を、楽しみにしていたのだろう。
帰るなり妻が玄関まで出迎えてくれたが、ソウマの様子に足を止める。
「だめだ、だめだ…まったく、あいつは話にならん」
上着とネクタイを乱暴な手つきでひきはがし、彼女に渡す。
この不満を、唯一分かち合える相手でもあった。
シュウじゃ話にならないし、アオイには説明する気も起きない。
説明した途端、余計にカイトの株を下げるだけだ。
あの教授が、色恋について寛大であるとは思い難かった。
「教授の見合い話を断ることは、最初から分かっていたが…よりにもよって、彼女の目の前で『オレは絶対結婚なんかしない!』と怒鳴ってくれたよ」
そのまま居間のソファにどかっと身を投げ出しながら、ソウマは天井を仰いだ。
「まぁ…」
ハルコも、眉を寄せて。
「進展するどころか、後退もいいところだ…やれやれ」
頭が痛い。
ハルコがコーヒーを入れてくれる。
ソファから身体を起こして、そのカップを掴む。
呆然としたままのメイが甦って。
彼女は、トレイを持ったまま立ちつくしていた。
あの話の展開に、全然ついていけてないようだった。
それもそうだ。
カイトに、見合いが来たことさえ知らなかっただろう。
その件だけでもショックなはずだ。
大体、あそこにメイが現れるのは計算外だったのである。
あくまで彼女はカヤの外に置いておくつもりだったのに。
シュウが。
あの副社長にも問題があった。
今回の見合いの相手は、資本家の娘である。
資本家―― それがシュウのアンテナに引っかかったのだ。
ソフト会社が一番持っていないもの。それが資本力である。
資本金などほとんどなくても会社が始められるのだ。
裏を返せば、裏付けのない力ということになる。
一度失敗したら、後がないということ。
シュウは、その会社の弱点を補強しようとしたのである。
電話でシュウと話した時、『私だったら、結婚しますが』と彼は言ったのである。
それならお前が結婚しろ、と思ったが、きっと相手の女性も幸せにはなれないだろう。
シュウの表現でいけば、まるで札束と結婚するようなものなのだから。
とにかく、アオイの話を一番歓迎していたのはシュウだ。
だから、わざわざお茶まで用意させようとしたのである。
不測の事態の連続に、ソウマの予定は全部メチャクチャになった。
「オレは、もう知らんぞ…付き合いきれん」
したたかコーヒーを眺めた後、ぼそっとそう言った。
半分は本気だったが、もう半分は言葉通りには出来ないだろうと分かっていたけれども。
「あなたったら…」
そんな彼のことを、理解しているのだろう。
ハルコが、苦笑しながら隣に座ってきた。
「きっと大丈夫よ…うまくゆくわ。あんなに思い合っているんですもの…ね?」
「カイトが片っ端からブチ壊してるのに、いつまで彼女が我慢してくれるか…」
妻の笑顔になだめられても、今日のソウマはまだ立ち直れそうになかった。